見出し画像

忘れたぁあ~~~~!



口だけの人や、0→1を経験しない人には苦労がわからない。


復帰50周年で、沖縄は騒いでいる。
果たして、これはお祝いなのか?私にはわからない。

ただ言えるのは、記念日ごとがあるから忘れていたことを思い出すキカッケをつくることができる。

他をいえば、このワードを使って人を引き寄せビジネスとして世の中の人を魅了する方法にもなるだろう。

私は、生きれば生きるほどわからないことが多いことに気づかされ、日々勉強であり、目まぐるしい。

目まぐるしいと思う人もいれば、HAPPYな表現をする人もいるであろう。

私は、何とも言えないところだ。

技術が向上し、知識が増え役に立つどころか、
”使われる”のだ。

人は、自分をできないと判断し、人に任すことがある。

だが、それはできないのではない。

”やらないのだ。”

大変とわかれば、お願いもしずらいであろう。
私は、そっちだ。

技術を提供する代わりに、
対価(お金だけではない)があればウィンウィンになるであろう。

その引き受ける線引きがまた難しい。


まだまだ、思考が固いようだから見極められるようにこれからも、努力し続けなければならない。

これを見て思うことがあれば、素直に感想がほしい。

題を要すると、
いうのは簡単だ、やることに意味がある。
人を動かすのであれば、取引をする必要がある。
技術のある人にお願いごとをするには、対価をお支払いする必要があるということだ!

本題

今日は、メガネを忘れてめちゃくちゃ困った。

メガネの役割に感謝します。

メガネをかけた時、平和を感じました。(←使い方は違うのだけども)

以上。

平和とは何か
平和の反対は戦争でしょうか?違います。平和ならざる状態です。
聞けばそのままのようですが、その意味を説明します。
戦争のない状態が必ずしも平和とは限りません。
それは、戦争がなくたって、人として持つべき最低の権利をもっているか、不公平がないか、社会的暴力がないか、これらをすべて考えた上で平和な状態かどうか判断できます。
その中の社会的暴力についてですが、これは社会的に不公平があり、その人の潜在的人格を発揮できないまま生涯を終えてしまうことがあれば、そこには暴力があったといえるでしょう。その暴力とは、個人的な暴力とはもちろん違い、主語がわからない、見えないものです。
その社会からなる構造的暴力に侵されず、調和がとれて、そして、戦争がない状態であって初めて平和といえるということです。

https://www.gshs.keio.ac.jp/TOFU/peace.htm


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?