尊敬する人

以前の記事で、’’はっきりとした目的’’ を持つ理由としてなりたい自分になるためと書いた。

なりたい自分とはなんだろう?

そこで今回は自分が出会った中で尊敬する人達を思い出してみようと思う。

1.  おばあちゃん

私のおばあちゃんは一言で言うとパワフルおばあちゃんだ。十年ほど前から人工透析を始めたために、週三で透析外科に通いながら、そのほかの二日は、持病のリウマチの治療として、かかりつけの病院にかよっている。最近になって、ひざや腰がさらに悪くなり、この二年ほどで三回ほど手術を行っており、まだこれからも手術が残っている。今年82歳を迎えるおばあちゃん、免疫力は最低レベルだろう。週に5日病院通いで数回の手術を受ける中で、回復と闘病を繰り返すおばあちゃん。これだけ聞くと、パワフルおばあちゃんの所以はわからないだろう。

私がパワフルという言葉で意味することは、身体ではなく精神のほうである。おばあちゃんは今でこそ足腰が悪く、家ではベッドでほとんど寝ていることが多いが、一人で歩けるようになるという希望を捨てていないのである。免疫力が低下していることもあって、術後のリハビリの辛さとひざの痛みを比べるとその程度は同じくらいということもあって、お医者さんも手術を進めはしなかったという。しかし、おばあちゃんは自分の持っている希望をすてることなく、戦う選択をした。

十年前から透析を始めてからおばあちゃんの体は衰えていくばかりであった。透析だけのころはまだしも、それから足腰に爆弾を抱えだしてから、入退院を繰り返すことも多くなり、精神的に病んでもおかしくなかった。しかしおばあちゃんはできる限り、自立を目指した。買い物に行けなくなってからは、自分で買い物配達を頼み、料理をする努力を欠かさなかった。お風呂に入ることができなくなったときも、自分でヘルパーさんを頼み、極力家で生活できるように、自分ですべて賄っていたのである。

そのようにさせるのは、すべておばあちゃんの並々ならぬ精神力だといっていい。昔からおばあちゃんはめちゃくちゃ負けず嫌いで、何かやると決めたからには、あきらめない。今でいうと、一人で歩けるようになるまでは、どのような困難も受けてたつという調子である。そのおかげで、身体は健康だといえないものの、精神だけはいつも変わらず元気である。よくしゃべるし、相変わらず声もでかい。(笑) それを聞くだけでも安心できる。

私にとっておばあちゃんの存在はとても大きい。私が幼いころから両親共働きであったうちでは、小学生のころ、学校の送迎バスのお迎えに来てくれるのはいつもおばあちゃんだった。お隣に住んでいたため、お迎えのあと、おばあちゃんとミニコープに生き、お菓子を買ってもらい、おばあちゃんの家で、お母さんが返ってくるまでお菓子を食べて、宿題をする。中学生高校生になっておばあちゃんと過ごす時間は少なくなったものの、おばあちゃんは久しぶりに会うと、いつもお小遣いをくれた。

あまりにもしょっちゅうくれたので、「本間に大丈夫やでおばあちゃん!」と言ったとき、「おばあちゃんは孫にお小遣いあげるのが楽しみやねん。」という答えが返ってきた。その時私は「私も自分の孫にこうゆうこと言えるようになりたい」と直感的におもったのである。

おばあちゃんは体を悪くしてから、仕事をしてる姿を一切見なくなった。以前は、お客さんをおうちに呼んで、会社の商品を売っていた。おばあちゃんに幼い時の好奇心から、ドストレートに聞いてみた。「おばあちゃんどこからお金入ってきてるん?」するとおばあちゃんは「昔からのおばあちゃんのお客さんがいて、おばあちゃんが仕事をいま実際はしてなくても、そのお客さんたちから入ってきたお金はおばあちゃんにもずっと入ってくるねん。」シンプルにおばあちゃん、かっこよすぎん?と思った。

それもそのはず、おばあちゃんは話がむちゃくちゃ上手だ。いろんなことを知っているし、何よりも話術がすばらしい。おばあちゃんの話は聞き手を引き込む魔法がかかっているように、気が付いたら自然と話に引き込まれている。

おばあちゃんの時代、女性がばりばり働くことはとても稀であった。おばあちゃんは家庭ができてからも、家族は神戸において、東京出張など行くほど、まさにキャリアウーマンであったのである。仕事でしたいこと、達成したいことをなすべく、家庭と離れてまでも、会社の幹部になるという自分のしたいことを達成したのである。その結果、今なお、体が悪く毎日病院通いでも、孫にしょっちゅうおこづかいをあげることで、幸せを感じている。

おばあちゃんの寝室には、目標ががいてある一枚の紙が貼ってある。達筆で書かれた、一枚の紙。それを毎日見ることで、いつも目標を見失かったのであろう。

いろいろ、前置きがあったが、つまりおばあちゃんの尊敬するところ、それは信念を曲げずに、すると決めたことはやり抜くこと。どんな状況であっても、周りと合わせることなく、自分の信念を貫く意志力。自分がしたいことを最後までやりきるおばあちゃんのようになりたい。そして老後には、自分の愛する人たち関わることで、幸せを感じられるようになりたいと思う。おばあちゃんは私の一生のロールモデルであり、だいすきな人の一人である。

そのために自分がしたいことをほんとに見つけたい。


2.  Mr. Mori

Mr. Moriは大学のサークルの先輩の一人である。

Mr. Moriの尊敬するところ一つ目、ゆるぎない信念がある。それは国境の壁を低くすること。国境の壁というと、経済、文化、環境といった分野で考えられるだろう。Mr. Moriはその中でも言語という分野に焦点を置いて、今はヨーロッパで勉強している。

このゆるぎない信念というものが、社会に対して達成したいことであるということに注目してほしい。今の私のゆるぎない信念というと、自分のなりたい自分、実現したい社会を探すことをやめないという段階である。もっと言うと、自分のなりたい自分を先に探してから実現したい社会をさがすことができるのではないかと考えているため、社会ベースでの揺るがない信念をもってそれに向かって奔走しているMr. Moriに追い付くことが今の目標だ。

もう一つ、尊敬するところ、それは、考えることをやめないところ。

Mr. Moriに出会ってからだと思う、自分がこんなにも物事ついて考えるようになったのは。Mr. Moriはどんな意見も否定しない、どんな意見に対しても、真剣にぶつかってくれる。それは、Mr. Moriが考えることを続けた結果、普通であると思っていたことは普通であるとは限らない、ということを信じているからだと思う。また、考えることは、周りと合わすことが正解だと思ってきた、周りと違わないことが正しいと思ってきた自分に、新しい視点を与えてくれた。自明だと思っていたことに対して、違う見方があるということに気が付くことができた。Mr. Moriは考えることの楽しさを教えてくれただけでなく、考えないことの恐ろしさを考えるきっかけを与えてくれた。周りが正しいと思うことだけを信じていくと、自分というものがなくなってしまう。そうゆう風に思う人が多くなっていくと、つまり右向け右の社会になってしまうと、イノベーションは言ううまでもなく、社会は間違った方向に行った場合止める人がいなくなり、とても危険だ。

このように一人一人が少し普遍的であると思うことを疑ってみる、考えてみることで社会は大きく変わる。

つまり、考えるという、社会で生きていく人間にとって欠かせない行為がなぜ大事であるかを根拠をもって理解することができた。

これはまさに、Mr. Moriが考えることをやめず、多様な意見を尊重する大事さに気付かせてくれたおかげだ。

他にも、人を区別しない、すべてを受け入れる包容力などいろいろあるが、それはすべて、国境の壁を低くすることで、多様性が受け入れられる社会作りを進める、といったように考えていくと、すべて付随した要素であるので書きはしないが、ゆうまでもなく、そういった人間性も尊敬している。

今でこそ、Mr. Moriのことを尊敬しているがゆえに、Mr. Moriのいうことをすべて信じてしまっているものの、私はこれからも考えることをやめずに、いずれ、Mr. Moriが「普通であると思っていること」に対して「普通であると思われているが普通でないこと」をもって、議論できるようになりたいなと思う。


私の尊敬する人、一貫していることは、信念を失わないこと。おばあちゃんは自分の足で歩けるようになること、会社のトップになること、Mr. Moriの場合は、国境の壁を低くするという信念を強く持っている。その信念に基づいて、生きている人はいつまでも生き生きしている。

信念を見つけるたびは急ぐ必要はない。止まったり、たまには後ろ戻りしても見つけられるまでやめなければそれでいい。途中で自分の持っているものを手放さなければいけないこともあるだろう、そのときは勇気を出して、どんどん捨てたい、新しいものを手に入れ、自分の確固たる信念をみつけるために。


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