ひつじのU君。
「やあ、みんな、こんにちは!」
屋根を打つ雨音が響く待合室にたむろしていた人間たちは、一瞬でその姿に目を奪われた。
奇妙な裏声をあげたその主は、自動で開閉するドアを破壊しながら突入してきたわけでも、緊迫した表情を浮かべているわけでもなく、ただ、のそりと待合室に入ってきた。
その姿は、なぜかひつじの着ぐるみで覆われている。
ひつじのショーンのようにカートゥーン調でのっぺりとした愛くるしいデフォルメボディ。黒と白の単色ツートーンカラーだけで構成されている着ぐるみはびっちょりと濡れていて、どしゃぶりの最中を懸命に駆けてきた様子がうかがえる。雨に濡らされたその表皮は独特の光沢を放っていた。
「ちょっと大丈夫?!」
と待合室の住人でも随一のやさしさを誇るBさんが、なぜか携帯していたバスタオルを頭からかぶせてやる。U君は一切抵抗せずに、文字通り手足のひとつも動かさずにそのバスタオルを頭から受けとめた。
ちょうどイーゼルに置かれてる公開前の絵画みたい感じで覆われてしまった、ひつじのショーン。
ピクリとも動かないそのシュールな様子に、何人かから思わず笑いが漏れ出す。ちなみにバスタオルを掛けた当人であるBさんが一番の勢いで吹き出していた。
実のところ、このひつじの正体は割れている。
このひつじの中身はU君といって、この待合室の常連なのだ。
いくら全身がひつじに包まれていようが、そんな突飛なことをする人は限られていたし、謎の裏声であってもイントネーションや雰囲気はまるで隠しきれていなかった。
しかし、どういった事情でU君がこんな着ぐるみを着用しているのは見当もつかなかった。薄々とその正体に気付いていながらもあえて触れない優しさの空気が伝搬した。
俗にいうと、全員空気を読んだ。
良客の新喜劇ファンみたいに、笑いどころを心得ているかの如く笑いと拍手を送ろうと心に決めた様子だった。なんだこの奇妙空間。
私たちのリアクションに満足したのかは分からないが、ひつじのU君は無機質な表情のままバスタオルを器用に丸めて小脇に抱える。ハイライトの入っていない二つの眼の焦点定まらぬままに空いているベンチに向かって真っすぐと進み始める。それからクルッと回転してから、真っ白に燃え尽きたジョーみたいな感じでドサリとベンチにうなだれた。
こうなると、無機質な双眸もいくらか愁いを帯びたように思えて、同情の余地が生まれてくる。しかし登場のインパクトがすさまじすぎるあまりに、どうにも感情移入がしづらい。
だって人間大のひつじだ。なんだってこんなものが待合室に入ってきて場の空気を制圧してしまっているのか。不条理ギャグにもほどがあった。
紹介が遅れたが、この待合室は「病める人のための休憩所」との別名もある世にも不思議な施設だ。ここには、病める人たちが身を寄せ合って互いに癒しあうことを至上とする人種が集まる場所。
私のように興味本位で待機している人もいれば、病める心をいやすべく修道女のような心持ちで待機するバスタオルのBさんのような方もいるし、実際に病んで突飛な行動を起こしてしまうU君のような来客もある(この場合、U君が本当に病んでいるかは判断が難しいが…)。
私たちは協力してこのU君の悩みを解決してあげることにした。
ここからU君のカウンセリング(?)が始めることとなった。この場合、誰が主導権を握るということもないが、幸いにもU君は自ら自己開示をしてくれるようだった。
「ぼく、ひつじのU君!よろしくね!」
ミッキーみたいな裏声になったU君。周りがざわめいた。
これはだいぶ重症かもしれない…。
もしも、そんじょそこらの一般通行人たちがこの「よろしくね!」という右ストレートをまともに受けてしまったなら、この光沢感のある毛むくじゃらに白い目を向けて永遠にお別れとなっていただろう。
だが、舐めてもらっては困る。こちとら投げられた匙を1000本ノックの如くキャッチしてきた剛の者ばかりだ。この程度の変化球はなんということもない。
「わぁあ、U君だ!」
「よろしくね!」
「私は○○っていうんだ!」
まるで群れる園児たちのようにU君を囲った。一役にしてソーシャルディスタンスの壁を打ち払い、コミケの大手コスプレイヤーの如くU君の地位を一気に上げることに成功する。
つまり、もう全員覚悟を決めていた。
ベンチのまわりの人口密度が跳ね上がり、ここにいる誰もがU君の次の言葉を待っていた。
「わぁ!みんなありがとう!優しいんだね!ぼく、そんなみんなのこと大好きなんだ!」
U君は決して仮面を脱ぎ捨てなかった。なんのプロ根性だそれ。とにかくエンターテイナーに徹するひつじの意思をくみ取り、努めて私たちはこの突発ショーを受け止め続けることに砕心した。
それからも奇妙な裏声のまま。よくわからない自己紹介が始まる。
「ぼくはね、親友のアマンダちゃんを探しているんだ。でも、どこを探しても見つからなくて、困っているんだ!」
「え、いなくなっちゃったのアマンダちゃん?」
「そう、たぶんね、連れ去られちゃったと思うんだ!だからね、僕はアマンダちゃんをさがすために冒険しているんだ!」
「え、連れ去られちゃったの!大変じゃない!」
「そうなんだ。だからこうやって各国を回って、アマンダちゃんを探してるんだ!」
「え、U君ってどこ出身の人なの?」
「カルフォルニア」
(バリバリ日本語やんけ)と、なぞに設定のこだわりを見せるU君劇場に内心でツッコミを入れながら、依然としてまったく要領が掴めないままでいた。その後も、風邪ひいたときの夢みたいな話がスラスラと飛び出してくる。頭がおかしくなりそうだったが、この待合室の心情である「来るもの拒まず」が私たちを正気のままで居させてくれた。
すると突然FXで有り金溶かしたみたいな瞳をしたU君がバッと振り向き、私を捉えた。
「きみ、アップルパイは好きかい?」
怖かった。急にその質問内容なんやねんというツッコミが頭に渦巻いたし、手をあげてないのにヒーローショーのちょい役に抜擢させられた観客みたいな気持ちになった。
すごい余談だけど、幼い頃、ディズニーのシンデレラ城のアトラクションで無理やり親に手をあげさせられた挙句、キャストの目に留まりそのまま変な剣を握らされたことがあった。
場面緘黙症やら赤面症やらの人前ハイパー苦手な私にとって拷問でしかないそれを「わ~この子こんなに興奮しちゃって!良かったね~!」とバリバリ勘違いした親にほめたたえられたことがあった。
ちゃうねん。今ガチで泣きそうなんだよ。
と、そんなトラウマが脳裏によみがえりつつも、震える声色で何とか返事をする。
「み、ミスドのアップルパイは好きですね…」
「そうなんだ!ぼくはね!リンゴアレルギーだから嫌い!」
なんだこのひつじひねるぞ。
塩対応のクラッシュみてぇな真似しやがって!とか思っている内に、さっきまであった緊張が嘘のようにほどけた。
そのあと思わずツッコまずにはいられなかったし、周囲もまったく同じ気持ちだったのだろう、あれやこれやとツッコミの声が四方から上がった。
満足そうにうなずくU君。
いやナニコレ。
しばらくは面白がってあれやこれやと質問をし続けた。
しかしひつじのU君がキャラクターの仮面をはずすことはなく、よくわからない世界観が披露されるばかりだった。でも意図的に脳内を退行させている私たちにとって、その意味わからん世界観がたまらなく恋しかった。早い話がうん○で喜ぶ小学生たちに囲まれるU君の図だった。
それからU君はバッと立ち上がって、受け取ったバスタオルをBさんに返却する。
「Bさん、ありがとう。ぼくはね、あなたと話ができてよかった!」
そんなことを相変わらずの奇妙な裏声で話すと、その待合室にいた一人一人の名前を添えながら、感謝の気持ちを順番に述べていった。
「ぼくのことを、面白いといってくれてありがとう!」
「あのとき、仏教の話をしてくれてありがとう!」
「このまえ、ゲームの話をしてくれてありがとう!」
それぞれU君との思い出に心当たりがあるのか、三者三葉のリアクションを返していた。
「じゃあね!みんな!バイバイ!」
そういってひつじのU君は待合室から再び土砂降りの街中に駆けていった。
駆けるというか、足の稼働部位が着ぐるみで制限されているっぽく、万年最下位の競歩選手みたいな感じでトテトテと去っていった。
待合室に取り残された私たちはお互い顔を見合わせる。
それから言えなかった感情を、一斉に吐き出した。
「「なんやねん、あのひつじ」」
※次回、U君の真相編※
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