フェルメール体験と私が選ぶ現実ーフジロック視聴してたらあれこれ考え込んじゃって
見出し画像

フェルメール体験と私が選ぶ現実ーフジロック視聴してたらあれこれ考え込んじゃって

ラウラミーカ くどうみよう

フェルメールが好きです。

初めて見た作品は、バックパッカーとして訪れたフランスの、どの美術館だか忘れてしまったけれど、『真珠の耳飾の少女』でした。

画像5

壮麗な作品群の中で一際静謐であるのに、私の視神経を捉えて離さないこの少女の眼差しは、今でも網膜に完全プリントアウトされています。

「心象で描いたどの少女よりも美しい、というか美しいってこんなに心洗ってくれちゃうものなのか。黒一色なのにこんなに饒舌な背景ってあるのか。嗚呼私。生涯をかけて全作品を見る、見ます。」

ところがそう決意してから10年以上が経った2019年の上野の森美術館、会期終了ギリギリで駆け込んだフェルメール展で『牛乳を注ぐ女』を観た時、

「あ、もう全作品見なくて良いかも。」

と思ってしまいました。

フェルメールの作品がなぜこんなにも愛され、永続性を持つのか、自分の中で体感を持って理解した気がして、いきなり終着地にワープしてしまったような気持ちになったからなのでした。

画像1

「私は何を“分かった”と感じたか」という話の前に、ここで一旦アンマというインドの霊性指導者の話に飛ぶのですが、数年前に一度この方に会いに行ったことがあります。

知人から 突然連絡があって、「明日アンマのボランティアやるんだけど、みようさんも来てみませんか?」と誘いがあったのです。

「抱きしめる聖者」とも呼ばれるらしいその方は、その場に参加した全員を順番に抱きしめ続けながら、人を治癒し、自分の力で生きられるよう促す方らしく、インドでは1日に5万人以上の人が彼女の抱擁を求めて集まり、時には24時間以上も抱きしめ続けることがあるのだとか。

なんだかよく分からないけど、くるもの拒まず。なにごとも体験。私もアンマのハグを体験するため列に並び、1時間ほど待つと順番が来ました。

アンマは私の肩を抱き寄せ、私の右耳に顔を寄せてしっかりと抱きしめてくれました。そして小刻みに体を震わせ、日本語で「愛おしい子愛おしい子」と耳元に囁きました。

ふくよかな体の細かな揺れと、低く響く声の振動が合わさり、骨伝導によって、衝撃波とも呼べるような一瞬の刺激が、私の体の根本にまでしっかり届きました。

それがあまりにも一瞬のできごとだったので、あと、アンマを取り巻く人たちの、なんというか念のようなものに強い警戒を覚えたりもしたので、軽く混乱して脳内の情報処理がうまくいかず、「なんかすごい。すごかった。」でその時は終わってしまったのだけど、帰りの電車の中で、ああ、あれが多分、、、と腑に落ちた感覚がありました。

「周波数治療ってああいうのをいうのかもしれぬ。」と。

「愛を送る」という言葉は曖昧で、時にはあまりにも甘やかで、故に懐疑や侮蔑を誘発しかねないけれど、愛とは「ある特定の周波数」であるところのつまりは振動で、直接身体に送ることのできる類の、計測可能な治癒的波形を帯びた電波を指すのだと思ったんです。そしてその電波がジャストミートしちゃった方は、動かなかった足が動いちゃったり、病気がいきなり治っちゃったりするのかも、と。


さて、ようやくここでフェルメールの作品に話が戻るのだけど、前置きが長くてすいませんなんだけど、

フェルメールも作品を介して、その手のことができてしまった画家だったのかもしれない、とそう感じたんです。そしてそう思った途端、自分の中の、10年以上に及ぶ「全フェルメール様への謁見願望」がスルッと消えていったんですよね。


前述の『牛乳を注ぐ女』。

画像2

これね、実際に見ると動いてるんですよ。
牛乳が永遠に注がれ続けてる。

画像では分からないけれど実物を見るとよく分かる。壷から注がれる牛乳の細い線が、上から下へと雪解け水のように細くキラキラと下降し続けている。

すごいもんです。

芸術体験というのはこれです。

わざわざ肉体を会場まで運んで、自分の肉眼で見る、という行程を経ないと分からない、二次元の奇跡、あるいは不可視の細胞体験なんです。そして私は数世紀の時を経て、サワサワとこちらに永遠に注がれ続ける一筋の静かな愛ビームみたいなものを受け取ったわけなのです。


あとこれ。『レースを編む女』。

画像3


小作品です。24cmx21cm。こちらは西洋美術館だったかな、かなり昔に観たのですが、これもすごい。フェルメールによるサワサワ愛ビーム初体験がこの作品でした。

手がずっと動いてるんですよ。

画像では分かりませんが、作品を肉眼で見ると分かるんです。振動しているんだと思います。「嘘でしょ。動いてる。」と思ってしばらく作品の前から動けませんでした。

画像4

チクチクチクチクとずっっっとレースを編み続けているんです。一体どういったことでそう見えるのか。謎すぎます。そして必ずしもフェルメールの作品全てが振動しているわけじゃないんですよね。今まで15点ほどの作品を見ましたが、「動いてる!」と感じたのは、上記の2点のみでした。

残り20点くらいは観られていないけれど、でも私にとってはこの2点の体験で十分。

サワサワ愛ビームに意識を合わせるだけで、どこかすっと心が落ち着いていくような感覚を覚えます。

"the purpose of art is washing the dust of daily life off our souls."
“アートの目的は、日々の暮らしで身につけてしまった魂の汚れを洗い去ることにある。”

これはピカソの言葉ですが、そうなんです。それなんす。フェルメールの洗浄力は、どんな界面活性剤もその足元にひれ伏すと思います。

フェルメールだけでなく、世界で一級品と言われている作品の多くは細胞へのダイレクトなアプローチ力が尋常じゃないです。

マドリッドで初めてピカソの『ゲルニカ』を観たときの、あの衝撃。命がほとばしっていました。怒りと悲しみが叩きつけられ、でもきっちりと昇華されていました。

ゴヤの黒い絵シリーズもすごかった。私の暗部をえぐられ、それを血みどろの手で鷲掴みにされ、眼前に提示されるような体験なのに、同時に私の中の何かが洗い流され、清新な息吹を得た心地すらしたのです。

また、長谷川等伯の松林図屏風も本当に本当にすごかった。永遠に時を刻み続ける寂寞のリズム。果てしなく続く時空間の果ての、そのまた向こうへと誘う幽玄を目にして、私という最小が私という最大に引き込まれていくような、いやー、これうまく言えないですね。

実物の松林図屏風を前にすると、多次元の旅をしているような感覚になるんですよ。本当に貴重な体験でした。

芸術とはこれです。

音楽とは、詩篇とは、絵画とは、彫刻とは、それらの力とはこれです。感受する人の細胞を震わせ、活性化する、それこそが生きる力。芸術は生きる根源にリーチし、生そのものを立ち上がらせる歓喜そのものだと思います。


引用元『世界一の教育の国!フィンランドの教育がやばい』

だから、フィンランドの先生が言葉を無くしたように、芸術が役に立たないことなんてないんです。

人それぞれいろいろな現実があり、その全てがその人にとっての世界なのだと思うけれど、芸術の火種を絶やさない現実に私は生きたいと思います。

今までとは違うやり方で、今現在の状況に沿う形で、そしてそのプロセスを経ながら、今までよりも更にパワフルに。

うーん‥‥。

ちょっとねぇ。

フジロックの3日間でいろいろ考えちゃって。上原ひろみさんの演奏を配信で視聴しながら涙が止まらず、ほんとにいろいろ考えちゃって、考えてたら溢れてきちゃって、の投稿でした。

みんな!愛してるよー!とか無駄にこの地球の、私が中心であなたが中心、みたいな状況の中、あえて叫んでみます。



この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
わあ!嬉しいです!ありがとうございます!
ラウラミーカ くどうみよう
LAURAMICAという小さなブランドの企画販売をしています。今年は不定期マガジン『Rose in Figue』を発刊する予定で、現在準備中です。noteって本当に素敵な場所。日本語が読めてよかった。皆さんの文章、日々心震わせて拝読しています。