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もう一度世界の舞台で頂点を目指す 車椅子バスケットボール日本代表 若きリーダーの挑戦

2021年開催の東京2020パラリンピック車椅子バスケットボールで、日本代表男子チームは過去最高となる銀メダルを獲得。
その立役者の一人である川原りん選手。
2017年にアスリート採用としてローソンに入社し、今年(2022年)1月からキャプテンとして奮闘する川原さんに、プライベートやアスリートとしてチャレンジしていることなど聞きました。


車椅子バスケットボールプレイヤー/川原凛
1996年、長崎県生まれ。生まれた時から脊髄空洞症で、下半身麻痺の障がいをもつ。中学3年生の時、病院で地元のクラブチームの監督に声をかけられたことと、井上雄彦たけひこ作の漫画『リアル』の影響もあり、車椅子バスケットボールに興味を持つ。長崎明誠高1年生の時に「長崎サンライズ」に入団して競技を始める。高校卒業後「千葉ホークス」に移籍。2016年、U23日本代表候補となる。2017年1月JWBF男子U23車椅子バスケットボール世界選手権の予選大会でオールスター5に選出。2017年夏、U23世界選手権大会で4位。アスリート採用でローソンに入社。10月に開催されたアジアオセアニアチャンピオンシップスで車椅子バスケットボール男子日本代表の公式戦に初出場。2021年、東京パラリンピック・車椅子バスケットボールに出場。銀メダルを獲得。2022年1月から日本代表チームのキャプテンに就任。


練習を始める前までが勝負

  車椅子バスケの選手として、現在どのような生活を送っているのですか?

今は練習中心の生活ですね。平日は9時ごろから21時半までトレーニングやチーム練習をおこなっています。土日は試合が入ることが多いですね。

  朝から晩までトレーニングと練習でハードな毎日ですね。今日の練習はダルいなとかサボりたいなと思うことはないんですか?

毎日思ってます(笑)。基本キツいことが大嫌いなので、やり始めると最後までやらなきゃ気が済まなくなるので、練習を始めるまでが自分との勝負ですね。

  その辺は普通の会社員と同じですね。毎回、どうやって自分との勝負に勝っているんですか?

一番は「うまくなりたい」という強い気持ちです。それがなくなったら車椅子バスケを辞めるでしょうね。それに加えて、今年からキャプテンになったので、チームの他のメンバーに範を示さなければならないという思いもあります。

  数少ない休日はどのように過ごしているのですか?

出掛けることが多いですね。先日は千葉大学に新しくできたカフェに行って、コーヒーを飲みつつ、「俺も大人になったな」と(笑)。おしゃれな雰囲気に浸ってる自分が好きなんですよね。あと、一人で物思いにふける時間が好きというのもあります。お酒も好きで、休日はよく自宅で飲んでいます。今はハイボールにめちゃくちゃハマってるんですよ。自宅に炭酸水メーカーを置いているので、自分で作ってよく飲んでます。ハードな練習後の息抜きとしても最高ですね。

  やはりそんなハードな毎日ではストレスも溜まるものですか?

はい。ストレスは溜まっていく一方ですね(笑)。例えば、試合や練習で自分の思った通りにうまくプレーができなかった時やチームメイトと揉めた時に蓄積されます。ただ、こういうストレスも自分を成長させてくれるものとして、前向きに捉えています。

和田アキ子さんの名曲でストレス発散

  どうしても我慢できなくなった時のストレス発散法は?

運転している車の中で、好きな音楽をかけて大声で歌うことですね。特に好きな曲は、和田アキ子さんの「あの鐘を鳴らすのはあなた」。
最後の「あなた〜」の「な〜」で自分の中から悪いものが全部出ていくような気がして最高です(笑)。

  所属するローソンの印象は?

ローソンの社員さんはみなさんいい人で、東京パラリンピックの報告のため出社した時も、わざわざお疲れ様会を開いてくださって、社長も来てくださったんです。大会があると毎回すごく応援してくださって、本当にうれしいです。
ちなみに、ローソンは他のコンビニよりも車椅子用の駐車場が多いと思います。毎回来店する際、助かっています。

キャプテンとしてのチャレンジ

  川原さんは今年の1月に車椅子バスケットボール男子日本代表の新キャプテンに就任しました。京谷きょうやヘッドコーチからキャプテンを打診された時の気持ちは?

まさかそんな打診を受けるなんて全く想像すらしていなかったので、しばらく固まってしまいました(笑)。そもそも僕はものすごく緊張するタイプなんですよ。試合が近くなると眠れなくなって、その緊張を引きずったまま試合に突入します。さらに、代表メンバーは半分くらい年上だし、果たして自分に日本代表チームのキャプテンという重責が担えるかなと不安もありました。
ただ、東京パラリンピック出場の少し前から、チームの中心を担っていた上の世代が抜けることは聞いていたし、当時若手だと言われていたメンバーがその後の中核になることを考えると、僕もその中の1人として頑張らなきゃいけないという気持ちもありました。それと、京谷さんから「キャプテンとしては全然期待してないからお前の好きなように気負わずやってくれ。もしダメだったら変えればいいだけの話だから」と言ってもらえたので、かなり気が楽になり、自分でいいならやらせてもらいますと引き受けたんです。

  京谷さんには他にも「一見大人しそうだけど、うちにはものすごく熱い闘志を秘めている。負けず嫌いだからキャプテンに適任だと思った」と語ってますね。

確かにバスケに関してだけは負けず嫌いですね。それ以外のプライベートではなんでも楽しければいいという主義なので、どれだけ負けてもなんとも思わないのですが(笑)。
あ、でも先日家で妻と対戦ゲームをしている時も、知らない間に本気モードに入っていたようで、妻に引かれました(笑)。

  今の代表チームは川原さんより年上の選手が多いとのことですが、やりにくさはないですか?

僕たち日本代表チームの目標は「2024年パラリンピックでもう一度メダルを獲ること」。現在、この目標をメンバー全員で共有して練習に励んでいます。目標達成のため、僕はもちろんのこと、一番若い選手もベテラン選手に伝えるべきことはちゃんと伝えるし、ベテラン選手も真摯に耳を傾けて受け入れてくれます。もちろんその逆もしかり。
このように、年齢・キャリア・実力関係なく、同じ目標に向かう仲間として遠慮なく思いを伝え合える関係性の構築を目指しているので、問題ありません。

  2024パリパラリンピックでの目標を達成するためにやらなければならないことは?

一つひとつのプレーの精度を高めて、ミスを減らすこと。接戦になればなるほど最後はミスが少ない方が勝ちますからね。また、僕ら日本チームはこれまで「一心」を合言葉に連携や団結力を重視して世界と戦ってきたので、それは継続して伸ばしていきたいですね。

健常者と障がい者のつなぎ役として

  日本代表チームのキャプテンとしては、車椅子バスケというスポーツの社会的な認知度向上も大きな使命だと思うのですがいかがですか?

この競技はスポーツとして絶対におもしろいので、障がい者スポーツという括りではなく、マシンに乗ってバスケをするスポーツとして認知されれば、この先の車椅子バスケの未来も広がります。健常者と障がい者の垣根をなくすためのつなぎ役が僕たちパラアスリートなので、頑張って活動を広げていきたいですね。

  これまで教えていただいたチャレンジの過程で心が折れそうになったことはありますか?

結構ありますよ。例えば長崎から千葉に出てきたばかりの18歳の頃、練習帰りに車の中でめっちゃ泣いたことがあります。千葉ホークスという強いチームに入って、これまでとは段違いで練習がキツかったり、先輩に厳しく指導されたのが悔しくて。

  そこでくじけてしまわなかったのはなぜですか?

やはり負けず嫌いだったからですかね。心が折れそうになった時、「なんのために長崎から出てきた?パラリンピックの日本代表になって、メダルを取るためだろう?ここでやめたら元も子もないぞ」と自問自答をすることで続けられたんです。

  基本的にチャレンジは自分のためにしてきたと思いますが、そのチャレンジが人のためにもなっていると感じることはありますか?

これまで自分のために頑張ってきて、結果が出ても出なくても、うれしいのも落ち込むのも自分だけでした。でも、東京パラリンピックが終わって家や地元に帰ると、僕のことを思って、すごく応援して、自分のことのように喜んでくれる人がとても多かったんです。それに街で声をかけてくれる人も増えてびっくりしました。SNSをやっている選手から聞くとすごく盛り上がっているらしくて。それがわかってとてもうれしいし、自分の挑戦は自分1人のものではないんだと気づかされ、よりモチベーションが上がります。
これからも精一杯頑張りますので引き続き注目、応援していただけるとうれしいです。

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