千鳥大悟さんに見る、漁師の死生観
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千鳥大悟さんに見る、漁師の死生観

ラウラミーカ くどうみよう


IPPONグランプリに出ていた千鳥の大悟さんが印象的で、大悟さんの魅力ってどこからくるんだろうと絶えず思いを巡らせていたのですが、先日家族で釣りに行った際、地元の漁師さんたちと話す機会があって、

「ああ、大悟さんは漁師さんの死生観に近いものを持っているのかもしれない」

と、そしてそれが大悟さんの魅力に繋がっているんだと思いました。

そしてそれが自分にとっては随分と大きな気づきだと分かってきたので、今日は忘れっぽい自分のために書き置きしておこうと思います。急激に変わっていく世界を生きる上で、必要な視点のような気がするから。


番組中の大悟さんの何にそんなに心惹かれたのかと言って、それは大喜利を考えているその姿に、“孤独で且つ満たされているさま”のようなものが滲み出ていたところでした。

今更なのかもしれんが、大悟さんて相当稀有な人かもしれん‥‥。孤独感や寂しさが在る。そしてその孤独感や寂しさをちゃんとわかってるというか、大事にしてるところがある気がする、だから存在に不思議な説得力を感じるのかもしれない。
必死になって別のもので埋めようとしてない気がする。もちろんお酒も飲んでタバコも吸ってということ自体が穴埋め的な行為なのかもしれないんだけど、なんだろうか、諦観というか、全面受容というか、どんなことが起きても根っこのところででっかい地球と繋がっているような力強さを感じる‥‥。
自然とつながっている強さとしなやかさ、というのだろうか‥。そして同時にどこか刹那というか、刹那だけを生きている、刹那に集中している、そんな感じもする。そこが大悟さんの人間的な色気につながっていくんだろうか‥‥。


なにか大いなるものに身を任せているような悠然とした様、そしてそれと同時に、生きる悲哀と、生きることに対する温かい目線を、大喜利を考える大悟さんの姿に感じた、というかんじでしょうか。

悠久が持つしなやかさと切なさのような。

そして多分それって、瀬戸内の島と海に育ててもらったんじゃないかと思っていて(該当箇所12分25秒あたりから)。


そんなことをつらつらと思いながら、前述の釣りに行ったんです。漁港の端っこで釣っていたものですから、漁師さんたちが時折来て、話しかけてくださるんですけど、

大したこと話してないです。話してないんですけど、漁師の皆さん、しなやかでそれと同時になぜか切ないんですよね。

切ないというか、刹那の中に身を置いて生きていることを自覚している死生観みたいなものをおじさんたちの目線や会話の仕方から感じて、ひとりで勝手に感動してたんです。

そして、日に焼けた健康的な笑顔や、流行なんてものは存在しないからこそかっこいい首元のくたびれたTシャツやポロシャツや、穴が空いてもまだまだ履ける作業ズボンや、色褪せたキャップや、錆びた自転車や、海を見る遠い眼差しや、魚は生活で海も生活でそれ以上でも以下でもないほど海とシンクロしたおじさんたちの在り方そのものや、そんな姿をぼんやり眺めていたら突然、

漁師のおじさんたち全部丸ごと千鳥の大悟さんじゃないか!

と思ってしまって、

すごいなあ。すごいことだよ。

海と共に生きているんだなあ。

海と共に生きるということは、コントロールを手放すということだよ。自分で管理できるという思いも驕りだと分かっている、ということだよ。自然の前では無力だということを肌で感じて生きるということだよ。

なんてことだ。それが分かって生きるのと、分からないで生きるのと、なんという決定的な違いなのだろうか。

海は海でしかなくて、生活の糧を運んでくれるものでもあり奪うものでもあり、自分たちはあまりにも小さく、でも海を前にして小さくない者などなく、人は尊く卑しく、人は気高く卑近で、そのどれもが海に抱かれ、時に飲まれ、生きるというリズムを淡々と刻む存在なのだ、と、

それが分かって大悟さんはお笑いをやっているのだ。

なんてすごいことなんだ。カッコ良すぎるだろう。

そんなことを思っていたら矢も盾もたまらず、息子に「IPPONグランプリを見るべし」と、そんなことを主張していたのでした。


大悟さんを通して感じる、釣りを通して感じる、漁師さんの佇まいを通して感じる、

「自然と共に生きる」

ということの、流行やファッションといったコマーシャリズムとは全く無縁の骨太な「生のまま」の力が、猛烈にかっこよかった。かっこ良かったし、生きる上での骨みたいなものに気づかせてもらった気がして、私はますますケの世界に深く根を張ろうと、そう思ったわけです。


家事大事。
育児大事。
陰徳大事。

泣くのも怒るのも落ち込むのも、それが原因で病気になるのも、全部丸抱えだ。

歓びや笑いは刹那に訪れる人生のおまけだ。

そんなものだね、人生は。

そんなものだ。

良くも悪くもなく、そんなものだな。生きるということは。


海の男たちに教えてもらった感覚を、覚え書きです。


2021。夏。遠い世界ではオリンピックをやっていて、また別の世界ではコロナウィルスが蔓延し、私が住んでいる世界は、といえば、蝉が鳴いて、犬は昼寝をし、娘は暇を持て余し、息子は勉強、夫は仕事、変わらぬ静かな日常が流れています。




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ラウラミーカ くどうみよう
LAURAMICAという小さなブランドの企画販売をしています。今年は不定期マガジン『Rose in Figue』を発刊する予定で、現在準備中です。noteって本当に素敵な場所。日本語が読めてよかった。皆さんの文章、日々心震わせて拝読しています。