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その5。◇脱スピリチュアルをしてみたら気が付いたこと。◇違和感だった理由を知る編

宅建士になるための勉強を始めてみると、民法の面白さに心がざわついた。この世の中に存在する権利関係に決まりを設けた民法は、道徳などの概念だけでは解決が出来ない人間社会のトラブルに白黒が付けられるという判断基準だと感動した。

法律を知ることで、感情で判断しがちな事柄に対して、何が問題でどんな対処をするべきなのかが明確になる。そのうえで、感情をフルに使い、対応することが、人間としての幅にもなると考えられるようになって、心のどこかで安心感を持てるようにもなった。

今。私がまだ学生だったら、かなりの確率で法律家を目指していただろう。私の底にある正義感×法律の世界で世の中のためになる仕事を見出していたと感じる。それは私だと。

その感覚は、あながち、外れていなかった。幼少時代にいなくなった父の家系がそのような脈略だったと後から知った。

継ぐものだったんだな。

中学生から大学生まで部活三昧の日々だった。たまたま強い運動部にご縁があり、そして、少し運動神経が良く、極度の負けず嫌いが重なり合って、大学では日本一にまで上り詰めることが出来た。

でも、ずっと、何かが違う。体育会系の世界に違和感があった。

宅地建物取引士と管理業務主任者の資格を取った私だが、今、それらを使ったお仕事をしているわけはない。

ただ、本来の自分の基を身体で感じ、取り戻したことで、自分探しが終わった気がする。そして、この今の環境にどのように順応しながら、どう継いでいくのか?を考えるようになった。

何をすることがこの世の中を良くすることが出来るのか?私のお役割を遂行したいと。

自分がいて、家族がいて、日々の瞬間瞬間があざやかで。

どこかいつもさみしかった私にとって、それはとてもたのしい作業だ。

つづく。





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