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電車が止まろうが何としても会社へ行くそこのあなた!!!

こんにちは!

RYOSUKEです!


皆さんに質問です!
あなたにとって会社とはどのような存在ですか?

捉え方は人それぞれでしょうが、
どこか「実体」があるような感覚を持っている人が多いと思います。
「うちの会社は」などという言い方もします。

しかし、冷静に考えると、会社に実体はありません。
あくまで幻想です。

幻想に過ぎないのに、時にそれが社員の心を殺すこともすらある。
私はその原因を構造化し、処方箋を出す。
それをやりたいと思っていました。

今回は、昨年の台風が明らかにした「日本の企業」の問題。
その仕組みについて迫っていきたいと思います!

昨年、9月に上陸した大型台風15号は、会社という幻想の暴走性を改めて浮き彫りにしました。
台風通過後のツイッターには「改札にさえたどり着けない」
「パニック映画だみたいだ」「完全に地獄図」など、
まさに人々が阿鼻叫喚する様子が次々と投稿されました。

その台風15号の影響により、首都圏の鉄道会社は始発から運転見合わせを余儀なくされました。予想外の被害によって運転再開の予定はどんどんと後ろ倒しになり、駅構内はすし詰め状態、、、、
入りきれない乗客たちが駅の外まで長蛇の列を作っていました。

この時、駅にいた多くの人がこう考えていたのではないでしょうか。

「それでも、会社に行かなければーー。」

あるいは、こう考えていたかもしれません。

「本当に、会社に行く必要があるのかーー。」

もちろん絶対に会社に行かなければいけない方がいたのも事実です。
その一方で、会社からなんの連絡もなかったから、
とりあえず行こうとした方も大勢いたはずです。

もしこれが休日だったとして、
プライベートで友人と約束していたらどうでしょうか。?

「今日は当然、やめておこう」とたった一言連絡し合うだけで、
互いに心身を消耗することなく、自宅で平和に過ごすことができたと思いませんか?

では、どうして個人と個人で可能なことが、個人と法人、
つまり会社に対してはできなくなってしまうのか。

それは、法人は真の意味で人格を持たないから、、、なのです。


頑張る会社ほど病に冒される


法人という集合体になった途端に、
そこに属する個人の人格が無視されることがあります。

1人1人で見ると、血の通った個人。
でも、それが集合になるといつに間にか、会社という巨大な怪物に成り果てているとでも言いましょうか。その時個人は、怪物の成長のための「犠牲」「生け贄」となることがあります。

「何を当たり前なことを。。。」

と思う方もいるかもしれません。

ですが、問題はそこではありません。
真の問題は、個人は法人に対してなぜか「生き物」のように
感じてしまうことがあることです。
会社に限らずですが、自らの所属するコミュニティーを一つの生き物のように扱ってしまう感覚は誰しもが持ちます。ですが、それは冒頭に申し上げた通り、幻想に過ぎません。

例えば、「うちの会社って〇〇なんだよね」という言葉をよく聞きます。
では、その「会社」とは何なのでしょうか?

それは事業の集まりです。
事業は部署の、部署はチームの集まり。
そしてチームは個人の集まりです。

にもかかわらず、その個人の集合体に、私たちは何かしらの一つの人格を与えてしまうことがあります。結果、「〇〇さんが期待を裏切った」というように、企業に対しても失望をいだくことがあります。
直近の老後資金2000万円問題なども構造は同じでしょう。
国が裏切った、という時、人は本来実態のないはずの国を「1人の血が通った人格」として見なしているのです。

台風の影響で改札に入れなかろうが、満員電車だろうが、交通手段が残されているのであれば、いつもどおり会社に来て働いてくれればいい。
これまでもそれが当たり前だったし、みんながそうしている。

会社がこのように考えているとしたら、
それは一つの病としか言いようがありません。
私は、この病に、「魂なきバンカー」という名前をつけました。

魂なきバンカーは、目的なき成長によって引き起こされます。
会社はもともと、小さなプロジェクトからスタートしています。
創業者は成し遂げたい夢に溢れていたはずです。しかし、その創業者が去り、何世代も経つと、かつての思いや思想は忘れ去られて行くことが多々あります。

思いの実現のための手段だったはずが資産に対する認識が変化し、いつの間にか資産を維持、膨張させることだけが目的となってしまうのです。
それだけならまだいいのですが、問題はその目的のために社員の心を殺してしまうことです。個人の心を殺してまで作られる会社の成長、それは絶望にほかなりません。

私はこれまで世の中は4つの異なる役割が互いに調和しながら発展してきたと考えています。わかりやすいように国で表現していますが、これはどこの会社や組織にも当てはまる分類です。

「魂なきバンカー」は、そのうちの一角を占める「東の国」で顕著に現れます。詳しくは『分断を生むエジソン』をご覧いただきたいのですが、
4つの国の特徴については以下の通りです。

東の国:伝統的経済の中心地。アメリカで言えばニューヨーク
西の国:技術革新が生まれる地。アメリカで言えばシリコンバレー
中部:ルールを執行して全体最適を目指す。アメリカで言えばワシントンDC
南部:上記の3種以外の、生活や家族など実生活に主義を置く人々。
数が一番多い

あなたの周りにも、伝統的なやり方を大切にしている方もいれば、
新たな挑戦に価値をを置く方もいるでしょう。


東の国はどんな国か

東の国は、経済や組織を重要視する集まりです。
アメリカならニューヨーク、日本なら丸の内に本社を構えているような、上場企業や伝統的な大企業が該当するでしょうか?
全体としてはやや保守的だと思います。

これまで日本の経済を作るという重要な役割を果たしてきました。
ただ、何より成長を重視してきたが故に、
行きすぎると目的なき成長=魂なきバンカーという病を患ってしまいます。

人はそもそも、自分の身近な5人を通じて世界を認識すると言われています。これは、冒頭の満員電車の話も同じです。
なぜ、人は集団になると、適切な行動が取れなくなるのか。
それは周りの5人だけを通じて世界を認識しているからです。
自分を除いた、他の身近な4人が取る行動を見て、自分もどう振る舞うのか?を決めているのです。

しかし、冷静に俯瞰してみると、どう考えてもおかしいことが世の中には沢山あります。それを理解するには、今自分たちは、どんな場所にいて、どんな役割を期待されているのか?をメタ認知(自身の認知のあり方を、俯瞰して客観視して捉えること)することからスタートするしかありません。
魂なきバンカーの病、それはミーム(人間が文化として繋いで行くべき習慣や情報)の消失にこそあります。

私たちは気を抜くと、役割が同じ人を「自分たち」役割が異なる人たちを「他の人たち」と区別することが往々にしてあります。

狭い世界認識は多くの人々を不幸にすることがある。
だからこそ、人々は広く正しい視点で世界を再認識する必要があるのです。
これからの時代は分断を生み出すのではなく、4つの国のそれぞれの価値観を調和し、分断を繋ぐことのできる中間のリーダーが求められているのです。


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