私はなぜ陰翳を礼讃するのか
『美は物体にあるのではなく物体と物体との間に作り出すあや、陰翳にあるのだと考える』
『私は数寄を凝らした日本座敷の床の間を見るごとに、いかに日本人が陰翳の秘密を理解し、光と影との使い分けに巧妙であるかに感嘆する』
ー谷崎潤一郎『陰翳礼讃』より
私は陰影の中に潜む豊潤な物語がとても好きです。
人が人として立っている姿は、
自然に陰影を生み、
陰影はその人の心が発する振動と共振して、
深くなったり淡くなったりする。
闇の中に浮かび上がる発光体のようなその人に、生と死と、その両方を見る。
物と物との間に宿る陰影の
限りない濃淡を感じるが毎に、
私は1から2に移行するまでの
無限のグラデーション、
音と音との振動を感じて、
深い静けさの中の豊かな色彩、
豊かな音色に心を満たされます。
人の佇まいとはなんだろうか。
人はなぜ、ただそこに存在している生命体に
圧倒的な美を見出すのだろうか。
作られた美ではない、
意図された享楽ではない、
ただそこに、その人として存在している。
それだけでなぜ人は心打たれるのだろうか。
『陰翳礼讃』を再読しながら、
そんなことを考えています。
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