僕のよさこい感

僕が人生で初めて入ったチーム。信州飯田RANGOKUの頃のお話。どまつりで、よさこいに魅せられて、今を叫び、体で何かを表現する踊り子の姿を見て、帰りのバスの車内で『来年は自分が踊る側で出る』と即決していた。
チームに入り、何度か練習に参加していくと『大賞』『審査』と言う言葉を耳にするようになる。
チームに入ったのが26歳の秋。それまでの人生の中で表彰されることも、部活で大した結果を残してなかった自分にとって、大賞という言葉は余りにもパワーワード過ぎてピンとこなかった。
やるからには目標を持つって大事だな。
くらいにし考えていなくて、手の届くようなものなんて思ったこともなかった。

チームに入って一年が経とうとしていた2014年8月。長野県安曇野市で行われている「安曇野YOSAKOI」に参加した。パレードもあり、長く続くお祭りらしい。数多くのチームが参加するお祭りで、大賞を取ろうと言うのだ。僕は少し気持ちがふわふわしていた。
緊張ではなく、やっぱり「賞なんて、そんなに簡単に取れるものではない」とどこかで思っていた。

たくさんのお客さんの前で、演舞をして、冷やしきゅうりの美味しさにも満足して審査結果の発表の時を迎えた。参加したチームが、ステージ前に列を作って並ぶ。こんなところも長野県らしいと思いながら発表を待った。次々とチームの名前が呼ばれていく中、さっきまで「賞なんて、そんなに簡単に取れるものではない」と思っていたのに、「まだ呼ばれたくない。一番最後に呼ばれたい。大賞をとりたい」と手を合わせていた。
歓喜の瞬間は訪れた。本当に大賞を手に入れてしまったのだ。驚く間も無く、涙が溢れチームのメンバーもみんな手を叩いて泣いていた。これが、歓喜の瞬間というものか。
26歳にもなって流れる涙は、格別だった。僕の知らなかった世界が、これからも、たくさん見られるかもしれない。
「今を叫び、体で何かを表現したい」で始めたよさこいだけど、なんだか事が大きくなってきた感じがした。

お祭りは参加するだけでも、もちろん楽しい。そのお祭りでしか感じられない景色や、そのお祭りでしか会えないお客さんもいる。賞を取るためによさこいをやっているわけではないけれど、自分達のやってきた結果として賞を貰えることができるのであれば、プラスアルファでお祭りが、グッと楽しくなる。

僕はまだまだ見ることができていない景色がたくさんある。その景色が見られる日まで。僕は決してよさこいを辞めないと思う。辞められない。いや、その日が来たとしても、余計に辞められなくなってると思う。
コロナがいつまで蔓延しようと、僕はよさこいから離れることはないだろう。