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小人が繋ぐ音楽

機器のボタン操作を間違えてたまたま流れてきたのが、シューマン作曲の「子供の情景」から、"見知らぬ国と人々"というピアノ曲だった。
シンプルで穏やかなメロディーなのに、愛おしさや懐かしさ、憂いや悲しみを同時に感じて、胸が苦しくなる。
多分主人公の子供が、異国の人々が話して聞かせてくれる、まだ見たことのないあれやこれに豊かな想像を膨らませているところなのだろう、と想像する。

あまりにも不意打ちで耳に流れ込んで来たからか、子供の頃、音の中に住みたい、手にとって離したくない、と思ったのは、この感覚や心の動きを手放せなくなったからだった、と思い出した。
大人になって色々な物事や現象に名前をつけるようになったからか、この感覚をしばし忘れていたように思う。
なんだかわからないけれど転調した瞬間に色々なことが思い出されて、にわかに興奮してしまった。
何の話かというと、この曲のBメロの部分、転調して下降してゆくハーモニーの骨格のことである。
反復しながら下降し、救われるように長調に終息するこの音型が、居ても立ってもいられないくらい好きだと感じた。
それを呼び水に、脳の血管を駆け回る小人たちが、同じ要素を持つと判断した曲をめいめい勝手に引っ張り出してきては意識のもとに放り投げ始めたので、これはどうやら、今まで私の胸にダイレクトに響き続けていたハーモニーのパターンであるらしい、とこの興奮の正体がなんとなくわかってきたと同時に、自分の「音」に対する執着めいたものの形が見えてきたような気がした。

例えば、ディズニーの「美女と野獣」である。
あのステンドグラスの景色で物語られるプロローグである。

https://youtu.be/x2rDrKUb6bM

(なぜか埋め込めない。)

物語の一つひとつの要素だけを取り出すと、なぜこの作品がそこまで好きなのか実は正直よくわからない。
しかし、例え格好良かった野獣がグランド・フィナーレでひょろっこい王子に変身してしまう現実に観る度に失望したとしても、そもそもの事の発端は何だっけ、と王子の魔女に対する振る舞いを思い出して1000年の恋も冷める思いがしたとしても、この冒頭の音楽によって、私の中には既に独自の幻想世界が出来上がっているため、諸々の細かいことを全部差し置いたとしても、総じて淡い幻想の詰まった思い入れの深い作品となっているのである。
実際のところ、エントランスホールに螺旋階段のある魔法のかかったお城に憧れたり、グラスドームの中で薔薇が生きている画を実現させたくて自作を試みたりした幼少期であったので、その世界観が好きだと言ってしまえばそれまでなのだけれど、それを含めても、初めて観たときから今までの間夢に溢れたあの印象がまったく変わらないのは、ああこれが理由だったのか、と思うのだ。

音の記憶は、現実の時間軸と異なり、いつでも"そのとき"と今とを自由な経路で繋げてくれていると感じる。
音の中の景色を見ているから、音の中で呼吸する限り、見える情景は子供の頃と何も変わらない。
失いたくない感覚、忘れたくない感覚を、音楽が結晶のように閉じ込めて美しくとっておいてくれているが、それらは化石ではなく、間違いなくその時間軸の中で新鮮な呼吸をしている。
そして見返す度にその感覚を再現させ、いつでもその世界に存在する幸福をくれるのである。
一方で、蓄積された感覚たちはたくさんの小人となって私の中のあちこちに住んでもいて、寝静まっているかと思えば、何気ない音の刺激でいきなり活動し始めたりするから油断ならない。
音楽、ことに舞台は「消えもの」であるので、「それ」はその一瞬で発現され、同じものが現実で再現されることは二度とないのだけれど、そのとき体感したその経験は消えない。
けれど「それ」らをよみがえらせる度に磨耗させたり、色褪せたりはさせたくないと願うから、大切に思う作品ほど、記録媒体を再生する際には中途半端に消費することをしたくないと思う。

その感覚を強く感じるのが、ロッシーニ作曲のオペラ「コリントの包囲」(もしくは「メフメト2世」)の中で歌われる、"Giusto ciel! in tal periglio"というアリアだ。
例の音型は、導入のオーケストラの部分で使われている。そこで既に、特別な感情が湧き上がって溢れてきてしまう。

オペラ=ほぼ全編通して歌いながら演じる劇なのだけれど、ここぞというシーンでキーパーソンが自分の感情の動きをキメの歌(それも、だてに何百年も歌い継がれてない名作)で表現するから、歌い手が上手いと本当に心が震えるし、全力で感情移入するか、全身の細胞が喜びを感じて踊り出す。
しかもそれが花形歌手陣のみならず、50人からのオーケストラや大勢の合唱が加わって総出でやられるので、感情の触れ幅もスケール感が日常から桁外れに外れまくるわけである。
例えば、毎年夏にイタリアの野外劇場で行われる規模の大きな作品では、軍隊が本物の白馬に乗って登場したり、映画「マリー・アントワネット」のイメージさながらの社交界の光景が目の前で繰り広げられたりするので、アトラクションも満載だ。(アイーダとか椿姫とか)。
ディズニーランドを軽く越えるような、感情がぐわんぐわん揺さぶられる体験型アトラクションなので、しばらく現実の世界に戻れなくなる。
(だからテーマパークに興味がないのかもしれない…。)

それで、このオペラのお話に戻る。
これは敬虔なヒロイン・パミーラが、愛してしまった敵方のボス(オスマン・トルコ皇帝)と、最後まで戦うことを決意した父(ギリシャのコリント総督)率いる祖国との狭間で苦しみ、救いようのない状況で神に祈る場面で歌われる曲である。
オペラの面白さを伝えるための選曲としては、真面目だし悲劇だし、そういう意味では地味で演奏されることも少ない作品なのだけれど、とにかく導入の和声を聴くだけで泣きそうになるくらい美しい曲なのだ。
例の前奏の和声進行で、私の胸の奥にしまってある小箱から、希望と絶望とが全てないまぜになったような感情がむせ返るように溢れて来る。
そして紡ぎ出される歌から、降り注ぐ一筋の光が見え始める。
「神様、嘆き苦しみ涙に暮れる私たちにどうか望みを、お慈悲をお与えください、この苦しみに終わりをもたらして下さいますよう」というようなイタリア語の歌詞であるが、言葉の力×メロディーの力で、聴き手に伝わる浸透圧が何倍にも威力を増す。

https://youtu.be/pryp0ZDOeOA
(なぜか埋め込めない…。)

「consiglio(助言)」や「speranza(希望)」の言葉で、光の糸を手繰り寄せ求希するようなフレーズの上昇に、キリスト教(正教会)を知識としてしか知らない私のような人間も、神に対する崇高な祈りの光を目にしたような気持ちになる。
しかし同時に、「implorare(請う)」の言葉で最高音から下降するときの、涙を流す様子を表した音型で人間味を感じて、総じて個人的な悲しい気持ちになる。
ちなみにストーリーとしては、パミーラが決断の末に父と祖国を選び、コリントは敗北。敵に捕らわれるくらいなら死を選べ、と父に渡されていた短剣で自らを刺し、街は(彼女もろとも)炎に包まれてゆく、というお話。

オペラの中では、その国々の歴史や文化や語学がすべて絡み合い、終わりのない知的好奇心を満たし続けながらも、そのすべてが人間の心の機微に帰結する瞬間の連続なので、歌い手としても聴き手としても、全身全霊で音楽を楽しむし、全力で人生を生きている体験をする。
(曲を分析し始めると面白くてキリがないが、もちろんPOPSのように聞いてもBGMとして聞いても楽しい。というか、これが昔でいうPOPSや映画だったわけで。)
ちょっと前まで、なぜ音楽が好きか、なぜオペラが好きか、ということを言葉にしようとすると、どんなに言葉を尽くしてもそれは自分の胸の内にあるものの一部でしかないし、言葉にして他者の耳を通した瞬間に真意ではなくなってしまったりするものだと思っていた。
それに「好き」というのは、「なんとなく」のような、第六感的なものの集合体だとも思っている。
けれど今回、年の功なのか、そんなに本質が逃げないように言い表せるような気がしたのと、これからは言葉にしてもっと広く伝えてゆくことが必要なのかもしれないとも思った。
やはりコロナの影響で、「生きた本物」を直に聴ける・観られる機会が大きく喪われてしまっている現状をみて、いくら好きでいても、アカデミックな鍛練をして演奏の機会を待っていても、ただでさえ自ら扉を開く人が少ない世界が、もっと閉じられていってしまう気がしたのだ。
(それでなくても、クラシックの愛好者人口は高齢化しているというのに!)
ジャニーズはあんなに国民を総動員しているのに、人気ミュージカルのチケットは取りたくても手に入らないくらいなのに、なぜ!オペラもこんなに面白いのに!という私の個人的な叫びを、もっと世の中に広く喚きたい、もっとこの楽しみを外に開いてゆかなければならない、と思った。 
聴く人・観る人に面白いと思ってもらえるためには、やはり奏者側の根底に芸術としての筋が通っていることが必須なのだけれど、それでも広く観客にとっては、どこまでいっても笑えるコメディであり、惚れた腫れたのラブストーリーであり、人間模様を抽出したお芝居で、そうでなくても綺麗な音楽をシンプルに楽しんでもらえるような、もっとラフで飾らずに楽しめるエンターテイメントであってほしいと思うのだ。
知り合いが出る、という理由で自身の出演作品で初めてオペラを観に来てくれた人が、オペラがこんなに面白いものだなんて知らなかった、という感想をくれることは多い(事前に楽しんでもらうための布石を打っておくことは忘れないが)。やはり百聞は一見にしかずだと思う。
一番良いのは自主選択的にクオリティの高い「生の本物」を一度体験してもらうことなのだけれど、そこまでに至る足掛かりがオペラはあまりにも少ないと感じる。
だから自分の「好き」を話すことが、誰かにとって少しでもオペラに興味を持つきっかけになれば良いな、と思い、今回思ったことをここに控えておくことにする。
(あれ、好きな曲を集めて楽しむ用にメモしておこうと思って書き始めたのに、3曲で終わってしまった。他の曲についてはまたの機会に…。)

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