クラウドサイン5周年前日、山梨県市川三郷町・ハンコの里。これまでの100年と、これからの5年。
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クラウドサイン5周年前日、山梨県市川三郷町・ハンコの里。これまでの100年と、これからの5年。

2020年10月19日を以て、クラウドサインは5周年を迎えました。これまでの5年と、これからの100年について記事を書きました。印鑑登録制度が出来て100年以上。クラウドサインは、新しい契約のかたちを力強く創っていかなければならない、そんな責任・義務を感じています。

その前日、2020年10月18日。5周年を経て、自分の本当の仕事はなんなのだろうか、と自問自答を繰り返していました。命を燃やすことでしか生きられない自分自身が、今後社会に対して何を残せるのだろうかと自分自身と話し続けていました。迷っていた。

山梨県市川三郷町・ハンコの里

これからの100年を考えたとき、同時にこれまでの100年を支えたものを自分自身で目撃しなければならない。今年になり「脱ハンコ」という言葉が飛び交っています。取引のオンライン化です。

時制もあり、様々なメディアで印章業界の方々の取材が増え、メディアを通して、その想いを聞いていました。仕事が終わり、ヘトヘトになりそうな中、寝れずにメディアを通した意見への想いを、考え続けてきました。自分には考えなければならない責任がある。そんな中、自分自身も取材を受けたNewsPicks連載企画、ハンコの里での取材動画を見ました。

これからの100年、新しい契約のかたちを創り上げていかなければならない。誰かがやらなければならない。今回ばかりは、誰かでなく、自分の仕事だ。だからこそ、メディアを通してみたハンコの里の方々と、自分自身の声で会話したい。自分の目で目撃し、自分自身の心で感じたい。そうでなければ自分は前に進めない。

自然と、自分の足は山梨県に向かっていました。山梨県市川三郷町にあるハンコの里に赴きました。

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写真はいずれも、自分自身で撮影したものです。「しなければならない旅」の始まりです。力強く前に進むために、しなければならなかった。

なぜ山梨県にハンコの里があるのか

山梨県は、手彫りでのハンコ製造が実に全国の半分以上を占める生産地になっています。そして山梨県を歩いていると、「印房」と書かれた家が数多く見受けられます。印房は、自宅の一室を印章の工房とし、家庭の中で生産されています。

そんなご家庭の家紋は、印章のような造形であることも少なくなかった。面白かったのは、立ち寄ったトイレも、トイレの文字が漢字で書かれており、山梨県市川三郷町全体が印章文化と密接なことがよくわかります。

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なぜ山梨県はハンコの名産地なのでしょうか。資料館に行き、その理由がわかりました。写真撮影可とのことで、写真を撮りました。

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資料館に赴いたとき、何が展示されているんだろうと驚きました。資料館の方に案内いただき、その理由がわかりました。なぜ山梨県がハンコの名産地なのだと。

山梨県にある奥地金峰山で水晶の原石が発見されたのが約1000年前。それ以降、水晶細工の職人が同地で生まれ、天保8年(1837年)には水晶加工工場が設立されました。山梨県は水晶が良く獲れる土地であり、加工業者や水晶の彫刻職人の方々が多くいました。

そして明治6年(1873年)以降、我が国で印章文化が定着化され、印章の原材料は当時、水晶でした。印章の名産地になったのは、水晶の名産地であり、水晶の彫刻職人が多くいたためです。

そうして山梨県には印房が多く生まれ、問屋が栄え、全国地域へと販売する物流網が出来上がりました。

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その後、印章の原材料は水晶でなく、水牛、象牙、チタン、翡翠などが用いられていますが、今尚、山梨県はハンコの名産地として存続しているのです。

印章業界のこれまでの100年

以前も言及したことがあるため詳細は割愛しますが、印章が市民権を得た社会史は、明治6年(1873年)、実に147年前とされます(詳細は前回記事にも)。

印章は利便性が高い技術革新として、江戸時代から市民間でも流通が始まっていました。偽造への懸念は明治時代から指摘されるも、それを上回る利便性、現代の言葉でいうUXに優れたプロダクトでした。当時は自署(サイン)、花押、爪印、拇印などがありましたが、いずれも不便でした。

印章(ハンコ)は、識字率から自署ができない層がいないこと、大量の書類を決済する際のに優れていること、(評価はわかれますが)代理決済ができることの圧倒的UXを兼ね備えていました。

市民権を得て以降、「押印」という文言が付された法令が制定され、押印された文書は民事裁判上一定の効果を与える最高裁判例が出ました(最高裁昭和39年5月12日判決)。

経済的にも、小売店が全国的に生まれました。小売店の数は全国的に10,000店舗を超え、ちょうどスーパーマーケットの店舗数程に成長しました。小売店のみでなく、生産する製造業、加工業、卸業などのエコシステムが生まれ、業界の売上高は約3,000億円にまで届きました。

日本中の企業の中では印章管理規程が制定され、管理部による代理決済の業務分掌が雛形化されました。コンサルタントにより、業務フロー化されました。実印のみの代理決済が現実的でなくなり、事業部での押印が許容された契約印と角印が生まれました。

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その強固なエコシステムは、商慣習となり、私たちの取引の安全性を支え、契約のたびに契約方式を選択しなくとも、押印により契約をするという相互認識・相互信頼があるからこそ、契約取引をスムーズに行うことができました。

たった1つのプロダクトが、日本中にこれほどまで流通したのは、当時の圧倒的なUXによるものだと考えています。便利だったのだ、と心から思います。

クラウドサインと印章業界の交流、隠れたる物語

以前、業務と別に印章業界の小売店経営者、製造職人と意見交換させていただく機会がありました。余りにも渦中で自分自身の胸にだけ秘め、今まで記事にすることはありませんでした。

ある場所に存在する印章の小売店。祖父が始めた小売店の3代目の経営者でした。今のデジタル化の流れをどう捉えているのか、経営としての売上構造、今後の見通しなどを議論させていただきました。

同様に、今回山梨県にあるハンコの里でも交流させていただいた方々ともお話させていただきました。その一部は自分の身分、つまりクラウドサインの責任者をしていることも明かした上で、会話させていただきました。自分自身が恨まれる覚悟を持った上で、向き合いたかった。

そして印章も製作していただきました。以下の画像は自らの印章です(実利用しているものでないため、画像公開しても問題ないものです)。

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あえて言葉にしてみたいと思います。文化はタブー視されるものでなく、伝承すべきものだからです。印章の良さを知るものの1人の国民として、自分が語り継いでいかなければならないからです。自分で目撃したもの全て、言葉にします。

数年間の取材に基づいた、自分自身の言語化です。

印章と開運学。タブー視してはならない社会史

印章は、姓名学、開運と密接に結びついています。運気などの存在は人によって感じ方が異なるため、自分の理解としては「信用の化体」だと表現します。自らの体に自己表現するタトゥー。イエ制度と紐づく家柄を反映する家紋。スポーツチームを象徴するエンブレム。

「信用の化体」を表現として示す事柄は古今東西、グローバルでも歴史上長らくされた行いです。現代に至っても尚される表現行為です。法的にも商標として権利化される、「信用の化体」です。

そして印章は、その「信用の化体」と密接に結びついている。経済的には、それが価格化されている。つまり、ブランドです。

苗字を名乗ることは特権階級しか許されていませんでした。明治3年(1870年)に公布された「平民苗字許可令」にて、国民が苗字を有することを許可されました。公布当時は、苗字を名乗ると課税されるのではないかと懐疑的でしたが、その翌年「戸籍制度」が出来、明治8年には義務化され、苗字は浸透していきました。

明治市民は、苗字は自由とされましたが、何か縁にあるもの、どうせなら開運に繋がる姓名学を根拠に名乗るようになりました。それは不思議ではない。2020年現在も、子の名前を思案するとき、画数を根拠に決定する運用が広く流通しています。明治当時に苗字と開運学が密接に結びついていたことも肌感覚として理解できます。

明治政府の思惑と、印章による心機一転 

そして苗字を刻印するプロダクト、それが印章なのです。そして開運と結びついたのは、また別の物語があります。明治5年に出された「改名禁止令」です。明治政府が苗字を許可したのも、現代でいうマイナンバー制度と同様の、個人の識別にありました。改名されては困る、政府の思惑です

しかしながら、明治市民は心機一転をしたい市民感情がありました。現代でも心の決意を自らの体にタトゥー/刺青を入れることで示す風習/風俗が存続しており、形は違えど、自分自身、決意を言葉にのせ、時に習字体にて文書に記すこともあります。

その時戸籍制度上の苗字を変更するのではなく、「信用の化体」となった印章を変えることで運勢を変える行いがなされました。心機一転、新しい人生を歩む決意を。印章上の苗字を変更することで示したのです。

そうした需要とニーズもあり、印章の原材料として御神木が利用されることもあれば、印章が完成した後御祈祷がなされ、その後納品されることもあります。これがブランドとして価格に乗り、現代手元に届く実印利用の印章はそうやって流通することも少なくありません。

これからの印章とビジネスイノベーション

つまり印章は、オートクチュールブランドなのです。職人による唯一無二の彫刻、オートクチュール製品たる要素は、偽造防止という本人認証技術と、一点物という意志の決意性を示すものと結びつきました。テクノロジストが表現するとき、前者の文脈のみが語られ、後者の要素がなく、話が噛み合わない場面が散見されます。

一点ものである印章/印章での意思決定は、重いものなのだという価値観です。法的にではなく、テクノロジーによるものではなく、文化的行いとして現在に通用する風俗学として重い意思決定と印章は紐づいてきたのです。テクノロジストが法的に、又は技術的に電子署名技術を説いても、議論が噛み合わないのは、これが理由です。

別に不思議ではない。愛を誓うときに、一点ものの彫刻が付された貴金属を愛を誓う先にプレゼントすること。そしてその多くはブランドが化体され、価格に乗っている。貴金属であるリングに、ネックレスに、ブレスレットに彫刻し、愛を誓い合う風習は何ら不思議ではない。ブランドという、原材料価値を超えたビジネスイノベーションです。

これからは完全に私見です。但し、数年間に渡る取材によるものです。

印章業界に携わる方々は、印章を作る方々ではないと感じました。今ある印章をどこに利用できるのか。国内に旅行する海外の方に購入いただけないか、海外に輸出できないかと考えるのではないと、個人的に感じています。印章業界に携わる方々は、もっと高度なことをしている、そしてその語り継がれるべき優れた技術は他分野にも活用することができる。

すごい技術がある、そう確信しています。これは絶対に残り続けるべきものだと感じています。オートクチュールブランドの製造業、加工業、卸業、小売店だと考えると、その経済規模は広がります。

意思決定の場に利用される印章以外にも、プレゼント利用、家紋利用、ロゴ利用にも用途は広がり、そのデザイナー、ハードウェアエンジニア、ディストリビューターが山梨県には多くいらっしゃる。印章はデザインであり、ハードウェアに刻印する彫刻であり、卸業はそれらのハードウェアのディストリビューターです。エンドユーザーに届ける小売店も既に販売網を有している。そう捉えました。

そんな強固なオートクチュールブランドのエコシステムが山梨県にはあると感じたのです。今ある経済を、少し目線をずらすだけで、成長産業に転換することができる。印章の文化を、リングに化体させるだけで、成長産業に転換できる。

自分自身、印章=ハンコが好きな国民の1人です。そしてそれは、山梨県にあるハンコの里の方々と触れ合うことで確信に変わりました。この技術を決して絶やしてはならない、と強く感じています。残るべき文化、技術、経済だと考えます。

これからの5年での成長産業への技術転換。それを傍観者でなく、当事者として少しだけ(プライベートで)関わっていきたい。そう確信した、2020年10月18日でした。

クラウドサイン5周年は、そうして迎えました。これからの100年を創っていくと共に、これまでの100年を守り抜くこと。それが自分に課せられた仕事です。もう迷いはない。


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橘大地

お読みいただきありがとうございます( ´ ▽ ` )ノ

(´ー`)ノ⌒θ
SaaS、サブスクリプションビジネスの事業責任者をしており、趣味でスポーツビジネスについてよく調査しています。