生き方じょうず

(2012年執筆)

チリの首都、サンティアゴにいます。
エクアドルペルーボリビアと下ってきたけれど、今のところ、ここが一番都市らしい街。
海辺の街、ラ・セレナに着いたとき、バスターミナルの目前に大きなモールドがあることに感動したけれど、サンティアゴはモールもデパートも百貨店もいくつもあって、街中を清潔なメトロが走っていて、メトロの中では若者がスマートフォンをいじっている。南米の、他のどこでも見られなかった光景。

大学近くの大衆食堂やバーは、陽が暮れる前から学生含む地元の人間や観光客で溢れかえる。週末のアルマス広場には絵描きやアーティスト、マジシャンなどが集まり、両親に連れられた子どもたちの手には、やたらとべかべか光るメタリックカラーの風船が握られている。可愛らしいキャラクターやなんかの。
ようやく夏の始まろうとしている南半球のサンティアゴでは、日中は30度近くまで上がる。赤い口紅を塗った女性や、タトゥーの目立つ男性たちは笑顔でひかり、公園に行けばカップルが野良犬たちの傍らで、草に寝そべって日向ぼっこをしている。

チリの人たちは、生き方じょうずだ。
これはきっと、チリだけじゃなくて、ラテン系の国の多くに言えることなのだろうけれど。
休暇好きのチリ人たちは、年間15回以上のlong weekendがあるらしい。日本でいうところの、週末をはさんだ連休。それがなくても、やはりキリスト教徒の多い日曜日はほとんどのお店が閉まるのに、この連休も彼らはしっかり休みを取る。休日でなくても、昼になるとシエスタ(昼寝)の時間をとる。仕事が終わればバーにビールやワインを飲みに行く。夏の夕方や週末は公園や広場に行ってのんびりする。すこし裕福な人たちは、ワイナリーに行くこともある。

屋台の人に道を訊ねたりなんかすると、他のお客たちまでこぞって道を教えてくれようとする。眠たげな顔でメトロに乗っていると、男の人が席を譲ってくれる。バーのオープンテラスの席でビールを飲んでいると、チリはいい国だろう、ハッピーな人たちが多いだろうと、ハッピーに酔っているお兄さんに話しかけられる。
皆、こころに余裕がある。少なくとも、私の見る狭いサンティアゴの人々は。魚市場やマーケットでせわしなく働く人たちも、市場が閉まる頃には、かろやかに笑いながらビールを片手にしている。

オーストラリアの人も、とても生き方じょうずらしい。
オーストラリアでワーキングホリデーをしたいたらしいえみこさんは、フルタイムで働けばもっと利益や収入を得られるであろうにそうせず、15時には仕事から上がり庭でくつろぐオーストラリア人たちに訊ねたらしい。「もっと働けばもっと稼げるのに、どうしてそうしないの」と。

「そりゃあ働けば稼げるだろうけれど、働く時間が長ければ長いほど余暇も減るし、そうしたら自分の趣味や人生を楽しめないし、家族と過ごす時間も減るだろう?」

しごく当たり前のことなのに、どうしてこんな簡単なことを、日本で働いていると、忘れがちになるんだろう。と、銀行で五年間働いていたえりこさんも言っていた。

働くために生きる。
ではなくて、
生きるために働く。

オーストラリアの人も、チリの陽気な人たちも、日本に住む生き方じょうずな人たちも、生きるために様々なことができている人たちだと思う。
生きるために働くことができている人たち。
朝起きて、歯を磨いて顔を洗って、生きるための職場に行って、生きるための家に帰ってきて、親しい人たちとお酒を飲んで、食べたいものを食べたいときに食べることができている人。

そして、感謝のできている人たち。
朝元気に目が覚めること。無事に職場に行き、無事に仕事を終え、無事に帰宅できること。愛する人たちに囲まれていること。愛する人たちと食事をできること。お酒を飲めること。平穏無事に、眠りにつけること。
当たり前に見えて、何一つ、本当は、当たり前でないことたち。
「あたりまえ」は、本当は「ありがとう」だから。
そのことを分かっていて、感謝できている人たち。だから彼らは生き方じょうずで、だから彼らは幸福に見えるんだろう。

こころに余裕があるから、今はまだ。だから、わかる。
私にはいくつもの選択がある。それは、日本で就活をして、日本でずうっと働くという選択肢も含むけれど、それだけじゃない。何度も自分に言い聞かせるようだけれど。
「自分が今まで選んできた選択肢たちのおかげで、今自分はここにいて、それらの選択肢を選んだことに後悔しない」生き方をしたい。
たとえば2年後5年後、そう言えるような生き方をしていたい。何一つ後悔していないって、胸を張って言いたい。


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