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夜さんぽ

文章を書きたい、文章を書きたい、文章を書きたい。

忙しい時ほど書きたい気持ちは増すけど、それなのに手をつけられなかったりとか、そんなことしてる場合じゃない、とか自分で抑制してしまったりして、そんな感じでもう九月が下旬になった。

わたしにとっては、毎年、何かしらが始まることの多い九月。
今年は、例年以上に、いろいろと手を出してしまって、思うようにならないことが多すぎた。無念。
まあ、こっから挽回する。きっと。

昨日はひさびさに満足するほど作業や家事ができたし、今日もたくさん働いたはずなのに、なんともやりきれない気持ちを抱えた帰り道。
理由はうっすらわかっているけど、敢えて知らないふりをする。
きっと、今日思っていたより人と雑談できなかったこととか、お散歩したりないとか、そういうことにしておこう。

誰かと話したいような、知らない場所に行きたいような、本を読み続けたいような、そんな気持ち。
明日は早いから、まっすぐ帰って寝るのが自分の身体にとってはいちばん優しいけれど、心にとっては優しくないので、何をすれば良いか考えつつ、とりあえず電車で本を読む。

小説だったら、たった30分の移動でも、知らない世界に行けて、結構満足することもあるけど、今日はエッセイなので、そううまくはいかなそう。案外読みやすかったけど、やっぱり30分では全然足りなかった。到着した駅のホームのベンチでもう少し読み続けようか、といつも迷うんだけど、そんなことしたらきっと、駅が夜閉鎖するまで居続けてしまう、それはさすがに帰宅が遅くなりすぎるので、やめておいている。

仕方ないから、最寄駅から、いつもより遠回り遠回りをして帰ることにした。

夜の散歩がすきだ。実家に住んでいた時は心配されてなかなか行けなかったけれど、ひとりで住んでいる街はとっても治安が良いので、いくらでも歩いてしまう。夜ほど散歩が快適な時間はないよな。人が少なくて、街も静かで。朝も気持ちがいいのだろうけど、どうも早起きが苦手なもので。

川までの道は知ってる道が増えてしまったので、今日はその先へ進む。坂を下って、登る。緑色のレンガのアパートに、赤いレンガで窓回りの飾りが可愛いアパート。水色の壁の、物語に出てきそうな洋館はすっかり電気が消えていて、きっと早寝なんだろう。その隣には和風の・・建築のことがさっぱりわからないけど、お屋敷までいかないくらいの少し立派めのお家。梅の実・・?いや、違うもっと大きくて固そうな実、なんだろう。(今考えてみれば梅は時期ではない。)まだ青いけどうっすら赤くなりはじめている。植物や建築にもう少し詳しくなったら、もっとお散歩が楽しくなるのかもしれないけど、固有名詞を覚えるのが苦手だからなあ。

知らない景色をみたり、初めての体験をすると、だいたい元気になる。それか、その時にしたいことをして、発散する。今日は、家についたら、これを書くことにしよう。覚えてられるかな。

近所でも知らない道を歩けば満足することも多くて、だけど知ってる道が増えてきて、さらに遠くを目指さないといけなくなってきた。いくらでも歩き続ける、体力と時間があるときはいいけど、時間がないときは特に詰む。だいすきな旅に行かずに気を紛らわせているのは、近所にまだ知らない道があるからだけど、近所の道も、これから行くかもしれない道も、全部知り尽くしてしまったら、どうなっちゃうんだろう。なんてことを考えてみたりするけど、知らない道がなくなるなんてこと、一生かけてもありえない。

かといって、365日旅するみたいなこと、してみたいと思っていたけど、慣れない土地に居続けるのは、もしかして向いていないのかもしれないとか最近は思ったりもする。もしそういう機会を今後つくれたら、きっと、移動は1ヶ月おきとかにしよう。お財布の許す限り。


まだまだできないことも多いし、タイミング読むのとかも多分下手だし、わからないことだらけ。むつかしい。

考えたいことたくさんあったはずなんだけど、働いたあとはなかなか切り替えるのがむずかしい。無理な日は、全部手放すに限る。

そういえば、「自分の文章は暗いから」と言っている人がいたけど、わたしが読んだ時は、別にそんなこと思わなかったな。
本人が思うのと、読者が受け取る感覚って、きっと結構な差異があるのだろうな。
わたしも自分の文章暗いと思っているけど、もしかしたら、そうでもないかもしれない。いや、でも書きたくなるときだいたいテンション低いからやっぱり暗いかもしれないけど。真偽のほどはあなたに任せます。

今日はこれ書いて、とっとと風呂入って、できればもう少しゆったりして、明日に備えよう。


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