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スターリングラードの攻防戦 - 息を飲む史実と戦略と

第二次大戦、ドイツ軍とソ連赤軍の間で行われたスターリングラードの攻防について。まず映画。

これは当時試写会に当選して観に行った。ウラルの羊飼いであり、幼いころから祖父に狼を撃つことを仕込まれていたヴァシリ・ザイツェフはソ連赤軍に編入され列車で戦地に運ばれていく。目的地に到着し、列車のドアが開かれると、そこはもう銃声の鳴る戦場。対岸のスターリングラード目指し、ドイツの戦闘機がガンガン撃ってくるボルガ川を命からがら船で渡ると、兵長らしき人物が大声で告げる。

「二人一組になってあそこに突撃しろ。銃は不足しているので二人で一挺だ!」

絶句する主人公。突撃するも次々に蜂の巣にされる新参兵たち。しかし、主人公は銃を正確に撃てる。得意の狙撃で敵将校を撃ち抜く。腕が認められ、狙撃兵として次々と成果を出し、戦地の英雄となるが、敵軍も凄腕のスナイパーを招集するという流れ。

映画として見応えがある。今まで3回は見返しただろうか。狙撃手同士の駆け引きもさることながら、冒頭のシーンがその後も記憶に残った。たまらず自陣に引いた赤軍新参兵たちが、敵前逃亡するなと味方から撃たれる(!)というシーンも含めて。

今度は本だ。上記映画を観てから10年近くあとの話だが、『戦略の本質』という経営書を読んだ。

執筆陣は、ナレッジマネジメントで有名な野中郁次郎や、軍事研究者で構成。戦略の本質は、形勢の逆転にありという視点のもと、近年の戦史から代表的なものを選んで分析。その中にスターリングラードの戦いがあった。

すでにソ連(ロシア)国土深く入り込んでいた当時ドイツ軍は、南下しカフカス地帯の油田やバクーを制圧することでソ連をエネルギー難に追い込むという「合理的な」戦略をヒトラーの命令で変更し、スターリングラードに矛先を向ける。同都市は軍需工業地帯ということで重要な拠点ではあったが、何より当時ソ連の最高指導者・スターリンの名を冠した街ということもあり、ソ連側は徹底抗戦する道を選ぶ。

ドイツ軍による圧倒的な火力と制空権のもと、あっという間に瓦礫の廃墟と化したスターリングラード。しかし、ここからソ連軍の戦略が機能していく。都市を無傷で防衛するのではなく、一区間でも良いから死守する。瓦礫を利用してゲリラ戦を挑む。いくら火力があっても最後に制圧するのは陸軍。瓦礫や廃墟に隠れ神出鬼没を繰り返すソ連兵には火力も無意味化し、一進一退を繰り返すしかない。冬将軍も近づいて来るなか、やがて援軍が到着したソ連軍は逆にドイツ軍を包囲→降伏という流れとなる。

同章の記述は数十ページだが、濃密だった。どんなに劣勢でも、戦場には必ず逆転の目は埋め込まれており、そのとき、相手の強力な武器や意思は弱点に転化する。スターリングラードの攻防は、後世において第二次大戦の趨勢を決する戦いの一つとして位置づけられている。本書で私は、戦略の醍醐味というものを学ぶことができた。(他にも、バトルオブブリテン、中東戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争、毛沢東の遊撃戦などの章がある)このような名著が現在amazonではユーズドで1円(!!)で売られているのが信じられないぐらいだ。

それから5年後、たまにはノンフィクションを読んでみようかと思った私は、前から気になっていた『スターリングラード 運命の攻囲戦1942~1943』(アントニー・ヴィーバー著)という本を図書館で借りた。

本書は新聞書評などでも取り上げられていのでずっと気になっていた。まあまあ分厚い一冊だが、(攻防に至る経緯も含め)一連の流れがこれまた多方面の分厚いファクト、それに基づく説得力のある解釈、読みやすい構成で整理されている。ヒトラーやスターリンの具体的な指示や思惑(の推測)は去ることながら、特に印象的だったのは、実際の戦闘の凄惨さ。

爆炎や爆音、立ち込める煙、崩れ落ちる建物、悲鳴などが目に浮かぶような記述。平地戦と異なり、密度の高い市街戦というのは凄惨さも凝縮される。それは現場にいる住民や兵士にとっては地獄だが、一歩後ろにいる軍事指導者(政治指導者)には分析・指示の対象であり、首都にいる指導者には(時差を交え)統計的データ、あるいは政治判断の対象物だ。指導者の腹次第で、その地獄はいつまでも固定される。個人の判断や力量ではそこから逃れることはまず不可能な状況だ。結果的に、およそ7ヶ月間の戦闘で、両軍併せ約200万にの死者を出した。住民も数十万人が死んだと言われる。捕虜となった数十万人のドイツ兵も、その多くがシベリアから帰ってくることはなかった。

それが戦争だと一般的な言葉で片付けることもできるかもしれないが、全体主義国家同士の戦いという点から導き出される結果とも言えるだろう。もちろん、侵略された側であるソ連は国土の防衛であったという点で、ナチスドイツと同等には語れないが、その戦力動員方法(や粛清の嵐)においてやはり特異であることは論を待たない。

ちなみに冒頭で紹介した映画『スターリングラード』に出てくるソ連とドイツのスナイパーは一応史実を基に描かれている。が、本当に史実であったかどうかは疑問視されており、兵士を鼓舞するための当時のプロパガンダが多分に入っていると言われる。しかし「二人で一つ銃」や「敵前逃亡すると味方から撃たれる」というのは事実らしい。

いずれにしろ、第二次大戦の結果というものが、現代の国際政治上でいまだ連続性を持つこと。そしてスターリングラードの攻防の生存者やまだ存命していることは確かだ。

映画で蒔かれた興味や疑問点は、学術的検証を経た専門家の書籍を読むことで、頭のなかの歴史空間を広げてくれる。映画は脚色もあるからこそ興味を強めてくれるし、本は言葉や論理で編まれてるからこそ思考を掘り下げてくれる。もちろん、上に挙げた作品だけで物事のすべてが分かるわけではない。当方一応、大学で歴史を専攻したが、研究者の持つ知見に比べれば、自分のそれが極めて浅いものだという自覚はある。それでも、世界への視野を広げてくれる映画と本の存在は何物にも代え難い。






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