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不登校〜半年間の格闘〜

去年、初めて1年生を持った。

子どもたちは可愛らしくとても生き生きとしていた。

毎日が楽しかった。

しかし、7月わたしのクラスで不登校が出た。

夏休みに入る直前だった。

その日の放課後、母親に電話をかけたところ「理由はわからないです。」そう言われた。

私はとにかくその子がなぜ不登校になったのか原因を探った。

母親から手紙をもらい、養護教諭、学校相談員、私の4人で母親と面談もした。

それでも原因はわからなかった。

夏休みには家庭訪問に3度言った。

お喋りが大好きでその子は私を快く招き入れたくさんの家のことや家族について話してくれた。

謎のストップゲームや人形遊びもした。

しかし、ふと私が学校の話を切り出すと笑い声は止まり、黙り込んでしまった。

その子は放課後にだけは毎日来た。

課題を取りに来るだけの10分間だった。

しかし、私はそれだけではいけないと思った。

なぜならこのままだとその子との繋がりがなくなってしまうと感じたからだ。

課題をもらいに来て、渡すだけ。

それで私はこの子の担任と言えるのか疑問だった。

いつしか私はその子と30分以上教室でいろいろな話や学校でやった生活や図工の課題を行うようになった。

学校から帰ってきて、

「お母さん、課題もらったよ。」

ではなく、

「お母さん、学校楽しかったよ!」

そう言ってほしかった。

周りからは「次に持つ人はそこまでできないからやめた方がいい。」と止められた。

しかし、私は続けさせてくださいと懇願した。
2年目で生意気と思われただろう。

それでもよかった。
その子が1年生でいられる期間はその瞬間にしかない。だからこそ、笑顔を生み出したかった。

運動会でも母親と共にポツンと体育館の後ろで見学していた。すると、私が踊っているのを見て(ダンス担当だった)動き始めた。来られない日もあった。放課後2人で新しい振り付けを踊った。

その子は少しずつ半歩一歩と歩みを進めていった。

そして、2月。
約半年の期間を経て朝から元気に学校に来られるようになった。

初めは門の方で私が出迎え手のひらをタッチして帰宅していた。家で大泣きして来られないと朝から何度も電話を取り、「わかりました。」と応える日々が続いた。

今では母親に
「もう8:00だよ!行かないと!」
そう言って家を飛び出すほど。
最後の面談で私が母親よりも先に彼女の成長ぶりに涙してしまった。

学校に来させる。
それが目的であってはならないと私は考える。
学校は学ぶ場であり、友達と仲良く過ごす場である。
行くだけの場所ではない。
楽しいから通う。友達に会いたいから入る。苦痛の場所としてはならない。

しかし、本人にとって学校に行けない理由がわからない場合も多い。
よく充電期間と言われるが、本当にそうなのだろうか。
実際はすごく苦しんでいる子どももいる。
1年生のその子でさえ、「どうして家から出られないのかわからない。」と涙ながらに語っていた。

私たち教師ができることは何なのだろう。
学校に来させることなのだろうか。
私は違うと思う。
その日に出会えたこと、声が聞けたことをうんと喜び、子どもと関わる時間を楽しむこと。
これが一番大切なのではないだろうか。

来たからオッケー。もう大丈夫。
そんな教師でありたくない。
教え育てる者として不登校の子どもたちが安心し続ける。学校が楽しい!と自然と思える。
そんな教師であり続けたい。

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