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翼をひらくとき

初めて小説を書いたのは、今から11年前のことです。
読書が好きで、中でも小説が好き。ずっと読む側でしたが、夫が小説を書くこともあり、あるとき、私も書いてみようかしら、と思い立ち書いてみた、
それが、この「翼をひらくとき」の第三話「シャルトルへ」です。

こんな風に言うと、「まあ、そういう書籍があるのね」と思われるかもしれません。いえいえ、写真の通り、手作りの小冊子があるばかり。

つばさ初版


11年前に書いたときは、タイトルは「アラフォー・スチュワーデス物語」。実にライトに命名しましたっけ。

というのは、この短編集は、アラウンド30~50代のキャビンアテンダント達がヒロインなのです。七人のCAさんが主人公の、七話の短編集。各ストーリー、彼女達がターニングポイントに立ち、舵取りして進んでいく、そんな心のジャーニーを書いています。

初めての小説でしたが思いのほかサラサラと書き上げました。自分に文学的な感性や想像力が足りないということは哀しいほどに分かっている。だから気負いもなくて、友達に「職場にこういう人がいてさ、」と話しているような気楽さで書いたのです。
初めに「シャルトルへ」、その次は「ウィーンにて」、続いてロスが舞台の「風ニナリタイ」、と思いつくままに書くこと全7話。

こうして初めて書いた小説、少し経った頃に再度読んでみたら、もう唖然。そして自分の力量不足に愕然、でしたよ。
でも、それ以上に、ページの中のヒロイン達に「ごめんね、酷いよね」という申し訳なさを感じてしまって、手直し……というか書き直しです。

例えば「シャルトルへ」の早紀子。自分にも他人にも厳しいキツい性格と言う設定なのに矛盾がたくさん。
「早紀子はこういうときに、こういう笑い方しないよね」
「いや、待てよ。早紀子はそういう考え方しないか」
……こんな風に、早紀子の人格に入り込んでああでもない、こうでもない、と筆を入れまくり。

このように書き直すことが、この11年の間に幾度もありました。
初めて書いたときは42歳。
感動の味は知っている。涙の味も知っている。孤独だって覗いてしまったもの、知っていますとも。……と、そんな自信を持って書いたけれど Mais non!
書き直す度に、「分かっているつもりで分かってなかった、見えているつもりだったけど見えてなかった」と気づくことが多いこと! 

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さて昨今。
空の旅がままならなくなってしまいましたね。今までは自由に旅のプランを立てられたのに、それを奪われてしまって何か悔しいな、と思っていると、
「でもさ、心の自由は自分のものよ。脳内ジャーニーはできるじゃない」
という声が。

早紀子達の声でした。
久しぶりに会う「早紀子」、前よりもっと深い悲しみを抱えていました。
「依子」は前より疲れていました。「ゆき恵」は崖っぷちにさらされていました。「薫」は、「マリエ」は……。
私も年を重ね、ヒロイン達の心のひだの一つ一つに入っていける、そういうタクティクスを少しは会得したのでしょうか。前回書き直したときより、踏み込んだ描写ができたような気がしています。
(ーーなんてね。本当のところは、忙しいのに私の悪文を読み込み批評してくれる友人らのコメントを反映したからです。Special thanks to 小雪!)

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この度はパリでワインサロンを主宰されている友人が、生徒さん向けに貸し出し文庫を作られる、と言うので、図々しく、早紀子達のストーリーを置かせて頂くことに。
タイトルも、今度は真面目に考えて、「翼をひらくとき」にしました。
せっせとプリントアウトして、製本する作業も楽しかった!
手に取って頂けるといいな。そしてコメントを頂けるといいな。厳しくても大丈夫。人間日々精進ですもの。

きっとまた数年後には、早紀子や依子達と再会し、ページの中の彼女らから、「ねえ、ここ辻褄合ってないと思うよ」「ここの描写、不自然じゃない?」などと厳しいことを言われるのでしょう。

いつの日か、本当に「翼をひらくとき」が来て書籍となり、より多くの方に読んで頂ける日が来るといいな。
……そんな夢を見ています。

こちらの書籍↓も、書店で見かけたら手に取ってみて下さいませ。

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