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さてと・・・病院に行くか。

救急救命士兼セラピストのまりあです🌺
今回は私自身の経験について・・・


心の異変と身体のSOS

大好きだった救急から一般に異動になり、多忙ではあるが行き場のないモヤモヤが心を覆い始めた頃。人よりも声が通り、そして声質は低めで高齢者からすると聞きやすい声であったためコミュニケーションもうまく取れていた。沖縄特有の方言も育ってきた環境上、全く苦ではない。仕事自体もやるべきことはやる。(そこは徹底した)そんな人間だった私。

しかし自分自身でふと考えたとき・・・いや考えることはなかった。文字通り”虚無”。同僚と話せば笑顔も出たし、意見があれば率先して発言した。部署での研修項目である急変時対応のインストとして自らの知識や判断を教えるという立場にもなった。

それでも1人になれば目の前が真っ暗になった。虚無感に加えここ数年ご無沙汰だった感情ーーネガティブ感情ーーが沸々と湧いてくる感覚。暗い部屋で泣いたりもした。家事を放置することもあった。夫や子どもに当たり散らすこともあった。今考えるとゾッとする。

心だけではなかった。
いつの頃からか持続する腹部全体痛。気象病とは関係ない頭痛や回転性のめまい。嘔気と血便。心窩部の鋭い痛み。

バレるのが嫌で他のクリニックから対症療法として処方をもらっていた。きっと大半の人は「いつも元気なまりあさん」のイメージだったと思う。


心療内科を受診した日

「この感情・・・流石にやばいな。」
ふと思い立った私は心療内科を受診した。この受診は我ながら良いタイミングであったと思う。見極めた(?)私のスキルを褒め称えたい。


「とみやまさん・・・双極性障害になりかけているかもしれない。」


想定内であった。なんとなく心と身体の症状から予測はできた。(医師からの説明は省略しています。)そこから約1年ほど心療内科へ通院し内服治療をした。誰にも言わなかった。家族にも同僚にも上司にも。こんなにも元気な人がまさか・・・と同情され気を遣われるのが嫌だったのかもしれない。


双極性障害について

気分が高揚している状態(興奮状態)と気分がとても落ち込んでいる状態(抑うつ状態)が混在している病態。原因は様々あるが、誰でもなり得る疾患である。薬物治療と心理社会的治療があり、私は並行して治療を行った。

すべての根源はストレスにあり、ストレスの除去が一番望ましいと医師に言われたのを覚えている。確かにここ数年、会社のストレスチェックはALLフルストレス。あんな紙切れでも多少合っていたんだと笑ってしまった。


子どもたちからのメッセージ


「他の子たちはママが迎えに来るのになんでママはお迎えに来ないの?」
いつもの変わらない日常・忙しない朝にポツリとこぼれた長男の言葉。


何かがプツンと弾けてしまった。
当時4歳だった長男にこんなことを思わせていたんだと。家事も育児もそつなくこなしているつもりがしっかり寂しい想いをさせてしまっていた。何度も言うがまだ4歳の長男。気づくと何年振りかに号泣していた。母親の泣いている姿を見たことがなかった子ども達は困惑している。でも止まらなかった。母親として最低だと我ながらに思った。よくよく考えてみると仕事から帰ってもハグもしない(感染が怖くて)、すぐにご飯の用意と翌日の準備(必死)、基本私は立ち食い、お風呂も子どもたちを入れてから私が入っていた。

仕事復帰してどれだけこの子たちと向き合っていたんだろう?
「ママは鬼舞辻無惨みたい。」そう言われたこともある。
甘えたい盛りの子ども達の目に映るママが鬼の頭領に見えること自体あってはならないことだと思う。(今は可愛いそうです。)


いろんな事象が重なっての退職となった。
「このタイミングで・・・」と言われたりもしたが辞意にタイミングなんてあるかよ(おっと失礼しました)と開き直った。



人事課との話し合いと病院救急救命士の現状

退職まであと1ヶ月となったタイミングで人事課と話し合った。
というのも前職の部署統括形態はやや複雑であり、一般的に異動や経理を担当する人事課と私の所属である看護部は完全に切り離されている。故に看護部所属の人事に関しては風の噂として人事課の耳に入るだけで実際のところ私が約3年間も一般にいたという情報は初耳だったらしい。(なるほど、だから給与明細所属欄は救急だったのか。)この人事形態には当の人事課も頭を悩ませているらしくそれを踏まえての話し合いだった。

救急救命士はまだ歴史が浅い。看護師と比べて確かに知識も浅いと思う。しかし知識量を引き合いに出すということ自体間違っている。そもそも学習領域が違うのだから。「病院前救護」「緊急度重症度判断」と「看護領域」。求められるスキルも知識も違うからこそお互いにいいところを出し合って患者にとっての最善策を追求できると思っている。給与面もおそらく取るに足らない。そこら辺をどうにかしないと病院救命士は入ってこないと伝えた。やりがいも経済面もカットされるならやらないに越したことはない。


上層部に何度も言われた「救命士は知識がないから」という言葉。
患者の状況・優先順位・呼吸管理・モニター管理・心電図読解・アセスメント・・・そもそも知識は無限。あるもないも勉強するもしないも自らの意識次第だと思う。

当時20代の若造に「何言ってんだ」と揶揄される上層部に期待はなかった。



退職して5ヶ月後(余談)

前職からハガキが来た。

「また機会があればお会いしたいです。」
「遊びに来てください。」
「働きたくなったら連絡ください。」
〜求人募集のQRコードを添えて〜


ほほう・・・なんという図太さ。
とりあえず燃やしました。

補足
※双極性障害に関しては様々な方の意見があるためここでは私に実際に起きた事例のみにフォーカスしています。必ずしも皆さんが私のようになるわけではありません。現在は退職したことで症状安定し薬物療法も卒業・通院も終了となりました。(改めてストレスってやばい。)


長文にお付き合い頂きありがとうございました。






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