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BL的においしいと思ってしまうのは私が腐っているからだろう

昨日書いた『君は隅田川に消えたのかー藤牧義夫と版画の虚実』という本について、一夜明けて色々考えていたらどんどん楽しくなってきてしまったので、またnoteに書く。

この本は、24歳で失踪した天才版画家・藤牧義夫と、彼が最期に作品を託したという、後の日本版画界の重鎮・小野忠重の物語を追ったルポだ。

藤牧が失踪したのは24歳。その時、小野は2歳年上の26歳で、藤牧も参加していた創作版画の研究グループ「新版画集団」を主宰していた。

おそらく、小野は、豪雨で増水した隅田川に藤牧を突き落とした。事故みたいなものだったのか、計画的だったのかは分からないけれど。

そして小野は、家主のいなくなった藤牧の家に行き、彼が作成した版画や版木を持ち去った。

小野は、藤牧が作成した版木に勝手に手を入れ、自分好みの濃い色で刷り上げた。そして、藤牧の作品として世に出した。

その奇怪な行動について、この本ではこう書かれている。

他人の版木を、掘りかえす。自分ごのみの色でかざるというのは、見ようによってはゆがんだ創作行為だともいえた。
ひょっとしたらX(本書では最後まで、小野が贋作を作ったと直接的には言わない)は、未熟な藤牧の腕をおぎなってやるつもりで、あたかも添削でもするように手をいれてやり、それが評価されるのを満足げに眺めていたのであろうか。
だとしたら、言いようもなくよじれた愛情表現である。
それとも、自分のなかだけで藤牧義夫を辱めてひそかに嗤っていたのだろうか。
そうならば、隠微な湿った悪意を感じないわけにはいかない。
一連の状況は、ひと口に贋作事件と言ってしまうのは、その枠におしとどめられない異常さをはらんでいた。すくなくとも、一般的な贋作行為というのは、真作を犯さないのである。真作をあからさま、直接的に陵辱するような行為は、その人物が、作者かその作品にたいしてよっぽど特別な事情をかかえていないかぎり起こりえない、とわたしには思える。

藤牧の作品の特徴は、冴え冴えとした鋭い彫りと、最小の線で構成する平明さ。それに、他の追随を許さない構造の面白さが加わったのが<隅田川絵巻>だ。余白を効果的に配置するのも上手くて、全体的に洒脱な作風だと思う。

対して、小野は、ごわごわした手触りを連想させる線と、こってりした摺りが特徴。プロレタリア美術運動(左翼活動)をしており、後年も社会派を自認していた小野らしい、土臭い作風だ。

小野は、藤牧に才能があることは分かっても、その作風も人格も、根本的には理解できなかったのではないかーーー。

小野が書いた「回想の藤牧義夫」と、実際に著者と画商の山口が地道に調べ上げた藤牧義夫像がずいぶん違うことについて、この本ではこう書かれている。

小野は、小野なりに「画友」だった藤牧義夫を、理解していた。しようとしたのだ。
ところが、藤牧義夫という青年は、小野の知る一般的な常識のわくにはおさまらない、異相の男だった。尋常ならざる一途さで父を慕い、うさぎの跳躍を思わせるような軽やかな美意識と奇想の創作力を、全身に溜めていた。
藤牧義夫と小野忠重とでは、唯一のコミュニケーション・ツールであったはずの版画、美術、創作という共通語さえも、十二分には共有できていなかったのではないか。
にもかかわらず、だ。なぜ小野が戦後、そんな藤牧義夫と作品をこつこつと美術関連メディアに載せて、いたる場面で紹介していったのかが、最後のさいごまで、わたしには理解しかねた。

確かに、あれだけ作風が違うと、理解もできないだろう。藤牧は神に愛された版画家、小野は頭と理念で彫る版画家、という感じだ。モーツァルトとサリエリみたい。

著者は、小野が藤牧にこだわり続けた理由について、彼が主宰していた「新版画集団」の価値を後世に知らしめるために、「新版画集団」のメンバーであった藤牧の才能が必要だった、と結論づけた。

確かに、小野にとって「新版画集団」は、自己の存在価値と同義だったらしい。

そして、藤牧が失踪する直前、彼が「新版画集団」を離脱するという話が持ち上がっていたそうだ。才能があってデザインの仕事でも成功していた藤牧にとって、同好会である「新版画集団」に属している意味がなくなってきていた。藤牧の失踪の原因の一端が、ここにあるかもしれない。

しかし、それほどまでに小野が「新版画集団」を有名にしたかったのだとしても、それならそれで、藤牧の作品をそのまま世に送り出せばいい。刷って量産するのは分かるけど、わざわざ版木に手を入れる意味が分からない。

しかも、小野は、藤牧の失踪直前の行動について、藤牧の遺族が全員亡くなった後で、言いぶりを変えているのだ。

藤牧の家族(姉たち)が亡くなるまで、藤牧の失踪について、小野は「(失踪の直前に)それまでの作品を全部ひとの手に渡して……」としか書いていない。

それなのに、遺族が全員亡くなり、失踪直前の藤牧の様子を知る人がいなくなった途端、その様子を微に入り細に入り描写するようになる。

私には、最後の別れがしみついてる。35年昭和10年の9月に入る早々だった。
藤牧があらわれて、浅草の部屋を引きはらった、といい、大きな風呂敷包みを2つ、ドサリと置いて、これをあづかってくれという。それまで身辺にあった版画の一やまと、あまり多くもない彼の読みもの、どれの図版のうらにも彼の鉛筆がのこる、村山知義の表現派やダダの本、「アトリエ」誌のプロ美術特殊号などをぶちまけた。
そしてききとりにくい小声で、私や新版画集団の友人に対してすまなかったとか、ありがたかったとか、くりかえす。気がつくと、頬に光るものが見えたが、それが胸にこたえるほどの、こちらも年ではなかった。
彼が去って、しばらくして、これから行くといっていた浅草の姉の家から「来ない」と知らせがあって、ハッと気がついたのである。

これだけ鮮明に書くものだから、批評家には「雨の夜に現れた藤牧の涙の意味を、なぜ小野忠重はもっと早く察してやれなかったのか」と責められたりもする。

とても、暗い情念を感じるのだ。

自分は相手が死ぬのを止められたかもしれないのに、迂闊だったために止められなかった。それは、なんと甘美な罪悪感だろう。相手が、自分が足元にも及ばない天才であればなおのこと。

たとえ事実ではなかったとしても、自分がそう信じ込んで、他人にも信じさせることができれば、それは真実になる。

小野は、自分が藤牧の版木に手を入れたことがバレないか、常に気にしていたらしい。

最後まで藤牧の存在にこだわり、彼の存在に囚われながら、小野はどんな想いで長寿を全うしたのだろう。

死後の世界で、年老いた小野が、失踪した当時の若いままの藤牧に会った時、藤牧が見せるであろう冷たい視線を想像するだけでゾクゾクする。

こんなに一人の人に囚われる人生ってあるんだな。藤牧が飄々としている分、小野の人生の方がよほど物語みたいだ。

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新月の夜に生まれました。 書き手、ときどき弁護士。その実体は、ただのオタク。 好きなものは、新しいもの、珍しいもの、妄想をかき立てられるもの、癒されるもの、よく見たら変なもの。 Twitter→https://twitter.com/shingetsu_lucas/
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