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これはあかん。横尾忠則展、ぜひ目撃してほしい(〜17日まで)。グッズも全製品あかん。

いつもはある程度の推敲を重ねるのですが、この記事は見直す時間がないのでそのままアップするため、乱文ごめんなさい(会期終了まであと3日だから急いで伝えたいすぐチケット取ってお願い)。

現在東京都現代美術館で開催されている横尾忠則展、駆け込みで行ってきたのですが、これ実際に足を運んで、体で体感する必要のある展示でした。万象繰り合わせで行けそうな方、是非にです。

まあもう、とにかく第1室からすごい。

1985年『男の死』なる大作から放たれた、ドクドクドクドクと止めどなく湧き出でる生命エネルギーの真っ直ぐ明快な様は、小さな思考などどこかに吹き飛んでしまいましたし、

1986年『騎士の夢』の、絶え間ない渦やうねりの只中に身を置き悦の世界に入っていく境地は、かつてスペインはトレドにて衝撃を受けた、エルグレコの『無原罪のお宿り』を観た時の感覚に酷似していて、

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心の中で「っクーーーー!横尾さんカッコ良すぎる!」と叫ばずにいられないほどでした。

“神話の森“を奥深く進んでいくと出現する、テクナメーション(行灯の中の回転する偏光フィルムと表面のストックモーションフィルムで模様が動いているように見せる展示手法)の作品群も、もう1日中観ていたい。その世界に没入していたくなる。

一方で、こう、どこか気味が悪いから遠巻きに眺めていたい感じもある。神話の世界が持つ不可思議な気味の悪さ。でもそれと共に、横尾さんの色彩とテクナメーションが合わさると、海外の観光客用に売られているキッチュな名所絵葉書のような、安価で陽気なエネルギーも同時に放出されていて、その相反するようなエネルギーの同時放出に腰砕けそうになるんですよね。

身悶えが止まらぬのです。

森を抜けると待っているのが多元宇宙。神話のコラージュを見ていると、絵画化されたインタステラーのような気持ちになってきて、5次元をほんの少し垣間見ることができたような感覚になります。

コラージュってどこか、5次元的要素があるのかもしれない。

異なる時空間が同時にそこに存在しているような。

そうか。そう捉えると、神話の森はブラックホールの入り口なのか。

頭があちらこちらへ飛んでいきますが、もうとにかく膨大な作品群。次々と繰り出される激烈パンチを、今のところ真正面から捉えられていますが、え、これ1階見て3階見て、最後の2階のアーカイブ見る頃には、私立ってられないんじゃないかしらと思えてきます。

1階は7つのテーマに沿って作品が展示されていますが、そのどれもが生命のほとばしりによって繋がれていました。

横尾さんは間違いなく、フェルメールと同じように、死後何百年経っても、絵画を通して力強い心臓の鼓動を届けることのできる芸術家だと、心底思いました。

3階は大好きすぎる「Y字路シリーズ」からスタート。

なんでなんだろう。Y字路すごい。吸引力がすごい。二股に分かれるそのどちらの道にも吸い込まれていきそうに思うし、その向こうは間違いなくここではない何処かだし、なんなら4th Dimensionか、あるいは2Dに引き込まれて自分の原型を保持できなさそうだし、ああ、この感覚に1日中身を浸していたい、と思いながら進んで進んで行った先に待っていた原郷の森がもう。。。

もともと文學界で連載されていた『原郷の森』を毎号楽しみに拝読していたのですが、

この展示室の寒山拾得図がもうーーーーー。やばすぎた。顔やばい。笑顔やばい。涅槃の笑顔ってやばい。潜象界のみなさんやばい。

原郷の森に包み込まれていると、だんだん自分が潜象界側に引っ張られていくんですよね。すると、去年からの一連の疾病騒ぎやお注射問題や実しやかに語られる大災害とか、全部が夢幻に見えてくる。

ああ、この世界はホログラムだ、というのはこういうことか、と何やら言語中枢をすっ飛ばして体感で納得するような、最高のトリップなのでした。

これはほんと、間違いなく魂の旅です。

毎日見たい。

横尾ランドの早期創設を強く希望します。ディズニーランドが吹き飛んでしまうほどの多次元空間にナビゲートしてくれるスーパーサイア人クラスオーラの持ち主横尾さん。

三途の河に腰まで浸かってあちらとこちらを模写しながら、有形無形全てのお焚き上げをしちゃってるような人。


こんな人いない。


是非に!

チケット今すぐ予約してくださいませー。

(タイトル画像は横尾饅頭。税込七百五十六円ですー)

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