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#21 『マムシハンター秋山さん』(佐賀)

話し相手JAPAN TOURとは


『秋山さんち』

「どこまで行きよるん?」
「えっと・・・とりあえず、雨をしのげる一番近くの駅にでも行こうかと」
「ん、乗り」
「あ、はい」

やっぱり6月というのは梅雨でジメジメしてる。
足止めを食らったのは、佐賀競馬場前のバス停で、横長に6畳ぐらいあってベンチも長くて意外に居心地がよかった。ただ、いつまでもココに居てる訳にはイカンし、でもこの雨では動かれへんし、ココまで来てバスには乗りたないし。

そんな前向きでも後ろ向きでもない、その場的のような事をずっと考えてた。人生のうちでこんなにバス停を一人占めしたのは初めてだ。

小降りになったのと、バス停に飽きたので、だましだまし歩いて佐賀(市内?)まで残り18キロのところまで来た時、歩いてた横に車が止まり誰も乗ってない助手席側の窓が開いた。
運転席から身を乗りだす訳でもなく、わりと静かに

「どこまでいきよるん?」
「えっと・・・とりあえず、雨をしのげる一番近くの駅にでも行こうかと」
「ん、乗り」
「あ、はい」

なんていうんやろ、一言で表現すると『怖かった』
(なんでこの人は声をかけてくれたんやろ?)
(たぶん50歳前後やろうな?)
(この道は駅に向ってんのか?)
(もし乗るのを断ってたら・・・)

静かな車内でいろんな事が浮かんでは消えたりしてた時に

「駅で野宿するんやったらウチに来るか?」
「あッ、えッ、いや、でも」
「イヤやったらかまわんけど」
「いえ、お願いします」
(なんでやろ?なんで断らんかったんやろ?)
(どんどん田舎道に入って行ってるんちゃうの?)
(もしかして一人暮らし?・・・いやいや、まさかなぁ?)
(今からでも遅くないかな、駅に行ってもらった方が、雨が降ってて、暗くなってきて、まわりは田んぼだらけで・・・)

と、いろいろ考えてるうちに車が止まった。

「なんもないし、古いとこやけどゆっくりしぃ」

でかい玄関、2階のないかわらの屋根。車から電話して事情を説明してた訳でもないのに、奥さんは快く迎えてくれた。

家に帰ってスグ、高校3年生のミナコちゃんに数学を教える秋山さん。国立の広島大学を目指す受験生の娘に数学を教えられる父親って、そうはいてないと思う。
いや、教える事のできる父親はいてるやろうけど、こんな親子関係の家がどれくらいあるんやろ?と、ぼんやり思ったりする。

中学3年のタクヤくんは、秋山さんのお姉さんが勉強を教えてた。ここには家族がいて家庭があった。

「さて、食事にしましょ」

お母さんのひと声で、勉強タイムが終了。みんなが食卓についた。なんて、なんてラッキーなんや?メニューは、すき焼き。

当り前のように親戚のノブユキさんがおかずを持って、なぜか近所の人も秋山さんちにやってきて、大人数での『いただきます』だった。

人もテーブルの上も賑やかで、食事以上に大事な時間をもらった気がした。
食事の後、でかくて天井の高い風呂に入り、家族みんなが集合して、これまでの『話し相手JAPAN TOUR』の話を聞くという時間が設けられた。

佐賀1

東京から歩いてきた事、とはいえ、途中ちょいちょい車に乗せてもらった事
横浜に着いてスグ帰ろうと思った事、とはいえ、いつのまにか九州まで到着して、ここにいる事
三ノ宮でお世話になった事務所や広島で一緒に歩いたオッサンの事
これまで出会った人たちと、お世話になったようななってないようなホームレスの人たちの事

そして消灯時間。

朝起きても雨は降ってた。朝食をいただき、おにぎりを持たせてもらって、みんなが見送ってくれた。

仕事に向う秋山さんの車で雨をしのげる近くのバス停まで送ってもらった。秋山さんは物静かな人で、やっぱり車内は静かで
(なんであの時、秋山さんは声をかけてくれたんやろ?)
いつのまにかバス停に着いた。

「あの、秋山さん、住所を・・・」
「縁があったらまた・・・」
「そぉですね・・・」

秋山さんと別れ、1時間程たっても雨はやまずにバス停にいた。正直あまり動きたくもなかったんで、ボーッとしてたら見知らぬ車のクラクションが鳴った。車の中には、昨日おかずを持って秋山家にやってきたノブユキさんがいた。

「マナブさん(秋山さん)に、この雨じゃ動けんやろうから、車で佐賀まで乗っけてけって言われてね」

そう言って、佐賀駅まで送ってもらった。きっと縁があったんだと思って、秋山さんの住所を教えてもらった。

東京に戻ってライブをする時【話し相手JAPAN TOUR】でお世話になったみなさんに、チラシと一緒に手紙を書いたんですが、秋山さんちのみなさんにも手紙を出しました。
秋山家のみなさんから激励の返事を頂きました。

実はもう一枚封筒が入ってました。そこには、マナブさんの奥さんの文字で「スタッフのみなさんで美味しいものを食べて頑張ってください」と書かれた手紙と、マナブさんからだと、1万円が入ってました。

20年後にnoteに、ツアーでのアレコレを書きながら思い出して、また、手紙を引っ張り出して読みました。
元気をもらいながら、秋山家のみなさんが元気で過ごしてることを願いました。あの日の雨にも感謝しました。

で、手紙を読んで思い出したんですが、マナブさんは、マムシ取りの名人、『マムシハンター』なんです。この年は、110匹捕獲したと手紙に書いてました。しかも、素手で。

マナブさんが、あの時声をかけてくれたのは『マムシ取り』のバイトを探してたのかも?と思ったりもします。



『佐賀のたい焼きは、あんこタップリ』

「これ、お母さんに渡してください」

そう言って渡してくれたレシートの裏には、メッセージが書かれていた。博多の西鉄コンコースでの『話し相手』に、イクヨちゃんという子が来てくれた。

「ここから先は、どういうルートで鹿児島まで行くんですか?」
「まぁ、熊本に向かうか、長崎に向かうか」
「え?佐賀は?」
「ん〜〜〜〜〜佐賀かぁ・・・」
「佐賀、行きましょ!!」
「佐賀なぁ・・・なんかある?」
「実家があります」
「実家、佐賀なん?」
「佐賀で、タコヤキ屋やってて、県立病院の裏にあるタコヤキ屋に、是非寄ってください」

と言って、レシートの切れ端に『お母さんへ。この人にお世話になったので、たい焼きを1コあげてください。』と、丁寧に書いてくれた。

タコヤキ屋さんだけど、たい焼きもやってて、タコヤキじゃなく、たい焼きをあげてくれと・・・オモシロイ。

イクヨちゃんには、三ノ宮でお手伝いした『あんこヒッソリなタイ焼き』の話をして、実家のたい焼きのあんこの量を聞いてみたら

「タップリです」

と自信満々だった。佐賀駅に着いて、まず探したのが県立病院。ちょっと距離は離れてたけど、自分の中では、10キロ以内は寄り道レベルになってる。

レシートの切れ端を握りしめてタコヤキ屋を探しに向かった。

あったぁ!意外にすんなり見つかった『たんぽぽ茶屋』イクヨちゃんのお母さんが「寄ってくれたんだ!」と、笑顔で迎えてくれた。そして、「娘から聞いてます。はい」と、あんこタップリのたい焼きをいただいた。

佐賀2

イクヨちゃんの事も知ってる常連の田代さんという人が「じゃあ、俺は」と言って、買ったばかりのみかんをくれた。

もちろん、タコヤキは買わせてもらった。大阪人が、佐賀でタコヤキを食べる・・・なかなかない風景だ。具材とは別に、なんかいろいろ入ってて、美味かった。帰りがけには、レシートには書いてなかったソフトクリームを頂いた。

イクヨちゃん、歯は大丈夫なの?お母さん、心配してたよ。たまには佐賀に帰りなさい。歩けば、2日で帰れるから。


次回は、長崎の話。

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