御言葉の黙想 ネヘミヤ記8章10節 2024年7月14日
本文:
彼らはさらに言った。「行ってごちそうを食べ、甘い飲み物を飲みなさい。その備えのない者には、それを分けてあげなさい。今日は、我らの主の聖なる日だ。悲しんではならない。主を喜びとすることこそ、あなたがたの力であるからだ。」
黙想:
ペルシア帝国の宦官であったネヘミヤは、廃墟となったエルサレムの城壁を再建する夢を抱いた。そして、内外の敵の陰謀と攻撃の中で、この城壁をついに完成させた(6,15)。その時になって敵(サタン)はそれが神の御業であることを知り、大いに落胆した(6,16)。かつてバビロンに滅ぼされ栄光を失ったイスラエルは、神の御恵みによって新たに復活したのである。
そして、完成した城壁の中で、律法書が朗読、解説される(8,8)。しかし、内容を理解した聴衆たちは、静かにさせなければならないほどに、嘆き悲しんだ(8,9.8,11)。
彼らはなぜ律法書(トーラー)を読んで泣き、悲しみに打ちひしがれたのだろうか。それは自分たちがなぜ苦しみと屈辱に耐えなければならなかったのか、トーラーにその理由が示されていたためであっただろう(9,30)。
主を侮り続けた、そして、悔い改めなかった、責任を取ろうとしなかった先祖たち姿に、涙を流したのだろう。
私たちの時代は神を侮っていないだろうか。頑なになって悔い改めを拒否しているのでないだろうか。
罰を受けないで悔い改める者は幸いである。その人は主を喜ぶことを許され、主はその人の保護者となってくださる。