小説 電子禁煙 第一章 挫折と復活

 今から40年前、この国では煙草の製造販売に関する法律が改正され、それまで国営企業だったタバコ公社がナショナルタバコ(NT)として民営化された。この法律改正によって、他の民間企業の参入も可能となったが、最低生産量の制限や手続き上の複雑さなどを理由に、どの企業も二の足を踏み、新規参入する企業は現れなかった。特に生産量に関しては、参入初年度から当時のNTの生産量の40%近い量を確保する必要があり、これは事実上不可能な数字であった。それから10年後、他社の参入による市場の競争促進を目的に、規制緩和が進められ、最低生産量の制限が大幅に低くなったため、これを機にいくつかの企業が参入に向けて本格的な検討を行った。
 結果として2社が煙草市場への参入を果たした。まず最初に、パイプや葉巻に関する喫煙具を古くから製造販売していたジェームズ喫煙具株式会社が子会社を設立し、ジェームズ・タバコ(JT)として参入。愛用者も多い老舗であったため、その英断は期待を持って受け入れられた。もう1社は造船業大手の翼(つばさ)造船株式会社で、当時模索していた異業種開拓プロジェクトの一環として参入。自社の造船所の跡地に、葉タバコの生産から煙草の製造までを一括して行う工場を新設し、ザ・ウイングのブランド名で煙草の生産に乗り出した。全くの異業種からの参入は当時高い注目を集めた。
 しかしながら、煙草というのは極めて嗜好性の高い商品であり、大衆が好む商品の開発は両社とも難航。なかなかヒット商品や定番商品を作り出せずに苦しんだ。また、最低生産量の引き下げはされたものの、葉タバコの安定的な供給確保も農産物ゆえの難しさがあり、味や風味のばらつき解消という課題にも結果を出せなかった。さらに、NT社が両社に対して、敵対的なヘッドハンティングや、度重なる特許訴訟を繰り返し、また、販売店に対しても圧倒的なシェアを背景に露骨な圧力を続けた結果、事業規模の小さかった両社は疲弊。結局、両社ともに参入から10数年で夢半ばにして撤退、倒産となってしまった。というわけで、民間企業参入のための規制緩和は行われたものの、事実上、NTが独占企業として国内の煙草の製造販売を行ってきたのだった。

 しかし、独占企業NTも決して安泰ではなかった。特に近年は、毎年のようにたばこ税の増税が繰り返されており、今では一箱がランチ2回分以上の価格になってしまっている。また、肺がんなどとの因果関係が明確になってきたことによって人々の健康意識が高まったこと、また、臭いや煙に対するエチケットや嫌煙権の影響によって、その売り上げは現状維持か微減の状況がずっと続いている。しかも、食品や衣料品のように積極的にプロモーションを推進できる商品ではないため、吸う人と吸わない人、それぞれの、心身両面から健康を維持しつつ、売り上げを伸ばしていかなければならないという極めて難しい立場にあるのが現在の煙草の製造販売ビジネスの実情なのである。
 だからこそ、NTは新商品や新機軸となる何かを模索し続けていたが、それは非常に困難な課題であり、具体的な次の一手は見つかっていないと断言していい状況であった。

 そんなNTに勤めるシメジは、この夏から販売促進部へと異動となり、早や1か月が経とうとしていた。元は広報部にいたが、シメジは、採用できないような突飛なアイデアばかり提案するせいで、部内での成績は当然ながら振るわず、社員の皆からNTの灰皿と陰口される販売促進部に、事実上の左遷となったのである。
 立派なNT本社ビルの2階、非常食や長期保存のミネラルウォーターが保管されている倉庫室のとなり、のボイラールームのとなり。ほとんどの社員が足を踏み入れたことがない場所に販売促進部はある。『販売促進』とは名ばかりで、実際には、販売の促進に関わるような仕事は何ひとつ任されていない。それどころか、社内の業務の流れに組み込まれていない、いわばハミゴであり、どこからも何も依頼されることのない、つまり、毎日出社して退社するだけの、退屈極まりない部署であった。
 であるから、この部署に異動してきてからのシメジには持て余すほどの時間があった。部長も同僚ももちろんいたが、彼らとて何か仕事をしているわけでもなく、1日8時間プラス休憩時間を机に向かって過ごすことが唯一の仕事であった。そんな虚無が人の形をしたような人たちであったから、他人が何かしていても興味を示すことはなかった。
 この部署に異動となった社員は、そんなべた凪と無関心の毎日が嫌になり、遅かれ早かれ退職してしまうのだが、シメジは生来のアウトサイダーとしての性格と創造性が刺激され、以前から温めていたある計画を実行することにしたのだった。

 広報部時代に、シメジは煙草業界に風穴を開けるべく、ある企画を提案した。それは全国禁煙教室ツアーである。煙草をやめたいと考えているヘビースモーカー向けに、日本各地を大型トレーラーで巡回し、禁煙のための知識を啓蒙していくという企画だった。現代であれば、煙草メーカーが禁煙を指南するなんて逆に面白いとして、どこかのメディアが好意的に取り上げてくれる可能性もなくはないだろうが、その当時の、しかも煙草メーカーの社内にあってそんな逆転の発想が受け入れられるはずもなかった。広報部が売り上げを減らす企画を提案してどうするんだ、という反応は当然と言えば当然ではあるのだが。
 その時の悔しさが、シメジの心の中にはいまだにくすぶり続けていたのだった。どうにかしてあの時の自分の企画を実現したい。「禁煙によって人々を健康にしたい」などとは思っていない。ただ、自分の才能を正当に評価してくれなかった社内の人間と、そしてこの会社に一泡吹かせたかった。そのために、この企画に日の目を見せようとしたのである。そんなねじ曲がった承認欲求を誰か共感してくれるだろうか。

 禁煙教室実現への第一歩、まずは企画の練り直しである。トレーラーで日本一周するなどという大々的なやり方は当然ながら、人手も金も足りないし、そもそもそんな目立つことをしては、計画を実行する前につぶされてしまう。もっと、アンダーグラウンドでゲリラ的なやり方でなければならない。シメジは考えた。会社とは関係のないルートを通じて、この国中に自分の企図を浸透させる方法はないだろうか。その上、なるべくコストがかからずこっそりとやれる、そんな都合の良い……、そうだ、スマホのアプリだ。突然のひらめきにシメジは武者震いした。「禁煙アプリを作り、それを広めてしまえば、誰に妨害されることもなく、あの時の禁煙教室を企画した自分の思いが人々に伝わっていくに違いない」シメジのモチベーションはみるみる加速していった。

 何の仕事も与えられていない販売促進部だから、時間だけはいくらでもあったし、何をしていても咎める人もいなかった。生気のない部長は、最近ではとなりの観葉植物と見分けがつかなくなっていた。幸い、古いながらもそれなりに動いてくれるパソコン1台が支給されており、インターネットにも接続していたから、統合開発環境をインストールさえすれば、すぐにでもアプリの開発は可能だった。シメジは会社には隠していたが、コンピュータに関する知識はそれなりに持っていた。それを社内で明らかにしてしまうと、「画面が真っ暗になった」だの、「インターネットにつながらない」だの、「USBメモリが反応しない」だのといった苦情対応の雑務をやらされるのが嫌だったので黙っていたのだ。
 アプリ開発は今までやったことはなかったが、プログラム言語の特徴さえつかんでしまえば、作業自体は順調に進んだ。シメジは、禁煙に関する読み物をアプリにしようとしていた。自分が温めていた、禁煙に関する様々なアイデアを盛り込んだ、このアプリを禁煙指南のデジタルブックとして読んでくれるだけで、皆は煙草をやめることに目覚めてくれるに違いない。シメジは公開後の人々の反応が楽しみで仕方がなかった。禁煙に成功した利用者からお礼の手紙をもらったエピソードをニュース番組で取り上げられる自分の未来を想像してみたりもした。楽しくて仕方なかった。
 しかし、慎重に進めなければならない部分は注意を怠らなかった。作者については本名でアプリを公開すると、すぐに身元がばれてしまうことが懸念されたので、偽名を使ってアップロードした。翌日には審査完了のメールも届いた。いよいよアプリが公開されたのである。

 いざアプリを公開してみたものの、ダウンロード数は一向にに1のままだった。世界中で自分しかダウンロードしていないのである。なんという孤独。晴れ渡っていたシメジの心の青空には段々と雲が広がり始め、どんよりとした気持ちになってきていた。
 数日が経過し、少しずつダウンロード数は増えていったが、いつまで経っても二桁どまり。まさか、こんなにも興味を持ってもらえないものだったとは想像していなかった。さらにシメジを戸惑わせたのは、ダウンロードの数は少ないのに、感想欄には「なんかよくわかりませんでした」だの「ゲームかとおもったら違ったのでアンインストールしました」だの「ギガの無駄なのでダウンロードしないほうがいいです」だのと辛らつなコメントが続々と書き込まれていった。まさか、同じことで2度の屈辱を味わうことになるとは。広報部長の<却下>印の次は、匿名のユーザーからの★1つだった。心の曇天から雨粒が落ち始めていた。

 シメジがアプリの開発に夢中になっていた頃。NTの情報技術システム部では社内のサーバをクラウドに移行するプロジェクトが開始されようとしていた。公社の民営化によりNTが誕生してから40年あまり。社内のITシステムは無計画な機器の入れ替えや拡張により継ぎ接ぎだらけの複雑極まりない構成となってしまっていた。どこにつながっているのか分からないLANケーブルや、唸り続けているハードディスクなど、もはや社内の誰一人として完全なその全貌を把握できている者がいない状態であった。また、災害が起こった場合のデータ損失リスクやサーバ運用にかかる光熱費も決して過小評価することはできず、本社ビルに集約されているサーバ機能のすべてをクラウド上へと移行することになったのである。
 そのプロジェクトの第一弾として、研究開発情報データベース、自動販売機に関するデータベース、および、有給休暇申請システムの3つが移行の対象となった。これらのシステムはデータベースの設計もシンプルでハードウェアの構成も一般的だったので、比較的データの移行が容易であると判断されたのである。移行作業はスムーズに進み、作業は予定を前倒しで進めることができた。データの移行完了と、システムの動作チェックが済んだのは、偶然にもシメジが最初のアプリをアップしたのと同じ日であった。

 屈辱に打ちひしがれていたシメジは、しかしまだその心は折れていなかった。折れてみたところで他にすることもなかったから、踏みとどまるしかなかったというのが実際のところだが、独力でアプリを完成させ、罵詈雑言ながらも他人からリアクションをもらえたということに楽しさを感じていたのもまた事実だった。だからこそ何としても、「人々が全員★5つを与えたくなるような素晴らしいアプリを作りたい」と思うようになりつつあったのである。
 しかし、どうすればそんなものが作れるのか、雲をつかむような話であり、自分が長年温めてきたアイデアが全く相手にされなかった今となっては作り直すための方向性すら分からない状況だった。あれこれ考えてはみたが、禁煙ブックに厚化粧をしたようなアイデアした思いつかず、計画は座礁寸前であった。
 とりあえず、明日は休みでも取ってちょっと気分転換をしようとシメジは社内の有給休暇申請システムにアクセスした。ところがシステムはエラーとなり、「このシステムは新しいバージョンに移行しました。詳細は掲示板システムに掲載の『サーバー移行のお知らせ』をお読みください」とのメッセージが表示された。
 メッセージに従い、社内の掲示板システムを覗いてみると数日前に情報技術システム部から発行された『サーバー移行のお知らせ』というニュースを発見した。「研究開発部門と自動販売機管理と有給申請のシステムはクラウドに移行しましたので、今後利用される方は以下の方法でアクセスしてください」アクセス方法が丁寧に説明されていた。ニュースは続く。「なお、対象となる部署以外の方のアクセスは従来通りできませんので、ご注意ください」シメジはそこに書かれた操作手順通りに新しい有給申請システムにアクセスし、無事、明日の休暇の申請を完了できた。
 しかし、シメジはあることに気付いた。気付いたというよりは、コンピュータに詳しい人間特有の嗅覚が何かを捉えたのである。もしかして、情報技術システム部が示した手順とは違うアクセス方法でID入力画面を表示すれば、他の、許可されていないシステムであってもログインできてしまうのではないか……。シメジを駆り立てる危うい誘惑。
 セキュリティの小学校というものがあれば入学1日目に教えられるイロハのイのようなやり方なので、そんな侵入方法については通信をブロックしているのが、一般的どころか当たり前以下の基本的な設計であるはずであった。ところが、悪魔の誘惑に屈してトライしてみたシメジは開発部門のデータベースにアクセスできてしまった。「まさか、何かの間違いだろう」と思い、もう一度試してみるとやはりアクセスできた。しかも、どうやらこのアクセス方法は、家に例えるなら、防犯カメラのある玄関ではなく、カメラのない勝手口から中に入るようなものであり、データベースにアクセスした痕跡を一切残さず、自由にデータが見放題なのであった。あまりにも無防備な態勢にシメジは戸惑い、情報技術システム部に連絡した方がいいのだろうかとも考えたが、いずれ誰かが指摘するだろうと、とりあえず放っておくことにした。

 第二章へつづく。

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