見出し画像

どん底の私を救ってくれた人①

ドイツに来たころの私がどんだけ落ち込んでいたかをちらっと書いたけど、そんな私の転機になった出会いがある。今思うと本当に偶然で、なにかがこの出会いを導いてくれたとしか思えない。

それは娘の誕生日だった。幼稚園に通う上の息子にも友達らしきものができ、友達の家によばれたりお返しにその子を家によんだりするようになった。誘ってくれるのはだいたい、ドイツ人にしては感じのいい英語が話せるお母さんがほとんどだった。その日、遊びに来ていた友達と息子を連れて近くの公園に行った。子供達が元気に遊ぶのをベンチに座って見ていた。ベビーカーにのっていて動かない娘といっしょに。もしこの子が普通の子だったら、友達をたくさんよんで誕生会をやっていたかもしれない。

隣に、やはりお嬢さんが友達と遊ぶのをながめるために女性が座った。彼女のほうから私に話しかけてきた。きっかけは覚えていないが、彼女はアメリカ人で、日本にしばらく住んでいたという話をしてくれた。ふと彼女に聞かれた。

「ドイツはどう?楽しい?」

知らない人なのに、堰をきったように不満をぶちまけた。

「全然楽しくない。辛いことばかり。人は冷たいし。日本人だったら知り合ったばかりでもお茶したりランチして少しずつ仲良くなっていくけど、ドイツ人は気軽に誘ってくれることはない。」というような話をした。

「えー私ランチ行ってあげるよ。おいしいお店知ってるし」

と言ってくれたけど、アメリカ人って調子いいなあ、と思っただけだった。一応メールアドレスは交換したけど、連絡なんてこないと思っていた。

それがほどなくほんとにメールがきて、めったに行かない市街のイタリアンレストランに連れていってくれた。外のテラスでまぶしい太陽をあびながらおしゃれな場所だからちょっと緊張して食べたのを今でも覚えている。そしてその数週間後、彼女からまたメールがきた。それは月曜日で、急だけど今夜友達とバーで会うことになったけど来ない?というもの。

月曜日の夜で、雨が降っていた。普通だったらとても出かけたくないような夜だった。でも、なんだかわからないけど、絶対行った方がいい気がした。そして運命の出会いがあった。そこには彼女の友達やその人の友達が来ていた。そのうちの一人はとても重い障害をもった娘さんがいると知ってびっくりした。きっと私に引き合わせてくれるためにこの夜よんでくれたんだなとあとから思った。みんなで意気投合して、次はホームパーティをやろうという話になった。ドイツにきてからはじめて、自分にしては精一杯のおしゃれをして、まるで東京にいるみたいなバーでおいしくお酒を飲んだ。本当の自分がちらりと顔を出した。

その時の写真がこちらで、多分この夜のことは一生忘れないと思う。

画像1


それからこの仲間にもう一人加わって、私達はよく旅行をしたり踊りに行ったり誰かの家でホームパーティをした。ドイツに来てからはじめてできた、本当に気の合う、価値観の合う、いっしょにいてわくわくがとまらないような友達となった。私を公園で救ってくれた彼女は決して自分では言わないがけっこうな富豪のようで、世界中にいくつかある彼女の別荘に私を何度もよんでくれた。死ぬ間際に感謝したい人がいるとしたら、彼女は間違いなくそのうちの一人だろう。


画像2

仲間のうちの一人、スウェーデン人の友達の別荘にて。スウェーデンの9月は夜は凍えるほど寒いのに、素っ裸で海に飛び込んだ人が二人もいた!

※冒頭の写真は仲間の一人の誕生パーティでABBAのダンシングクイーンを踊る私達。このときのカツラは今でも私のズンバで大活躍。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?