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本当にブリューゲルなのか⁈

日めくりルーヴル 2021年5月20日(木)
『足萎(な)えたち』(1568年)
ピーテル・ブリューゲル(父)(1525/1530年−1569年)

本日の日めくりカレンダーは、ルーヴル美術館が所蔵する 唯一のピーテル・ブリューゲル(父)の作品。

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足が不自由な五人の男性が松葉杖をついています。それぞれ 異なる階級の帽子をかぶり、背中には狐のしっぽを貼り付けて…。作品の裏側には「不具の者たちに幸福あれ」と書かれているそうです。この小さな作品 (18.5×21.5cm)にブリューゲルがどのような寓意を込めたのか、さまざまな解釈がなされています。

ピーテル・ブリューゲルに関する記録は少なく、書簡や日記などが現存していないため、彼の生涯は謎に包まれています。
1525−1530年の間に生まれ、版画の下絵画家として働いた後、1550年代の終わりから油彩画の制作に積極的に着手したようです。1569年、40歳前後でこの世を去ったため、油彩画家としての活動は実質10数年、現存する油彩画は40点あまりしかないそうです。彼の死後、画家として活躍した自身の長男で同名のピーテル・ブリューゲル(子)と次男ヤン・ブリューゲルと区別するためにブリューゲル(父)と表記されますが、ここでは(父)を省きます。

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ブリューゲル 初期の油彩画がこちら。

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『ネーデルラントの諺(ことわざ)』(1559年・ベルリン国立絵画館)
農村風景のようですが、大勢の人たちが何やら忙しそうに動きまわっていますね。お祭りの準備でもしているのでしょうか。

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↑ 画像をピンチアウト(拡大)してみると(左)には、
“柱を噛む人”=偽善者、
“クッションの上で悪魔を縛る女”=地獄も悪魔も恐れない強い女性、
“片手で水を、もう一方の手で火を運ぶ女”=信頼できない、
“頭を壁にぶつける人”=愚かで不可能な計画 などなどが描かれています。
(中)には、
鎧で “歯まで武装した人”が“猫の首に鈴をつけ”ていたり、
“ひとりは羊、もうひとりは豚の毛を刈る”、
奥には“カゴで何かを運び出そうとする男性の姿”も …。
うわーぁ。キリがありません。
ネーデルラントに伝わる100以上の諺(ことわざ)が、フランドルの農村を舞台にして描かれているのです。

↑ Wikipedia「ネーデルラントの諺」にも詳しく解説されていますので、是非のぞいてみてください。

そもそもネーデルラントの諺を知らないし、ましてやブリューゲルの込めた寓意を理解できるわけでもありません。それでも ただただ面白くて画面の細部を拡大してじっと見入ってしまうのです。
かつて文字が読めない人たちが宗教画によって[聖書]のことばを読み解いたように、これは目で見て学ぶことわざ[辞典]なのでしょうね。

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もし日本のことわざ100個を一枚の絵に描くとしたらどうなるでしょうか?
「いぬも歩けば棒にあたる」「馬の耳に念仏」「海老で鯛を釣る」「火中の栗を拾う」「窮鼠猫を噛む」「スズメの涙」「鶴の一声」「2階から目薬」「猫に小判」「へそで茶を沸かす」「焼け石に水」…。
楽しそうですね。ことわざカルタのような可愛いイラストが目に浮かびます。

しかし、しかしです。
一枚の四角いカンヴァスに、ことわざを表現する絵を100個。細かく詰め込み、それを無秩序にならないよう統一感を持ってひとつの風景画として作品に仕上げることができるでしょうか。
子どもが見て楽しむだけではなく、大人に戒めや教訓を読み解かせるような奥深い、そんな寓意画として描き切れるでしょうか。
ブリューゲルのように、左下から右上への対角線を軸とする遠近法的構成と色彩を駆使して、鑑賞者の視線を流れるように導いてくれる絵画『日本の諺』…。うーん。想像できません。

『ネーデルラントの諺』は、享楽に溺れる人、卑しい感情を剥き出しにしている人が画面の隅々まで描かれています。「生き生き」と。人間味あふれる農民たちは時代や国は違うけれども私たちの姿を映し出しているのです。
「なんと愚かな」…と呆れながら、ピンチインして作品全体を眺めると、のどかな農村の風景に心が癒やされるのです。不思議な魅力があります。

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愛情のこもった洞察力で農民の日常生活を描いたブリューゲル作品は、ウィーン美術史美術館にもあります。

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左上)『子供の遊戯』(1560年)
右上)『農民の踊り』(1568年)
左下)『謝肉祭と四句節の喧嘩』(1559年)
右下)『農民の結婚式』(1568年)

ブリューゲルの作品は、親しみやすい風景画(もしくは風俗画)だと思って気安く近づけるのですが、実は寓意画であったり宗教画であったり…。その隠された意味を自分なりに読み解いていくのが楽しいのです。

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最後の5年間、ブリューゲルは風景画の中に人物をみごとに溶け込ませる作品を描いています。画面を人で埋め尽くしたり、劇画のように人物の表情を誇張したりしていませんね。

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左)『雪中の狩人』(1565年・ウィーン美術史美術館)
  …季節を描き分けた月暦画、美しいですねぇ。
右)『絞首台の上のカササギ』(1568年・ダルムシュタット州立美術館)

そして『バベルの塔』(1563年・ウィーン美術史美術館)

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メインテーマはもちろん「塔」ですが、画面左手前には 建設を命じたニムロド王ご一行様がいますね。
塔の中で建設に汗を流す何百人という人が「生き生き」と働いているのが見えてくるようです!。
これも拡大して細部まで楽しみたい作品。これもブリューゲル、これぞブリューゲルなのです!

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さて、私がこれまで何度か投稿した『バベルの塔』(1568年・ボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館)。

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作品の前に立つだけで圧倒され胸が震えるこの作品には、他の作品と全く違う空間が広がっています。
画面のほとんどを占めるバベルの塔は、神の怒りに触れる瞬間が近いことを暗示している“暗雲”や 暗い色彩で覆われ、私は不安を、畏れを、そして偉大なものの存在を感じます。塔を建設している具体的な人々はそこにいないのです。

これは本当にあの農民を描いたピーテル・ブリューゲルの作品なのでしょうか?

ブリューゲルが描いた一枚目の『バベルの塔』(ウィーン版)を元に、さらに独自の世界観を拡げた誰かによる作品だという可能性はないのでしょうか?
かつてブリューゲルが、注文主に依頼されてヒエロニムス・ボスに似せた作品を描いて堂々とボスのサインをしたように。。。

さまざまな資料や作品に残された僅かな手掛かりから、専門家や研究者が断定しているのですから、ブリューゲルが描いたことに間違いないのでしょう。
それでも、別人が描いたように思えて仕方ないのです。
誰か、ブリューゲル作品であると認定した確固たる証拠を私に教えてください!

証拠を突きつけられて、両者のブリューゲルが同一人物であると私が納得できたとしたら。。。
この『バベルの塔』は、彼の最晩年の作品でしょう。
制作したのは1563年とか1565年と推定している資料もありましたが、私は1568年以降の制作であるとする最近の学説に一票を投じます。
1569年、40歳前後の若さで亡くなる直前にブリューゲルは新たな挑戦をしたのではないでしょうか。そしてブリューゲルがあと10年制作活動を続けていたら、どんな傑作を残したのだろう、とワクワクするのです。

疑問が膨らみ、ろくに調査もしないまま 自分勝手な妄想に走ってしまう悪い癖が出ました💦。
こんな私は、どんな諺を読み解くべきでしょうか?ブリューゲル様。

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“晒し台の上で演奏する”=間違いに気づかずに人の注意を引こうとする
“新鮮なニシンの中には多くのものが詰まっている”=何事も一見しただけでは本質を知ることはできない

彼のことをもっと理解するために、作品と向き合い+資料を読み込んでしっかり熟考を重ねることにします!

<終わり>

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