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人の期待に応えようとするな

判明しているものの中で日本の考古学史上最悪の捏造事件といえば、旧石器捏造事件です。毎日新聞の一面スクープ記事に載った決定的写真が目に焼き付いています。捏造した旧石器を今まさに土に埋めているその姿を捉えたものでした。

唖然としたことを覚えています。学問の世界でそんなことがあるなんて信じられなかったのです。

ですがそれ以降、様々な分野に捏造は頻発しているのだと知ることになります。論文然り、贋作然り、盗作も一種の捏造でしょう。

功成り名を遂げたい。その思いでつい出来心でやってしまったことが大きな評判を呼びエスカレートしていく様は、人の弱さを物語ります。もっともっと褒められたい、持ち上げられたい。もちろん最初から罪の意識なく捏造が出来てしまう人もいるでしょう。そして自分が捏造していることすら忘れたことに出来る人も。いや、むしろそういう人だからこそ、捏造に手を染められるのかもしれません。

でもです。私達だってちょっと話を盛ったり嘘を吐いたりしますよね。そんなちっぽけな嘘など何の足しにもならないと分かっていても、少しでも自分をよく見せようとあがくのが人間なんだと思います。

取り返しのつかない大きな嘘をつくかどうか。その分かれ目では、他人にどう思われるか気にする自己を客観視出来るか否かが、人に認められたい期待に応えて褒められたいと他者評価に固執する自分を制御できるか否かが、選択を左右するのかもしれません。もっと端的に言えば、自己顕示欲を抑える自制力が働くかどうかでしょうか。

他人の期待に応えることに自分の存在意義を見出すのでなく、他人がどう思おうと自分自身を肯定できる強さを持てたらいいのに。それが出来ない時、ある人は捏造してまで自分を認めてもらうことを渇望するのかもしれません。

人の期待に応えようとして生きるほど人生は長くない。自分の人生は自分の尺度で測ろう。そう思います。

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