自分が作りたい社会

ほんの一カ月前までは自分がしたいこと、なりたいもの、自分が作りたい世界などなかった。一生懸命考えてたはいたものの、しっくりきていなかった。それを見つけるために、ヒントを得ようと新聞を読んだり、本を読んだりしていたが結局見つからなかった。今書いているのはまさに、その通り、自分の中でしっくりきたものが一つできたからである。

この一ヶ月ほどで、何が変わったのだろうか。まず一つ目として、自分と真正面から向き合う時間を増やした。そう、このノートを書きながら。ノートを書きながら文章化することで、自分でもびっくり、めちゃくちゃ客観的に自分のことを考えられることができた。同時に、言語化することによって、自分の考えていることが整理整頓される。頭の中のアイデアが絵に表されることで、より鮮明になった。

もう一つ変わったことは、環境だ。二月に入ってからインターンが始まった。週四日でオフィスに通い、仕事をしている。オーストラリアという異文化の中で実際に仕事をするということはとても新鮮で、いつも発見だらけだ。それだけでなく、こっちの人と働きながら、日本のスタッフともプロジェクトを進めていっている。二つの文化のもとで働くことで、その違いが面白いほどわかる。その違いの中ででてきた「?」について考えていたらおぼろげながら自分の作りたい社会、理想像が一つ見えてきた。

一言で言うと、「誰もが主人公になり、正直に表現し、主張ができる社会」だ。

・「誰もが主人公」

自分は自分の人生の主人公である。私は昔から周りを気にして生きてきた。いつも自分よりも周りに合わせてきた。その結果、自分というものがわからなくなった。それは自分を表現することなく、生きてきたため、自分の中の奥底に本当の自分が隠れてしまったからだ。

こっちに来てから、特に仕事を始めてから、周りに合わせるということをしなくなった。というより、周りに合わせる意味を失った。仕事をするうえで、上司に合わせてはいけないのだ。これは誤解を生むかもしれないので、厳密に言うと、上司に言われたことを鵜呑みにしてはいけないということだ。上司に言われたことでも、自分の意志でこっちのほうが正しいと判断した場合は、自分の意志に基づいて行動を起こさないといけない。(もちろんホウレンソウは必要だが。)実際に社会に出て一般会社員として働いてはいないため、実際の世界はそんなに甘くないかもしれないが、インターンとして一大学生が抱いた感想として考えてもらえるとありがたい。

仕事をしているのは自分だ、ならば自分の意志で仕事をしなかったら、誰が仕事をしているといえるだろうか?それこそ、AIが仕事を引き受ける未来も遠くなさそうだ。自分の考えに基づいて判断してそれが間違えていたら上司も教えてくれるだろう。危険なのは、他人に合わせたまま自分の意見を持たずして、言われたことをするだけで、試行錯誤をおこさないまま、手ぶらで毎日家に帰ることだ。主人公意識がないと、そこから失うことはなかったとしても得られるものは一つもない。

今は仕事に関してだけ言ったが、これは人生一般においてもあてはまるだろう。周りに合わせて生きていると、自分で判断ができなくなる。自分の意見をもたなくなる。自分が「自分」という迷路から脱出できなくなる、つまり自分がわからなくなる。奥底に沈んだ自分を救い上げることができる一つの方法は、正直に主張するということである。

詳しくはこちら。そして以下に続く。


・「正直に主張ができる」

「正直に主張ができること」は、自分に正直になり、表現し、自分を自分たらしめる一つの武器になる。周りを気にすることなく、自分の主張をできるようになると、自分らしさというものが生まれてきて、それは自分を迷路にまた一度連れ込むことはない。一人一人が主張できるような社会になれば、誰かが間違った方向に行こうとしているのを止められる。たくさんの主張が集まるとより多くのイノベーションが起こる。たくさんの主張が許容されるようになると、変化に対するハードルが低くなる。変化を繰り返しながら成長していく社会にはこの一人一人の主張が欠かせない。

イノベーションの点に関して言うと、日本は世界的に見て遅れていると思う。「古き良き慣習」を貴重なものとみなし、昔の慣習などから抜き出すことを不得意としている傾向がある。例えば、男女平等なども進んできてはいるものの、海外に比べたらまだまだだし、キャッシュレス、シェアリングエコノミーなどの導入も一足または二足ほど遅れている。

出る釘が打たれることなく、それを珍重する社会だったら、どうだろうか?今あるものから脱して革新を生み出していくイノベーションはもっと奨励されていたかもしれない。言うまでもなく、今の時代はイノベーションのスピードが半端じゃない。私はそれに遅れたくない。というより、日本が遅れてほしくない。昔に比べたらある程度富を手に入れた社会では、「生活できるだけの最低限の保障」だけでなく、「効率性、利便性」を求めている。この需要にこたえるためにはイノベーションの必要性は自明だろう。

この変化に対して寛容になるためにはたくさんの主張とその主張を受け入れられる下地作りが必要だと思う。「誰もが主人公になり、正直に主張ができる社会」を作り出すために必要なことは「変化を受けいられるような下地:多様性」を生み出すことだと考える。

この変わりゆく社会では、自分も社会に対して変わっていく必要があると考える。AIが仕事を奪っていくといわれている中で、昨日と今日が同じ人間であることは、明日にもAIに仕事がとられている可能性を示唆する。

多様性が生み出されることで、変化に対してのハードルは低くなり、フレキシブルな感覚が磨かれる。この感覚を持っていると、変化が著しい世界の中で、生き抜くことができる。

多様性が必要なもう一つの理由としては、情報の獲得のためだ。多様な人々がいるということは、それだけ手に入る情報も多様になるということだ。

日本語検索がほとんどを占める日本はとても情報が遅れてしまう。論文検索はいい例だ。論文を日本語で検索することは自分の首を自分で絞めているようなものだ。情報が最新であればあるだけ効力を持つ論文においては英語を用いて検索することが一番幅広く最新の情報を手に入れられる方法だろう。しかし、とてもユニークな情報を手に入れるためには日本語検索じゃないと得られない情報もあるだろう。

情報はイノベーションの源泉になるともいえる。情報はアイデアの種にもなる。多様性は様々な情報へのアクセスを可能にする。


まとめると、

自分という人生を、周りに合わせるのでなく、自分の判断をもって生きていくために、「誰もが主人公になる」社会を作りたい。

また自分を自分たらしめ、自分らしさを持つために「正直に表現し」、その表現たちが集合して形成される、イノベーションを生み続けるために「主張できる」社会を作りたいと考えている。

「誰もが主人公になり、正直に表現し、主張ができる社会」をつくりあげるために「多様性」を生み出していく必要があると考える。

「多様性」は表現、主張、イノベーション、情報の収集というこの四点を実現することに不可欠だ。




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