自分の意見を主張するということ

「自分の意見を主張することが大事」

こういった意見はけっこうよく耳にする。実際、社会人の方と話しているときも、「自分の意見を主張できる人」を会社的にも社会的にも求められている、ということを何度も聞いた。このように、「自分の意見を主張する」ことが大事だということは、自明のように感じられていたが、私はいつもどこかひっかかっていた。

「なんで自分の意見を主張することってそんな大事なんやろ?」これを自問したことが何度かあったが、その答えはいつも出てこなかった。結局いつも、うん、確かに、自分の意見持つことって自分を表現するってことやから大事なんやろなあという漠然とした、答えになっていなものを答えとみなして、いつも流していた。表現することがなぜ大事なのかということを考えられなかった。

なぜこのようなことを今まで考えてきたかということから話したいと思う。私は自分の弱点として、自分の主張が弱いということだと認識している。自分だけでなく、周りにもけっこう言われる。他己分析のアンケートを実施したときは弱点一位がまさにこれであった。

自分的にはそんなつもりはない。なぜなら、主張を控えてる感覚がないからだ。例えば、これとこれどっちがいい?と聞かれると、好きなほうにして!という。主張を控えてるというより、相手に答えをゆだねる、この傾向がある。その原因としては、過剰な協調性だと考えられる。自分の求めるものより、相手や周りの求めるものに合わせる。自分の主張によって相手の気持ちを損なわせたくない、そう、相手との対立を敬遠してきたのだ。その結果、自分の主張に自信がもてないでいる。その結果、今でも主張が弱いという自分の弱点が克服しきれていない。

インターン先で、このいわゆる強迫観念、「自分の主張を持つことが大事である」に対する理由がなんとなくわかったので、今回noteにまとめてみようと思う。

今は、オーストラリアにあるアロマセラピーやスキンケア製品を販売するメーカーでWebマーケティングをしている。オーストラリア発祥で拠点をここにおきつつも、日本にも進出して、直営店はもちろん、オンラインショップも運営している。今回のインターンでは、現地オフィスのWebマーケティング部署で現地スタッフと、日本のスタッフと合同で、日本のオンラインショップの売上20%向上させるということが目標として設置されている。その中で、私は、市場調査の一環として、日本の顧客に対する顧客アンケートを作成することになった。

取り掛かる前は、顧客アンケートを作ることがそれほど難しくないと思っていた。しかし、予想とは裏腹、顧客の購買心理や購買性向、お店に対する満足度など、直面している課題を克服するためのマーケティングをするうえで、知るべきエッセンスを顧客からうまく抽出する、バラエティ豊かな質問を作ることがこれほど難しいとは知る由もなかった。

実際オーストラリアでもアンケート完成まで、三回以上テスト実験をしてやっと、アンケートドラフトが完成したそうだ。

そのため、私は、スタッフに言われた通り、オーストラリアで実際に試行錯誤を繰り返して完成したアンケートをベースにして、日本のマーケット用にアレンジを加えつつも、あまり違いのないように作ることを心がけた。

その過程で、日本のスタッフにも修正を指摘してもらいながら、完成させたドラフトをCEOやGM、担当アドバイザーとシェアしてみたのである。

すると、CEOから、結構なダメ出しを喰らった。この一週間を費やして、作ったアンケートの質問が適切でないということであった。

私は、言われた通り、オーストラリアの顧客アンケートをベースにして日本の顧客アンケートを作った。オーストラリアでの顧客アンケートの目的はおそらく顧客の商品に対する満足度を知るためであったと考えられる。しかし、今回私が作るアンケートの目的は、日本のオンラインショップの売上が著しくない原因を探ることであった。正直なところ、アンケートを作りながら、この質問いる?オンラインショップ売上向上に関係なくない?みたいな疑問を抱いていた。

しかしそれ以上に、言われたことを忠実にすることが正しいと本能的に思っていた私は、その疑問を自分の中に無意識に閉ざしていたのであった。

「自分の意見を主張しなかった」

その結果、もう一度、手直しを要求されたのである。

こちらの文化では、なんで自分の意見言わんかったん?あほやん。みたいなニュアンスである。

なんで自分が思ったことを主張しなかったんだろうか?このインターンの自分の中での一つの目標が自分の意見を発信して、貢献するということであったのに、なぜ自分は意見を主張できなかったんだろうか?

自分の意識が薄かったのか?いやそうじゃない、自分の意見を主張することよりも、上司のいうことに従わなければならないという考えが専有したのだ。なんとも日本的であろう。(皮肉ぎみ)

あの時、自分が意見を発信することが必要であるという意識が、上司の言うことにロボットのように従うべきであるという意識を超えていたら、自分は意見を発信できただろう。

ここで、大きな発見があった。ここでは、上司の言うことよりも、自分の意見や考えに基づいて、自主的に働くことが求められる。そのため上司も部下の言うことに筋が通っていれば、どんどんそっちの意見を優先する。とても生産的ではないだろうか。

上司の言うことが百パーセントではないために、部下もクリエイティブになれる。フランクに、上司に意見をいうことができる環境があるのだ。そのため意見に多様性が生じて、より生産的になれるのである。チームワークがより効果的に発揮される

逆に個人個人が主張をできなくなったとき、それは危険をもたらす。誰かが間違ったことを犯そうとしているとき、それに対して主張することができる人がいなくなった場合、あたかもそれが正解のように感じられてしまう危険。本来はもっとクリエイティブな頭を持っている人たちが集まったとしても、それを自分の中に収めているだけでは、チームとしての相乗効果を生み出す機会を逃すだけでなく、誰かひとりのアイデアに収束され、クリエイティブなど元も子もない話になる。危険だ。

私が言いたかったこと、それは「自分の意見を主張することが大事である」ということは強迫観念でもなんでもなく、私たちが身をもって気づくべきことであるということだ。というより、自分の意見を主張することのできる環境づくりを実践していくべきであるということだ。

それは、自分の意見が、自分自身を表現する武器になるからである。その武器をもつことで、自分の力で、自由に動き回ることができ、またその武器が、チームの戦闘力を高めるのである。

戦場では、他人に頼ってばかりではいられない。自分で自分を生かすことが、チームの勝利に近づく。チームも個人に対してそれを求めるべきである。

チームワークが二の次であるといっているのではない。チームワークはもちろん欠かせないものである。武器がたくさん集まってこそ、戦闘力が二倍にも三倍にもあがる。主張をせずに従っているだけでは、武器はかぞえるほどしか集まらないだろう。自分の意見をお互いが言い合うことで、それがチームを強めてくれるのだ。

そのチームのなかで活躍するには、自分自身で答えを出して、決断を下す。自分を切り開いていく、自分の可能性を上げてくれるのは、自分の主張だけだ


相手に合わせるだけでは、もうだめだ。自分に頼り、自分で自分を切り開いていきたい。

相手に合わせるだけの社会の風潮もどうにかしたい。協調性は果たして必要なのだろうか?

このような社会を作るために自分ができることはなんだろうか?






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