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『ラズアリィ』碧路ミアル――感想

こんにちは、しおりです*

今回は、読んだ本の感想を言うコーナーです!
碧路ミアルさんの『ラズアリィ』を、紹介したいと思います。イラストは、佑真さんです。

実はこの本、去年(2019年)の十一月の文学フリーマーケットで手にした作品です。こっそり買いに行ったのですが、正直に白状すると、私は買うとき、ミアルさんの笑顔にやられてしまいました(笑)

まず目を惹くのは、可愛らしい装丁なんですね。
表面は、まず、大きく可愛らしい字で「ラズアリィ」の文字。「ア」の字が、三十に重なっているのですが、強烈なインパクトがあります。それにしても「ラズアリィ」ってなんなんでしょうか――作品で明らかになるのだろうか、と期待感が膨らみます(考察は、後ろ!)
そして、その題名の左側には、河川敷に佇んだ一人の黒髪ロングの女の子の絵。彼女の足元くらいの位置に、”私は、どうしようもないくらいにひとでなしだった。”と書かれている。
こ、こんな可愛い子が、ひ、ひとでなしだなんてそんな――なんて思いながら、今度は裏面に注目する。

裏には、先ほどの女の子が、バストアップになって、大きな口を開けている絵が大きく描かれています。
しかし――表面の時点でも気になっていましたが、少し愁いを含んだ表情なのは気のせいでしょうか――多分「人でなし」という言葉を見たせいもあるでしょう。
裏面には、ミアルさんによるあらすじが書かれているので、ちょっと写してみたいと思います。

無気力・無感動・無関心。
毎日をただ淡々と消費する少女、
久地原莉璃佳。
夏休みに入ったある日、珍しく
電話が鳴る。
それは一か月前に罰ゲームで
付き合った同級生からの電話だった。
『普通』に縛られた
自立人形は自己を
失い歪み捻じれる。
己が内を直視した
その先にあったもの。

そしてその下には、”これはどうしようもない/ひとでなしの、/どうにもならない物語”と表記されていました。
文字は以上です。

ミアルさんとは、日頃からツイッターで交流させていただいていますが、
独自の世界観を緻密に、こだわりをもって作っていらっしゃる方なんですね。
それでいて、登場人物の内面の分析を、全く妥協せずに行い、その緻密な世界観とうまく調和させて、一つのミアルワールドを作り出している。

今回の『ラズアリィ』も、ミアルさんによれば、高校生莉璃佳の過去話(どうしてこういう性格になったのか――)を掘り下げた作品でして、そのワールドの一部を構成する作品になっています。
読んだ後の今となっては、ほんと、ミアルさんの他の作品も読みたくて、本当にうずうずしてしまっている――簡単に言えば、一度ハマったら沼が深いタイプの物書きさんです。

なんてこった――というわけで、みなさんにもこの作品を是非読んでいただきたいので、ミアルさんのツイッターを(勝手にでごめんなさい)紹介します!
https://twitter.com/Msapphireroad?s=20

ここからはネタバレです。
読んでらっしゃらない方は、極力読まないでください!

***

まず、大雑把な感想を言えば、本作品は、主人公の成長ぶりが、本当に素晴らしくって――というか、周りの人物に助けられながら、自分で悩んで、もがいて、自分を発見して――という過程が、素晴らしく心を打つ作品でした。
この表紙の女の子――この子が、主人公の久地原莉璃佳ですが――が、本当に変わってて、でもどこか共感できるところもあって、この子と一緒に、自分はどうか――と悩むことができる。
読んだ後も、そばに置いておきたいお話――でした。

さて、あらすじをかいつまんで言うと(本当は、あらすじしたくないのですが)、ある日久地原莉璃佳は、表紙の裏にあった通り、罰ゲームで一週間付き合った男性――坂内翔――に電話で河川敷に呼ばれます(表紙の場面を想像しますね!)。
それで、河川敷に来てみれば、莉璃佳はなんと、坂内に「俺と、付き合ってくれ」と告白をされるんですね。

このシーン。既に、多くの伏線が貼られていることが分かります。まず――一週間前の罰ゲームでのこと。坂内が莉璃佳に出会ったとき、第一声が「元気……してたか?」と言う部分は意味深長です。この時点ではまだ、詳細は分かりません。
「来ねえかな」(と思っていた)、「そうだけど……そうだけど」と坂内が莉璃佳に言う部分。莉璃佳はこの時点ですでに、常軌を逸した性格であることが分かっています。例えば、彼女がお母さんの死に際に泣けなかったこと、母に、「『普通』でいなさい」としきりに言われていたこと。何かを描写する際に「『普通』の人は――」と強調していることから、彼女は自分のことを『普通』と思っていないこと――。ここらへんで、読者の頭にも、『普通』ってなんだろう、という疑問がきっと浮かんでいるはずです。
莉璃佳は、特段その『普通』が分からなかった――そんな彼女が、「俺と、付き合ってくれ」と言われたときの反応は、すこぶる秀逸です。

 子どもたちのはしゃぐ声が耳を通り抜ける。蝉の鳴き声はいつまでもいつまでも延々と鳴り響く。
 あぁ、夏なんだな、と今になって。七月ももう終わりだったっていうのに今になって。外にもっと出るべきかな、って柄にもなく。
「ごめん。付き合えない」
 久々な人との会話に言葉がつまるかも、と思っていたけれど言葉はするっと口を出てくれて安心した。

――これはすごい。
「俺と、付き合ってくれ」という、きっと中学一年生なら情熱的に映る言葉を同級生の異性から言われたにもかかわらず、「耳を通り抜ける」のは「子供たちのはしゃぐ声」。「蝉の鳴き声」――これは、夏場の、ちょっとイライラするときなんかに、耳に入ってくることが良くありますが――が「いつまでもいつまでも延々と鳴り響く」というわけです。

「ごめん。付き合えない」すら、決して、告白された動揺から言葉がつまる――これは、『普通』の中学生に考えられる反応ですが――ではなく、「久々な人」だから「言葉がつまる」かもしれないと考える。「言葉はするっと口を出てくれて安心した」とは、中学生にしては、なんと他人事のように喋るのか!

そういうわけで、坂内はあえなく告白に撃沈し、振られます。しかし、振られ方も釈然としない。
坂内は、振られた理由が、(当然かのごとく)「一週間前の出来事」に起因するものだと考える。この「一週間前の出来事」は、これを読んでいる時点ではわからないんですが、本当に酷いですよ。もうね、私なら警察に連れていきますね。まあ、それは置いておいて――そんな坂内の予想に反して、莉璃佳は全く別の理由を答える。

「ちがうよ」
「じゃあなんで」
「――私は駄目だから」
 坂内の動きが止まる。
 たとえ私たちが静かにしていても、子どもたちの声も蝉の鳴き声も止まらない。私がいてもいなくても、私が無価値だという事実を裏付けてくれるように。
「……ダメって、は?」
「駄目なものは駄目なんだよ。誰とも付き合えない」
「……いや、意味わかんねえよ。なんか俺じゃなくても無理みたいな言い方してっけど」
「うん、誰とも付き合えない」

つまり、莉璃佳は、坂内の申し入れを断ったその理由を「私はダメ」――自分の「無価値」さが原因で付き合えないというような答え方をしているわけです。
この時点で、坂内と莉璃佳のすれ違いは非常に大きい。この時点で、読者もとい私は、強烈な違和感――今後の展開に興味をそそられる違和感――を持つに至るということです。

さて、結局、二人は、坂内の熱烈なアプローチのもと、莉璃佳の「駄目」な部分を矯正するための訓練が始まります。
この時点で重要な概念も出そろいます。坂内が莉璃佳を好きになった理由である『強い』ということ、莉璃佳の追い求める『普通』、そして坂内が莉璃佳に対して持っていた「憧れ」――この三つの言葉が、この群像劇の核となる大きなテーマであり続けることになります――が、字数が足りないので、これはまたの機会に……。

――正直に言えば、今回の作品に出てくるキャラクターは、全てが各々の在り方で重要なのですが、私がその中でも一番強烈に映った、河坂雅と言う人物を挙げておきたいと思います。
彼女が、今回の物語の引き金であり、トリックスターなんですね。彼女は、坂内の友達であり、坂内の憧れの存在なんです。
喧嘩をやらせれば最強、端から落とされて骨折になってもそのまま通うという武勇伝――そして、何より自由奔放で気まま暮らしな性格が、とりわけ坂内の興味を誘う。

莉璃佳は、そんな彼女と出会い、会話を通じて、感情を揺さぶられる。自由気ままな雅と、『普通』が分からず取り繕おうとする莉璃佳。正反対だけど、なぜか雅は、自分のことを何か知っているかのように振る舞う。そして、物語終盤。この物語の中で、一番重要な章「リアライズ」。そのなかの、雅の、莉璃佳に対する言葉を挙げておきます。

作中の事件の復讐によって坂内は命を落としてしまいます。すっかり傷心してしまった莉璃佳は、ある日、雅に呼ばれて一緒に遊ばされる羽目になる。
しかし、それは慰めではなく、次第に言葉が口論みを帯び始める。雅は、本当は莉璃佳は傷心なんかしていないんじゃないか、しているフリをしているだけじゃないか――と詰め寄る。莉璃佳はそんなことないと反論するが、雅は非難の言葉を止めない。そして一言、「そんなのただ周りに興味ないだけじゃん」と言い放つ。

「他人なんてどうでもいいからじゃん。回りくどいのめんどいからはっきり言うけどさ。あんたのそれ、強いんじゃねーよ。どうでもいいからだよ。せっかくだから教えたげる。あんたの好きなものは楽しいこと。あんたの興味は楽しいこと。あんたが求めるのは楽しいこと。それ以外はどうでもいいの。あんたの根っこはさ、どうしようもないくらいの楽しいこと大好き人間。自分の欲望にしか興味がないの。だっつーのに、なんかしんないけどわっけわかんないセーブかけててさ。わざとやってんのかな、って最初思ってたけど今日ずっと見ててわかったわ。見て見ぬフリってやつじゃん。それも自分でも気づいてないってやつ。現実逃避。自分をかわいそうなやつ、って演出するためのウソでもなくて、無意識にメッキまぶしてるだけ。どうしようもないくらい自己中で快楽主義者だっつーのに、なんか別のロックかけてちぐはぐになってるだけ。よーするに、あんたを一言で言うとさ」
ただの、ひとでなしなんだよ。

そして莉璃佳は、今度は、雅と自分との差に悩み始める。実は、自分もただ自由奔放に生きているだけなんじゃないか――人のことに興味がない「ひとでなし」なのではないか――。
莉璃佳は、確かに、坂内――自分が楽しい人だと認めて付き合った――が死んだときも涙の流さなかったことに対する異常さを心のどこかで認めていた。それが、雅にあっという間に看破されて、動揺してしまうわけです。

そして、莉璃佳は、様々な人に、自分は「ひとでなし」なのではないか――と聞いて回るわけですね。そして、海外から強制的に帰ってきた父――莉璃佳は腹部を刺されたんですね――にも、同じことを聞くんです。
その時の言葉は、私はきっと、この作品で一番ドラマティックに響いたセリフだと思いました。挙げます。

流れは、父に、今まで死んだ母親に対して抱えていた悩み、自分がこれまで考えていたこと――「ひとでなし」のこと――を父に吐き出すんですね。
そしたら、父は母との出会いを話し始める。そして、莉璃佳を育てていたときのこと、特に『普通』の子じゃないと、二人が悟ったときのこと、その後の、母親の奮闘のこと――莉璃佳はその言葉を聞いても、どうしても納得できない。というのも、父の語る母親像は、余りにも自分のそれとかけ離れていたからです。
しかし、父は母が莉璃佳に、彼女はあくまで「『普通』を識ってほしい」と言うことに徹していただけだと諭す。そして、その後のことです。

「ここでひとつ、しっかりと聞いてほしいことがある。良くかみ砕いてのみ込んで考えてほしい。『普通』でいてほしい、とは言ったけど、『普通』になれとは思ってないんだ」
「なぞなぞ?」
「はは。そう、かもしれないね。莉璃佳をいて、心のない人間になってしまうんじゃないかとか社会に出られないんじゃないか、だから『普通』であれとは思ったけれどね。そこは目指すべきゴールじゃないんだよ。あくまでね、手段なんだ。どうして心ない人間や社会不適合者になったらいけないと思ったか。言ってしまえば、結果的にそうなってしまったならそれはそれでいいと思ってるよ。お父さんも。それからお母さんも。わかるかな?」

「結果的にそうなってしまったならそれはそれでいいと思ってるよ」、父のこの言葉に、初めて、莉璃佳は何か一つ、心を動かした。
だから、最後の「本気で考えて出した結論なら、それが莉璃佳の幸せに繋がっていくから―――――」という説教が、ダイレクトに響いた。大事なのは、目指すべきゴールとして『普通』を設定すべきではない。『普通』を知ろうともがき苦しみ、「幸せ」につなげることが大切だというわけです。

これは、目的論的な静的生から、動的生への転回と言ってもいいでしょう。大事なのは、悩みを解決することではない。悩み続けること。『普通』であろうとすることじゃない、『普通』でいること。それがたとえ結果的に『普通』じゃなかったとしても、『普通』でいようともがき苦しんだのなら、「それはそれでいい」のだ――。
これこそが、この章の「リアライズ」と言う名前につながるわけです。realizeとは、現実化するが直訳ですが、他にも実現するとか、気づくとか、夢を叶えるとか――そんな意味を含む多義語です。莉璃佳は、自分の在り方に気づき、『普通』を絶えず実現し続け、幸せに繋がろうと努力する道を選ぼうとする――直近では、高校受験、を頑張る――そしてそれは合格する――ということです。

そして「ラズアリィ」というタイトルですが、これは私の予想に過ぎませんが、「リアライズ」のアナグラムなんですね。
これはきっと、莉璃佳の中で実現しつつあった、「莉璃佳」本体が、作中ではずっとちぐはぐだった――そんな心のうちを示しているんだと思います。
それが、「リアライズ」という章の名前として提示し直され、莉璃佳もリアライズした――そういう、複数の意味を担っていたのかもしれません。
読者は最初、莉璃佳の性格がいったい何なのか(無気力・無感動・無関心という言葉で表されていましたが)分からず宙づりになっていた――これもまさしく「ラズアリィ」です――が、この章で、この莉璃佳という女の子の性格が心の中でリアライズした。

この「ラズアリィ」→「リアライズ」はそういう、多重の意味を担った言葉として、この作品の中で機能している。
初めて読んだとき、本当に、胸になにか込み上げてくるような気がしました。私の「リアライズ」は何だろう――その問いを掲げると頭の上に「ラズアリィ」がふわりと浮かびます。

――拙い感想で申し訳ないですが、この辺でしめたいと思います。
とにかくよかったです。こんな読書体験を――ありがとうございます。
はぁ、私も、頑張らなきゃ――リアライズを目指して。

では!

落葉しおり

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