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雑記 今の暮らしはまるでビューティフルドリーマー。

燃え殻さんの『ボクたちはみんな大人になれなかった』という小説があって、世代もどんぴしゃだしじぶんに対する虚無感もどんぴしゃだしということで、かなりエモーショナルな気分をかきたてられるだいすきな作品である。なかでもよいのは彼女に『うる星やつらビューティフルドリーマー』を何回観たか聞かれ、2回と答えると「すくなっ」と言われるエピソードだ。なぜかというとわたしも、今ではないけれど好きだったひとがお気に入りの映画の欄にビューティフルドリーマーと書き入れているのを見つけ、ちゃんと小学生のときにオンタイムで観ていた自分をでかした天晴れだと称えた経験があるからだ。じつは燃え殻さんのトークイベントにも行ったことがある。サインをもらうときにビューティフルドリーマーのくだりが好きですと伝えたら、燃え殻さんは「あれはねえ、ほんとうにあった話なんですよ」と言ってにやりと笑った。わたしは今でも、その好きだったひとには年に何度も会うけれど、ビューティフルドリーマーわたしも好きなんだよと告げたことはない。

くだんの作品では、主人公の諸星あたるが通う高校の学園祭1週間前の喧騒がえんえんと繰り返される世界が描かれている。これは鬼娘のラムちゃんが望む、仲間に囲まれてドタバタと楽しく過ごすという理想の世界が切り取られたものであり、その妨げとなる者や疑いをもつ者は次々と世界から消されていく。

今の暮らしはまるでビューティフルドリーマーだ。仕事の依頼がぱたりと来なくなり現実の世界から切り離され、リアルに出会う顔見知りは子ども2人とねこ3頭だけ。ゆるく温かくつながったSNSコミュニティに接続すれば刺激的なカルチャートークもできるし心のうちをちょっと明かすこともできる。オンラインの映像や音声だけで飲み会をしてみたら、それはそれで妙な楽しさもある。心がささくれ立つようなことばを何気なく投下してくるようなLINEグループはしばらくミュートしておく。これを機に、話したいときにだけ気兼ねなく話せるひとだけを残し、あとは不必要だったのだと人間関係を整理することもできなくはない。ふしぎな繭の中に、閉じ込められているのにどこか安心している。

しかしだんだん怖くなってきた。このこころ穏やかな生活、現実感のかけらもない生活は明らかに異様なのに、異様だという感覚すら麻痺してきたからだ。会いたい友だちに今度リアルで会えるのはいつになるのかわからないけれど、そのときには、直接人に接するのがちょっと怖くなってるんじゃないか。そして摩擦が煩わしくて避けていた人間関係が復活しないままで、わたしはほんとうにせいせいしたと言えるのだろうか。

やっぱりみんなと、会って話したいな。同じ場にいて同じ空気を吸い、同じものを見ながら、少し摩擦を感じながらも何かを分けあいたいな。このビューティフルドリーマーのような世界に慣れきってしまわないように、いったい何ができるんだろうな。

そういえば先日、中3息子にどうぶつの森の発展計画についてアドバイスを受けた。島への移住を促進するとよいというので、宅地開発を行うとさっそく移住者があらわれた。どうぶつの森というくらいだから自分以外の住民はみなどうぶつであり、住民がかわいいとなんか嬉しい、という価値観があるので、息子と2人でかわいい住民だといいね、どんなのかな、と住民に会いにドアをガチャリと開けると、そこに立っていたのはスポック船長とデスラー総統をマッシュアップしたみたいなゴリラであった。そのひとかけらもかわいさのないアピアランスに対する驚愕と落胆の沈黙、そしてその後にきた笑い。あのときの「間」のおもしろさはぜんぜん文章ではあらわせなくて、ここまで書いた下書きを全消去して断筆宣言したくなるくらいだ。やっぱりその場の空気を共有する、ということには計り知れない魅力がある。


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