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「海外で自分の力を試したい」日本で働いたフィリピン女性の4年間

セブ島在住のグレンディさんは、現在は日本人向けのオンライン英会話講師として働いています。彼女は、大学卒業後にフィリピンで英語教師として働いた後、日本に移住しました。当時、彼女は日本語が全く話せませんでした。しかし、昼間働き、夜、日本語学校に通ううちに、会話はもちろん、日本語での読み書きも問題なくできるようになりました。
谷中のホテルで2年間、そして京都のホテルで2年間、計約4年間勤務しました。彼女が日本で働くことになった理由や、実際に働いてみた感想、そして現在のセブ島での生活について、話を聞いてみました。

Her name is Glendy Tejana.She is Filipino and is currently an online English teacher in Cebu. I will tell you the story of when she went to work in Japan, how she learned Japanese, and how she lived in Japan.

「海外で自分の力を試したい」

グエンさん6

私が日本に来たのは、23歳のときです。語学学校に勤めていた日本人の生徒さん(のちにホテル経営者だとわかる)に「日本で働いてみない?」と声をかけていただき、移住を決意しました。

私は、いつもライフプランを考えています。海外に行って働いてみたいという気持ちは20歳くらいからありました。20代前半で海外に出て何年か働き、25歳か26歳で結婚したい。そんなふうに考えていたんです。

私が大学を卒業したのは20歳のとき。フィリピンでは、小学校6年間学んだあとは、中学と高校が一緒になった学校で4年間学びます。その後、大学に進学します。そのため大学を卒業するときは、19歳か20歳なんですよ。

卒業後は、いったんセブ島の語学学校に就職し、そこで1年間働いた後は公立の高校で教師として働きました。私に「日本で働かないか」と声をかけてくれた日本人の生徒さんと会ったのは、最初の語学学校でした。

I moved to Japan at the age of 23. I met a Japanese man while working at an English school in Cebu. During the lesson, he asked me, "Do you want to work abroad?" At that time, I answered, "I want to work abroad, but I don't know what to do. I want to go on an overseas trip." After that, I changed jobs to a public high school and didn't see him for the next year.

コンフォートゾーンから抜け出し実力を試してみたい

グエンさん7

私が講師として彼に英語を教える立場で、彼は日本から毎月1回1週間だけ語学留学をしていました。レッスンの合間に雑談をしているとき、日本人の生徒さんから「海外で働いてみたいと思う?」「日本で働きたいと思う?」ということを決まれました。そのときは「海外で働きたい気持ちはあるけど、どうやったらいいのかわからない。でも、海外旅行には行きたいな」と話していたんですよ。

その後、その生徒さんとは連絡を取ってなかったんですが、1年後連絡がありました。「日本で外国人向けのホテルをやっていて、スタッフを募集しているから働きませんか?」といわれたんです。

正直、迷いました。家族と離れるのはとてもさみしかったし、付き合っている彼もいました。家族と一緒に過ごすのはとても嬉しいし、安心します。反面、いつまでもこのぬるま湯につかっていてはいけない。コンフォートゾーンから抜け出して、自分自身の力を試してみたいという気持ちもあったんです。

それに日本語もまったく話せない。私に日本で働かないかと声をかけてくれた日本人の生徒さんもそれを知っているから、私に日本語を学ぶテキストをくれて、「これで勉強してね」と言いました。

日本に行くまでの準備期間が3カ月――。その間、必死で勉強してひらがなとカタガナを覚えました。最初、日本語の文字は絵みたいだなと思ったんです。それで絵を描くように1つずつ覚えていきました。

I didn't know anything about him, but he ran some hotels used by foreigners in Japan. Therefore, he was looking for foreign staff.
A year after I met him, he sent me a message. He asked me, "Why don't you work in Japan?" I wanted to work in Japan. Because I wanted to test my ability overseas. Another reason is that I wanted to help my parents.
I studied Japanese desperately for three months. Then I moved to Tokyo, Japan. It was very sad to leave my family and lover. But I thought I had to do it.

「人身売買じゃないの⁉」家族の心配を払拭するため両親に説明してくれた日本人

家族には「日本に働きに行って大丈夫なの?」「その人を信じて大丈夫なの?」「人身売買じゃないの⁉」といわれましたね(笑)。実をいうと、私に「日本で働かないか」と声を彼が私の生徒だったとき、私は彼のバックグラウンドをまったく知らなかったんです。でも、レッスンの受け方、話の仕方、課題を出された時の提出の仕方などを見ていたから、彼はきちんとした人だと思っていたんですね。そういった意味では、彼に信頼感はありました。

また、彼もフィリピンの私の家にきてくれて、直接家族に説明してくれました。それで家族も安心して「気をつけていっておいで」とおくりだしてくれました。

To be honest, my parents were very worried about me working in Japan. Because my parents were worried that I would be trafficked. So my student (He is hotel owner) came to the Philippines and explained to my parents where I live and what I do. Therefore, my parents were relieved.

昼間はホテルスタッフ、夜は日本語学校に通う日々

グエンさん11

日本では、東京の谷中にある外国人向けホテルで働きました。そのホテルの利用客は、外国人が8割ですが日本人の利用客も2割います。そのため日本語と英語を話せるスタッフが必要だったんです。

とはいえ、私はまだ日本語を勉強し始めて3カ月だったため、まだ十分な業務が出来ません。そのため最初はレジなどの業務をやりながら、徐々に日本語を覚えていきました。

昼間は谷中のホテルで仕事をして、夜は恵比寿にある日本語学校に通う日々。日本語学校の学費はとても高かったため、1年は通えないと思い半年間だけ通うことにしました。

日本に来た時、最初の給料は15万円。家賃は、社員寮としてホテルのオーナーである日本人の生徒さんが所有するマンションの1部屋を、もう一人のフィリピン人の女性と共同で使っていました。ホテルのすぐ隣のマンションだったので、とっても便利でしたよ。

そこから食費や生活費で2万円かかり、2、3万円はフィリピンに住む両親に送金して、学費を分割で払い、残りは貯金しました。生活は、かなり切り詰めました。そのときいろんな節約方法を覚えましたね(笑)

I worked at a hotel in Yanaka (near Ueno) in Tokyo, the capital of Japan. 80% of the guests using the hotel were foreigners and 20% were Japanese.
The salary is 150,000 yen, and the rent is 0 yen because I lived in an apartment owned by the owner. I shared a room with another Filipino woman. I worked as a hotel staff during the day and attended a Japanese language school in Ebisu (near Shibuya) in Tokyo at night.
I could hardly speak Japanese, so at first I did simple tasks such as cash register work.
The Japanese language school is very expensive (about 300,000 yen), so I went to school for only half a year. I paid the money in installments.

To save money, I spent only 20,000 yen a month on food and living expenses.
(* Her living expenses were low because the company paid her rent as well as utilities, etc. She got a very good job)

ホームシックになったときは日本に来た目的を思い出し気持ちを切り替えた

グエンさん5

日本での生活は、いろんなことが新鮮で、ホテルの従業員の方々もみんなとても親切でした。毎日新しいことを覚えて、とても充実していました。でも、ホームシックにはなりました。いつも一緒にご飯を食べていた両親はいなくて、食事は独り。彼や友達とも会えない。言葉がわからない。文化も違う。さみしかったし、不安に思うこともたくさんありました。

そんなときは、何のために日本に来たのかを思い出しました。「日本に来たのは、自分の力を試すため。日本の文化を知り、仕事を覚え、日本語を話せるようにする。それが今やるべきことだから、落ち込んでいる場合じゃない! 家族や恋人とは離れているけれど、ビデオコールでいつでも話せる。今、日本にいるときにしかできないことをやろう」と思って、カフェで1日中日本語を勉強したり、おいしいものを食べたり、観光などをして、気分をリフレッシュしていました。

I moved to Japan and became homesick. Because I don't understand Japanese. I have no friends. I can't even meet my family and lover. I was very lonely. When I was lonely, I remembered the purpose of coming to Japan. I studied Japanese at the cafe and ate delicious food to change my mood. And I enjoyed walking around the city of Tokyo.

働きながら日本語4技能を約2年でマスター。学習法は?

グエン

日本語学校に通う費用は、自分で出しました。1年通ったら30万円くらいかかるから、ちょっとたかくて出せないなと思って、半年間だけ通いました。費用も分割だったので、働きながら通うことが出来ました。日本語学校では基礎的なことを学び、その後は自分で本を買って自分で勉強しました。

働きながら日本語学校に通い、日本語を覚えるのは正直大変でした。仕事に行く前に2時間、夜、日本語学校から帰ってきた後に2時間、勉強する時間を取りました。リーディング、リスニング、ライティング、スピーキングをそれぞれ1時間ずつ練習しました。

リスニングは、日本語のYouTubeを見たり、映画を見て学びました。リーディングは、毎日新聞や雑誌を読みました。ライティングは、覚えた文法を自分で使えるようにするために、例文をたくさん書きました。スピーキングは、覚えた文法を使って実際に日本人と話してみる。間違えたら、どう言うのが正解なのか、違う言い方はどんなものがあるかなどを学びました。間違えたときは、日本語を覚えるチャンス。恥ずかしがらず、堂々ということが大切です。

I woke up in the morning and studied Japanese for two hours, worked at a hotel during the day, and attended a Japanese language school at night. I studied Japanese for 2 hours after I got home.
I learned to read and write Japanese by watching YouTube and movies every day and reading magazines and newspapers. After learning Japanese grammar, I practiced writing in Japanese and talked to Japanese people using the words I learned.
I could make a mistake, so I decided to speak loudly and clearly.

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自信がないからと言って、下を向いてぼそぼそいっていたら声が聞き取れないし、そんな姿を見た相手は「彼女は私と話をしたくないんだ」と思われてしまいます。それに私はホテルスタッフだから、お客さんの前で堂々と話すことが大切です。

正直、疲れて寝てしまいたいときもありました。でも、日本に来たからには日本語能力検定に合格したかったし、資格が取れればセブ島に戻った時も日本と同じくらいの給料をもらって働くことができます。そういった意味でも、絶対に合格したい試験だったんです。明確な目標があったからどんなに疲れていても頑張れました。

それに、言葉を覚えると周りの人との会話が楽しくなるし、より親しくなれます。コミュニケーションが取れるようになるから、どんどん日本での生活が楽しくなる。そういった意味でも、日本にきて働きながら日本語の勉強をするというのは、とてもいい環境でした。日本語能力検定試験に受かったのは、勉強を始めて1年半くらいですね。資格習得後は給料が22万円にあがりました。

Sometimes I was tired and wanted to sleep. However, I wanted to pass the Japanese Language Proficiency Test. Because if I pass the exam, when I return to Cebu I will get the same salary as when I work in Japan.
I studied Japanese for a year and a half and passed the exam. Therefore, my salary was 220,000 yen.

仕事ではプレッシャーもあったけどやりがいも感じた

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日本で働くのは、とっても楽しかったですよ。ホテルの日本人の従業員さんたちも、みんなとても親切でした。まるで子どもに教えるかのように「これはやってはだめだよ。これはこうやってしてね」と1つ1つ、とても丁寧に教えてくれました。

反面、働くことにプレッシャーを感じる場面もたくさんありました。ホテルでは、フロントスタッフとして多くの外国人、日本人と話しますが、日本人相手だと、相手が丁寧なこともあって自分自身も「きちんと対応しなきゃ」という気持ちになるんですね。それに日本語はまだそんなに上手じゃなかったから、「私の日本語は正しく話せているかな」と思って心配になることもありました。

また、私を日本に誘ってくれた彼、会社の社長が「日本語の勉強頑張ってる? もしステップアップしたいなら、日本語をがんばって勉強してね。でも、もしそんなにうまくならなくていいやと思うんだったらがんばらなくていいよ」と、よくいっていたんです。

そういわれるとプレッシャーを感じるんですよね(笑)。それで「がんばって日本語を勉強しないと!」と思っていました。

社長を始め、スタッフの人たちには、本当にお世話になりました。今でもすごく感謝しているし、その気持ちを伝えたいと思っています。

I really enjoyed working in Japan. Because the Japanese staff were very kind. They always called out to me. They taught me kindly and politely, as if they were dealing with a child. I am still very grateful to them. And I want to say thank you to them.

* The Japanese staff was kind to her because of her character and she probably worked with the introduction of the owner.
That's why I always tell you that when you work in Japan, you should go through a referral from someone you can trust. If there is an introducer, the salary and correspondence will be completely different.

東京、鎌倉、日光、軽井沢、京都。観光地を訪れて改めて感じた日本の良さ

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日本ではいろんな場所に行きましたよ! 東京では上野公園や渋谷、新宿、秋葉原、浜松町、銀座、恵比寿、お台場、ディズニーランド、鎌倉の大仏なども見に出かけました。栃木県の日光や長野県の軽井沢にも行きました。

東京で2年働いた後、京都のホテルに移動になりました。そのため京都でもたくさん行きました。金閣寺、銀閣寺、清水寺、祇園にも行って芸者さんにも会いました。伝統的な懐石料理(かいせきりょうり)のお店にも行き、日本の文化を思う存分堪能しました。京都は、東京とはまったく違った雰囲気ですね。京都は、日本の古都(こと)ということもあり、歴史的建造物などもたくさんありました。

モダンな雰囲気を感じたければ東京、歴史ある日本独自の文化を感じたかったら京都に行くことをお勧めします。

On holidays, I also went to see Ueno Park, Shibuya, Shinjuku, Akihabara, Hamamatsucho, Ginza, Ebisu, Odaiba, Disneyland, and the Great Buddha of Kamakura in Tokyo. I also went to Nikko in Tochigi prefecture and Karuizawa in Nagano prefecture.
After working in Tokyo for two years, I moved to a hotel in Kyoto. Therefore, I went to Kyoto a lot. I went to Kinkakuji, Ginkakuji, Kiyomizudera, Gion, etc. Kyoto is an ancient city of Japan, and there were many historical buildings.

If you want to feel the modern atmosphere, we recommend you to go to Tokyo, and if you want to feel the historical culture unique to Japan, we recommend you to go to Kyoto.

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日本に住んでいる人で、「国内旅行をほとんどしたことがない」という人もたくさんいます。それは私からすると、とてももったいないことだと思います。日本には、有名無名にかかわらず、たくさんの素晴らしい景色や文化、食べ物があります。「いつでもいける」と思っていると、なかなかその機会はやってきません。

日本人は、まじめに働くことはすごいと思いますが、働きすぎて休日疲れて家で寝ているだけになっている人もたくさんいます。仕事をがんばることも大切ですが、もっと休日を楽しめるようにすることも大切だと思います。自国の文化を知ることで、海外から来た人にも自信をもって案内できるし、いいところをたくさん発見できます。

Some Japanese rarely go to tourist destinations in Japan. Because they are very tired from work every day. I think it's important to work. But it's only part of life. I think it's important to have more fun.
If they are interested in their own culture, they can spread the goodness of Japan to the world.

結婚かカナダに移住か。第二のライフプランを実行に移す時がやってきた

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日本にきて働きながら、この先のこともずっと考えていました。というのも、私は25歳か26歳で次のライププランを実行に移したかったんです。日本に来る前、セブ島で彼氏がいたんですが、当時考えていたことは、もし彼とこのまま関係が続いていたら26歳くらいで結婚したいなと思っていたんです。万が一別れたら、このまま日本で働き続けるか、もしくは今度はカナダに移住してみたいなと思ってました。

彼からプロポーズされたら、セブに戻るつもりでした。やっぱり長く住むなら、家族が近くにいて住み慣れたセブの街がいいし、それに日本語能力検定試験も受かったから、セブに戻ったとしても日本と同じくらいの給料をもらえる。そういう意味では、彼と結婚する道、カナダに移住する道、どちらを選んでもいいなと考えていました。

日本とセブ島の遠距離恋愛で、私がセブ島に帰ったのも来日後1年半たってからです。そのためさみしくなる日もありましたが、そんなときはビデオコールをしていました。もし、遠距離恋愛で彼がほかに好きな人ができたら、それはそれで仕方がない。運命の人ではなかったんだなと思っていたと思います。彼じゃないから、私にはほかの人がいるんだろう、と。だから遠距離恋愛で」「彼の心が離れてしまったらどうしよう」ということは、あまりかんがえなかったですね。

I wanted to put my next life plan into action when I was about 25 years old. Will it continue to work in Japan, move to Canada, or return to Cebu to marry him?
At the age of 26, he proposed to me. Therefore, I returned to Cebu Island. Because I wanted my own family. If I had parted with him, I wouldn't have returned to Cebu yet.

お世話になった両親の役に立てたことが嬉しく、誇りに思えた

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セブ島に戻ろうと思ったのには、もう1つ理由があります。実家の庭に水道ができたこともあり「家族のサポートができた」という達成感がありました。

私の家族は7人で、父親と母親、きょうだい5人です。フィリピンにいるときに姉が病気で亡くなったので、今は4人きょうだいですが、私が一番下なので、きょうだいを養うために送っていたわけではないんですよね。

親にお金を送金するのはフィリピンの文化でもあるんですが、私自身もお世話になった親に感謝の気持ちを込めて、お金を送金してあげたい。少しでも暮らしをよくしてあげたいと思って送っていました。

うちには畑がありますが、うちにはその畑に水をやる水道がすぐ脇になかったんです。お父さんとお母さんは、私が送ったお金を使って、畑のすぐわきに水道をつけたそうで、畑仕事がとても便利になったと喜んでくれました。それを聞いたとき、「お父さんとお母さんの役に立てた!」と思い、とても誇らしく感じました。

I sent 20,000 to 30,000 yen every month to my parents living in the Philippines. Sometimes Japanese people ask me, "Why do you send money to your parents?"
I am the youngest of five siblings. I don't have to send money to help my brother. However, I would like to give back to my parents who took care of me. This is Filipino culture.

I sent money to my parents. So my parents were able to run the water in the garden. So my parents were very helpful. I am proud to have helped my parents.

英語講師として日本人に英語を教えながら日本語の語学力を上げたい


今の目標は、セブ島で日本語教師として働き、日本語を習得したいと思っているたくさんのフィリピン人に教えることです。今はまだ私の日本語の能力はそれほど高くはないので、もう少し日本語を学び、それから始めます。

今は、「英語スーパーバイザーコンサルタント」の英語講師として、オンラインでたくさんの日本人の生徒に英語を教えています。私が生徒さんたちに、日本語と英語を使ってレッスンをすることで生徒さんたちは英語が上達し、私は日本語が上達します。

もう1つ、私は「英語スーパーバイザーコンサルタント」の代表取締役を務めるマナカさんをサポートしたいです。彼女とはセブ島で出会いましたが、私がコロナで職を失いかけたとき、声をかけてくれた人です。だから私は彼女を全力でサポートしたい。それに、彼女も英語を学んで、私とは逆に、日本から単独セブ島にきて5年間働きました。

そして、コロナで日本に戻ったあとも、自分で会社を興し、セブ島でやっていたように、生徒さんたちの英語学習のサポートをしています。同じ女性として、マナカさんの生き方は、純粋にかっこいいと思います。憧れますよね。だから、彼女のことを全力でサポートしたいです。

I have returned to Cebu, Philippines and am working as an online English teacher.
And I teach English to many Japanese people using Japanese and English.
I want to improve my Japanese conversation skills and work as a Japanese teacher in Cebu.

I would like to support Miss. Hisae Manaka , who is the CEO of "English Supervisor Consultant". I met her on Cebu Island. She helped me when Corona was rampant and I was about to lose my job.

Manaka, contrary to me, learned English and moved to Cebu. And she worked for five years. She returned to Japan for Corona. And she created her own English coaching company. She wants to help those who want to open up their life by learning their English.

As the same woman, I long for her way of life.

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間野由利子/コラムニスト/明治大学サービス創新研究所 

オンライン英会話2年目。毎日の英語学習と習慣化について
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都内を中心に国内外のレストラン情報を日本語と英語で紹介
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