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初任時代の映像を振り返る⑩「声」

今回で「初任時代の映像を振り返る」シリーズ最後の投稿となる。

これまで、

「巻き込む」

「確認」

「空白」

「目線」

「姿勢」

「立ち位置」

「テンポ」

「リズム」

「対応」

の9つを述べてきた。

教師にとってなくてはならない技術を語ったつもりである。

最後は「声」について書く。

ぜひ最後までご覧いただきたい。

1.最大のコンプレックス

自分が最も気にする弱さ。

それは「声」である。

初任時代の心境を綴ると、

・声がこもって聞こえない

・太く重い声が出ない

・細く弱々しい声がよく出る

・体育館や校庭に出る時は不安しかなかった

これでもかと思うほど常に悩んでいた。

何よりもきつかったのは「教室で声が通らない」こと。

教室が騒然としている時、私は

「騒がしいです。静かにしなさい。」

と大声を出していた…つもりだった。

こちらが声を出せば出すほど、36人の口から出る音でかき消されていく。

毎日毎日教室へ向かう階段で動機がおさまらなかった。

こんな声無くなればいいとさえ思っていた。

2.質ではない量だ

私はもともと声が通らない人だ。

1年間ずっと思ってきた。

しかし、ある人の言葉で私は変わった。

それが、玉川大学教職大学院教授の谷和樹氏だった。

音声CDに答えはあった。

谷氏はこう述べられる。

「通る声は1000時間練習しないと意味がない。」

衝撃だった。私の考えははちみつよりも甘かった。

私は練習をした。

自宅で、教室で、広い公園で。

とにかく声を出し続けた。

ときには自分の声を録音して、何度も聴いた。

苦手という意識だけの問題にせず、声質の分析をし修正していった。

遠くにiPhoneを置き、怒鳴り声もあげてみた。

それでも、自分の声を聞くのはとにかく嫌だった。

最大の引け目だったからだ。

3年目に差し掛かった今、声は質ではなく声の大きさ、すなわち

「声量」だと気づけた。今の私の声は明らかに違う。

3.苦く辛い過去を振り返る意味

コンプレックスの極みであった声も克服した。

むしろ今では自信さえもてる。振り返る意味はこのためにあるのかもしれない。

授業が圧倒的に下手だった過去の自分を省みる。

雑多な恥の思いが脳を駆け巡るが、やはり原点回帰は今の私に必須な修業であった。

なぜなら、今子どもたちの前で授業ができないからだ。

もちろん普段できない教材研究がたっぷりできるのは大きなメリットだ。

しかし、いざ学校が始まり教室で子どもたちの前に立つ姿を想像してみていただきたい。

声が通らない。

目線がいきとどかずに逸脱した行為を見逃す。

笑顔がぎこちない。

すなわち、教師が持つべき土台の崩壊が明瞭に発現してしまうのではないだろうか。

子どもたちは家で過ごし、家でできる課題をこなしていた。

教師は何をしていたんだ。

私は、そう子どもたちに思わせたくない。

これはチャンスである。

教師である自分自身の根幹を再検証できる千載一遇の機会だ。

若手も、中堅も、ベテランの皆さんも皆

この時期にぜひ自己を振り返り、私とともに成長しませんか。

今日でこの初任振り返りシリーズは終了します。

最後までお読みいただき感謝いたします。

これからも毎日記事を投稿していきますので、ぜひ読んでいただきたいです。

今日はここまで!(^ ^)


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