常に弱い側の人間でいたい
正義の味方とかそういうのではなくて、自分の弱さに自覚を持って日々生きている。私はいつでも弱い側の人間だし、これからもそうだ。強くはならないし、強さはいらない。
苦手なこともいっぱいある。間違うこともある、感情的になることもある。
そんな自分への言い訳でもある。私はいつでも弱い。弱い、ちっぽけな人間だと思う。だからといって卑屈になってるわけではない。
弱さを自覚することで、より見えるものがある。気づくことがある。いろんなものに過敏で、些細な変化に影響されて、反応する。
弱さはだいたい共有されにくい。誰だって自分の弱さを見せようとしないから。強い人の大きな声のほうが、よく届くから。暗くて寂しくて、どうしようもない弱い人間を、見つけて救ってくれる人はそんなに現れることはない。
嘘をついたり、誤魔化したりする弱さ、正直に言えない弱さ、上手く言葉にできない弱さ。それらをさらけ出すのもまた、誰からも構ってもらえなくなる、見放されてしまう、そんな恐さがある。そうして孤独になって、それにも耐えられない人の弱さ。
大人になっても、そんな弱さを抱えているのに、子どもにかっこよく生きてほしいなんて、なんかおこがましい話だ。子どものずるくて、甘えて、弱い部分にいつも怒ってる。怒るたびに、自分と同じだと思ってごめんって謝ってる。
まず、人の弱さを前提に考える。そうすると、失敗を許容するのも楽になる。それは十分に受け入れられる弱さだ。
弱さをきちんと受け止めて、目線を合わせて話がしたい。もっと、弱さを語り合おう。
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