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小説 電子禁煙 最終章 復讐と呼応

 退職してサラリーマンという肩書を失い、退職の目的であったアプリ開発は法律によって禁止され、アプリがなければログの解析も必要なくなり、24時間ひっきりなしに届いていた苦情要望罵倒のメールも当然来なくなった。アプリのために人生の舵を大きく切り、アプリのための生活をし、アプリのために喜怒哀楽を発生させていたのに、もうアプリとは関係がなくなった。それによって、いつしか何者でもなくなったシメジの手元には巨額の貯金だけが残った。何もすることがなく、する必要もなくなく、しなくても生きていけるシメジは、日がなベッドに寝ころび、天井を見つめて過ごした。天井のクロスの継ぎ目だけが自分にとっての直線であった。

 シメジは、NTにいた頃の自分を振り返ってみた。広報部に配属された自分は突飛な企画ばかり提案していた。それがイケてるクリエイティヴィティだと思っていた。広報の何たるかも分からずに、企業のメッセージを伝えることよりも広告というフォーマットを使って自己を表現しようとしていたのだろうか。若さゆえ。あの頃はどうして採用されないんだと、却下し続ける上司の見る目のなさを嘆き、余計に尖ろうとしていたが、今となれば却下されたのも当然のように思えてきて、そう思えるようになったのは、嵐のような喫煙アプリの狂騒を経て、波乱や斬新に疲れてしまったが故の帰結なのかもしれないと自分なりに分析した。販売促進部に異動してからのことを思い出してみたが、ごっそりと記憶はあいまいだった。それは何も仕事を与えられていなかったから何をしたのか覚えていない、というだけではないような気がする。観葉植物と上司と同僚。無気力だけで満たされたあの職場でどうしてアプリを作ろうと思ったのか。企画を認めてくれなかった会社や上司に対する復讐のためだったのか。いや、そんなネガティブで大袈裟なものではなくて、一泡食わせてやろうというぐらいの軽い気持ちだったか。誰に対して。自分にとって反撃したい相手などいただろうか。特定の誰かという相手に対する攻撃などではなく、自分の企画が通らなかったことへの再チャレンジぐらいのものだったろうか。空回りしていた自分に対するやり直したい気持ちなのか。ほんの少し昔なだけなのに、自分のことなのに、気持ちが分からなかった。自分では捉えきれない何かによって駆動されていたような感覚だけが残っていた。あの頃は自分の気持ちを分かっていたのだろうか。それも、今となってはすべてがどうでもよかった。自画像の輪郭線がどんどん滲んでいくような気分で、記憶はどんどんと色を失っていっていた。
 確かにパソコンのことは詳しかったけれど、インターネットの検索やメールの設定ができる程度だった。プログラミングなんて素人に毛が生えたぐらいの知識しかなかったはずなのに、あんな複雑で高度なコードを自分はどうやって書いたのだろう。必死でやったからできたのだろうか。必死にだって限界はあるはずで、もっと大きな何かが自分を駆り立てて動かしていたように思えて仕方がない。自分は操り人形で、両手両足を糸で引っ張られて踊っていた。そうだとして、しかし、自分の内面にあるモチベーションだけでは踊れない、つまり自分で自分の糸を操ることなどできないのではないか。
 アプリが法律によってストアから削除されたのと同時に、自分を満たしていたアプリに対する熱意と知識と技術も削除されてしまったような感じがしていた。操り人形の糸も消えてしまった。もしかしたらすべては夢幻で、朝になって目が覚めたら再び一人の会社員として通勤する生活に戻っているのだろうか。

 翌日になっても、その次の日になっても、そんな夢の終焉は訪れなかった。やはりNTの社員ではないし、部屋にはアプリの利益で買ったBBQグリルとテントが並んでいた。

 銀行のウェブサイトにログインしてみれば、数えきれないほどの桁数の残高があった。
 シメジはディスプレイに表示された数字をじっと眺めた。ずっとずっと眺めた。シメジは心の中で何かが育ってきているのに気が付いて、数字の向こうにあるそれを見つけようとさらに見つめた。

 そして、カメラのピントが合うように思考がくっきりと明瞭になって、一点透視の消失点の先に進むべき場所が見えて、シメジは、手に入れたこの大金を生活できる程度を残してすべてを寄付すると決めた。理由は多面体で、いくつもの側面があった。シメジにとっては決して唐突ではない結論への到着だった。それは、アプリを作ると決めた時のような、急に降って湧いた考えとは違う、自分の中で芽生えて成長し、やっと結実した答えであり、とても大切に思えた。

 シメジがアプリと無縁になっていくのに相反して、デジタルドラッグ禁止法に対するユーザーの反発は強まっていた。各地で抗議デモが開催され、その規模や頻度は日に日に拡大し、シメジが懸念していた通り、その一部は過激化し、警官との衝突、商店への襲撃、空き家の放火、公共施設の不法占拠など、テロ組織と変わらぬ行為を繰り返すようになった。
 また、一部の陰謀論者は今回の禁止法ではNTが裏で糸を引いていると主張。最初にテレビに出演したスジガネがNTの元社員であったことを理由に、アプリの禁止による煙草の売り上げ回復を狙ったものであるとのうわさが囁かれるようになったのである。当然ながら、これは全くのでたらめで、NTは何の関与もしてない。スジガネが最初に調査を依頼したときも、結局何もせず、専門委員会が開催されても自社の保身のための最小限の報告しか行わなかったNTが、政府に対して裏でそんな大胆な働きかけをできるわけがなかった。NTにしてみれば前回の一件で痛い目に遭っていたから、もし再びアプリを規制してしまえば、ユーザーが抗議して、デモが起こるということは重々理解していたので、自分たちから何らかのアクションを起こすなど絶対にしないと決めていたのであった。血まみれの狂人の相手をするなどもう懲り懲りだった。
 そんな消極的で事勿れ主義のNTの内部事情などお構いなしに、結局はデマによってNTが槍玉にあげられ、NTに対するデモ隊の態度は激しさを増していった。街のたばこ店が襲撃されたり、自動販売機が破壊されたりした。目の上のたんこぶだと思っていたアプリがなくなったのに、NTの売り上げは回復どころかさらに減少していった。もはやお手上げ状態だった。

 過激化するデモ隊と同じぐらい厄介だったのは、アプリのブラックマーケット化であった。禁止法によって一般市場の喫煙アプリはすべて姿を消したが、検閲の届かないダークウェブでのアプリの売買、あるいは路上での不正改造端末の直接販売などが横行し始めたのである。規制の網の目をかいくぐり続けながら着実にテリトリーを広げていく、その変化と侵食の逞しさははまさに麻薬ビジネスの生態系そのものであった。
 さらにレシピの開発競争も激化していた。13番のレシピはいまだに解明されず、ジメジもそれを公表することはしなかったので、アンダーグラウンドの闇市場に流通するレシピはどれも各開発者が独自に調合したオリジナルブレンドであった。今となって分かったことだが、シメジが開発したあの13番はまさに究極のゴールデンレシピであり、死に至らぬ手前までたどり着ける絶妙のバランスであった。それゆえにもはや伝説と化していて、皆がその再現に躍起になっていた。一方で、アンダーグラウンドのアプリは、法の力の及ばない領域であり、喫煙者の健康など全く考慮されていない恐ろしいものも多く流通していたから、より強い刺激を求めるヘビースモーカーが新しいアプリに手を出し続けた結果、命を落とす事故も起こり始めていた。
 当然ながら、闇市場での売買によって得られた金は非合法組織の活動資金へと横流しされる。それは治安の悪化と、警察組織の相対来な弱体化へとつながり、さらなる非合法組織の勢力拡大へとつながる螺旋を描いた。さらに、特に優れたレシピに関しては、それを盗み出したなどと因縁を付けられたり、優秀なアプリ開発者が誘拐されるなど、命の危険にさらされる場合もあった。開発者を背後で支える組織同士の抗争に発展し、一般市民が巻き添えになるケースさえ見られるようになっていた。

 そんな状況は好転することなく、シメジが暮らす地域も治安は目に見えて悪化し、シメジも用事がない限りは家でいる時間が増えていた。自宅のマンションの前の大通りでは今日もデモ隊が警察と小競り合いを繰り返していた。時おり、単発的に破裂音が聞こえた。
 ある日の午後、机の引き出しを眺めたり、テレビを付けたり消したり、シメジが無為な時間を過ごしていると、玄関の呼び鈴が鳴った。宅配便でも来ない限り来客のない家でであり、外はこの治安の悪さであるから、用心のためにシメジはドアスコープから外を覗いた。顔は見えなかったが、そこには直立不動の二人の男がいた。シメジは何かを悟ったような気持ちになって、インターホンで相手の素性を確かめることもせず、すぐさまチェーンロックを外し、ドアを開けた。やや時代遅れのスーツを着た二人の男が立っており、シメジは二人の顔を交互に何度か見た。無言の時間が過ぎた後、片方の男が切り出した。

「そのご表情から察しますに、すでにご理解いただけているものだと存じますが、これまでのご尽力にお礼を申し上げにまいりました」男はもう一人の男と共に続けた。
「ありがとうございました」二人はゆっくりと頭を下げ、そしてまたゆっくりと頭を上げた。シメジには二人の頭の上で操り人形が踊っているのが見えた。
「すべては復讐のため、ということですか?」シメジは尋ねた。
「成したことに対する結果です。結果に至るまでの時間はあなたのおかげで大きく短縮しましたが」
「どうして私だったのですか?」
「可能性は誰にだってあったのです。私たちが背中を押したのはあなただけではなかった。あなたが私たちに呼応し、あとは世界が勝手に回り始めたのです」
「感情は人の形を持つのですか?」
「これ以上の会話は不要でしょう」そう言って二人の男は去っていった。
 シメジは、二人が立っていたあたり、コンクリートの床を少しのあいだ見つめていた。頭の中にいくつものジグソーパズルのピースが、散らばっている。NTによって夢を絶たれた二つの企業の事、超音波を葉タバコの代替にするという発明の事、アプリのアイデアが降りてきた時の事、NTという企業の内側と外側の事、自分自身でありかつ永遠に出会うことのない他人でもあるジミー・ウィンの事。区別できなかったピースの輪郭が今は手に取るように分かり、次々にあるべき場所へと収まっていった。すべてを嵌め終わった時に現れたのは、ひとつの企業の凋落と荒廃した街の風景だった。シメジにはそれがやがて訪れる未来に感じられた。
 裸足のまま外に出てみたが、長い廊下に二人の姿はもうなかった。向こうに小さく見える空は爽やかに青かった。
 シメジは部屋に戻り、リビングから窓の外を眺めた。顔をバンダナで覆った暴徒が、書店の駐車場にある、破壊されて真っ黒に塗りつぶされた自販機に、スプレーでJW IS NOT DEADと書いていた。

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