『浮雲』と『ポンヌフの恋人』に感じる恋愛と純愛の違い
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『浮雲』と『ポンヌフの恋人』に感じる恋愛と純愛の違い

Lawrence

『浮雲』と『ポンヌフの恋人』の類似性

レオス・カラックス監督作『ポンヌフの恋人』を初めて観た時、成瀬巳喜男監督の『浮雲』を想起した。

観ている最中、そして観終えた後も、『ポンヌフの恋人』に『浮雲』と似た世界観を感じた。

調べてみると、レオス・カラックスは、成瀬巳喜男の大ファンだという。だから似ているのか、と思った。

『浮雲』は、戦後を舞台に、仕事も出来ない、彼女と一緒に行った旅行先でも浮気を重ねるしょうもない男と、米兵相手の娼婦、パンパンにまで身を堕とした女の物語である。

『ポンヌフの恋人』は、工事中のポンヌフ橋を舞台に、大道芸人を行なう浮浪者の男と、眼病を患い家も仕事も失ってポンヌフ橋に住み着く女の物語である。

両作品とも、身を持ち崩した男女の物語なのである。目的や情熱をもった主人公とは真逆な、どこか人生へ諦めを感じさせる男女である。

また、舞台となるのは、バラック住まいなど戦後の貧しい情景と、工事中で人も通れない薄汚れたポンヌフ橋である。両作品とも貧しさを漂わせる。

このように、両作品からは似た世界観を感じる。

しかし、両作品を観て最も強く類似性を感じるのは、二人の男女がお互いをどう思っているのかよくわからない、という点だ。

普通、恋愛映画といえば、AがBのことが好きで、AがBに告白する、それまでの奮闘を描く等、要するに、観ている側は、”主人公たちが誰のことが好きなのか、好きでないのか”それがはっきりわかるようになっている。

しかし、『浮雲』も『ポンヌフの恋人』も、そこがはっきりしない。

『浮雲』二人がなんとなく惹かれ合っていることはわかる。しかし、お互い「好き」とも言わず、気持ちはモヤモヤ、はっきりしない。『ポンヌフの恋人』における大道芸人の青年が、眼病を患った女に心を寄せていることはわかる。しかし、女の気持ちはよくわからない。そして、「愛している」とも「好き」とも言わず、お互いがお互いをどう思っているのかはっきりしない。

それなのに、いつも二人は一緒にいるのである。

『浮雲』と『ポンヌフの恋人』を観ていると、川端康成の『雪国』における有名な台詞を思い出す。

なんとなく好きで、その時は好きだとも言わなかった人のほうが、いつまでもなつかしいのね。忘れないのね。別れたあとってそうらしいわ。

好きなのか好きじゃないのかよくわからない。それは、観客側だけでなく劇中の二人もそうなのだ。しかし、いつも二人は一緒にいる。『浮雲』と『ポンヌフの恋人』は、そういう映画だ。

恋愛とはつまりマーケティングである

『浮雲』と『ポンヌフの恋人』を観ていると、果たしてこれは恋愛映画なんだろうか?という疑問を感じる。

そもそも恋愛とはなんだろうか。

ビジネスの世界に身を置いていると、つくづく感じるのは、恋愛とはマーケティングであるということだ。

下記の図は、消費者の購入決定に至る過程を示したマーケティング・ファネルである。

CM等で商品を知り、その商品に興味・関心を持つ。それから、機能や値段、または口コミなどで競合商品と比較検討し、そして購入に至る。さらに購入後、その商品へロイヤリティが醸成されリピート購入を行う。

恋愛においても、相手を知り(出会い)、容姿であったり趣味があうなど、その相手に興味・関心を抱く。それから経済条件や、第三者からの評判(口コミ)、もしくは他の異性と比較検討しながらその相手と交際に至る。交際後、お互いにロイヤリティが醸成され、結婚という継続購入になる。

まさに、恋愛とはマーケティングなのだ

気になる相手の興味を引くためには、相手に自分を認知してらう必要がある。それから相手の調査・分析も重要だ。その上で、相手が興味を引く事柄で、自分の存在をいかに際立たせるか、効果的なブランディングを考える必要がある。また、口コミ効果を狙って第三者に協力してもらうことも効果的だ。

恋愛がうまくいく方法等について書かれた記事や本を見かけることがあるが、そんな記事や本より、恋愛を知りたければマーケティングの本を読めばいい。恋愛を上手く成功させたいなら、マーケティング術を学べばいい。

実際筆者は、これまでマーケティング術を活用することで、複数回、意中の異性と交際することができた。マーケティングを学び、マーケティング術を恋愛に活用した、それによって恋愛の成功確率をあげた、自分がしたことはただそれだけである。

時おり、恋愛についての相談を受けることがあるが、その時筆者は答える。「マーケティングを学べ」と。それ以上の教科書はない。

つまり、恋愛とは、男女間におけるマーケティング的な工程を指すととらえられるのである。

『浮雲』と『ポンヌフの恋人』の特殊性

『浮雲』と『ポンヌフの恋人』は、マーケティング的な工程からは逸脱している。

『浮雲』も『ポンヌフの恋人』も、登場する男女は、相手のことを「好き」だとすら言わないのだから。

だから、『浮雲』と『ポンヌフの恋人』は、特殊なのである。

『浮雲』も『ポンヌフの恋人』も、おそらく恋愛映画とカテゴリーづけされるのであろうが、しかし、上述したように、恋愛とは感じられないのである。それこそ恐らく、"純愛"というのであろうと思う。

なぜなら、理由はよくわらかないが、とにかく一緒にいる男女なのである。相手を射止めようとする戦略も戦術もない。

純愛という言葉は、Wikipediaでは以下のように定義されている(2021年10月25日時点)。

邪心のない、ひたむきな愛。純愛の定義としては、他に「その人のためなら自分の命を犠牲にしてもかまわないというような愛」「肉体関係を伴わない愛(プラトニック・ラブ)」「見返りを求めない愛(無償の愛)」などがある

複数の定義が存在しているようだ。純愛という言葉を聞いて感じることは人それぞれ違うのかもしれない。

少なくとも筆者における純愛とは、恋愛というマーケティング的な工程から逸脱した男女の営みなのである。そこが、恋愛と純愛の違いと感じるのだ。

だから、『浮雲』と『ポンヌフの恋人』は純愛映画だと思う。そして、他の恋愛映画とは違った特異なオーラを放つ傑作だと思っている。

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Lawrence
40代、男性。映画レビュー、映画情報を中心に発信していきたいと思います。