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マラハバ、素敵なモロッコ・イスラーム

アフリカ大陸最西北の国、モロッコ。

初めてのアフリカ大陸、たった一人の大冒険。ワクワクとドキドキ、少しだけ緊張の方が勝ってた、かも。


スペインのアルヘシラスからタンジェまではフェリーで1時間半くらい。

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景色はずっと変わらないけれど、過去にどれだけの民族が、戦士が、商人が、文化が、この海を渡って対岸の世界に溶けていったんだろうとロマンに溺れて思いを馳せていたら、憧れのジブラルタル海峡縦断はほんの一瞬で終わってしまった。


モロッコは、とてもとても美しい国だった。

タクシーからは右に真っ青な海岸、左にヤギと眩しい緑の牧地、正面にゴツゴツとそびえたつ山脈、とその手前にベルベル人の伝統衣装を着たおじさんとヒジャブで目しか見えない女性、このすべてが一度に目に入った。

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壮大な自然は、私の中の「アフリカ大陸」のイメージを体現していたけれど、モロッコはアラブの国だった。


砂漠とイスラーム。
街で一番よく見るのはヤシの木。ジェラバを着ている人もいるし、ムスリムの規範に従った服装の人もいるし、洋服の人も同じくらいいたと思う。スークを歩けば積み上げられたカラフルなスパイスを何度も目にする。

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スークの店主さんとは、本当に買う気があるときしか目を合わせたらダメ。世界を股に掛けたムスリム商人の商売魂をなめちゃいけない。
スパイスやらアルガンオイルやらアンバルやら、モロッコにいる間、合計で何時間同じ内容の説明を聞いたんだろう…


せっかくモロッコに来たならリヤドに泊まりたい。リヤドはアラビア語で庭、とかそういう意味で、建物の真ん中が吹き抜けになっていて屋根がなく、文字通り「庭」が中心にある宿泊施設のこと。

高級なリヤドに泊まればプールとか噴水とか、それこそジャスミンが住んでいそうなエキゾチックでゴージャスな雰囲気を楽しめると思う。

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2週間近くモロッコにいた私が泊ったのは全て「ホステル」だったけど、どこも建築様式としてはリヤドと同じ感じで、豪華絢爛な装飾はなくとも、吹き抜けになっている建物の中心が、モロッコらしい家具でまとめられたエントランス兼共有スペースで、宿泊している人たちのたまり場だった。

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ホステルは屋上もテラスとして開放しているところが多くて、そこから見える景色はまさに「アラビアン」。旧市街に泊まれば、石造りの建物はほとんどどれも同じ高さで、モスクだけが高くそびえたっている。ジャスミンじゃなくてアラジンの感覚を楽しみたいならホステルがオススメかも。



モロッコは、今まで行った国の中で一番「イスラームが街になじんでいる」国だった。

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滞在している間いくつものモスクを見かけたけれど、どれもローカルのムスリムのための神聖な場所という感じで、中に入るのはやめておいた。
入口の近くで子供たちがわいわい騒いでいるのを気難しそうなおじさんが睨んでいたりもする。(モロッコのおじさんって優しい人はすごく優しいんだけど、怖い人は本当に怖いの)

マレーシアでブルーモスクに行ったときは教徒のおばさんがハキハキと懇切丁寧にイスラム教について、モスクについて説明してくれたことを思い出したら、イスラームの中にも色んな人、社会、考え方があるんだなぁと思った。


モロッコにいる間で一番印象に残っているのがアザーン。
ムスリムが一日に五回行う礼拝の時間を知らせる掛け声で、
・明け方から日の出まで
・正午から昼過ぎまで
・昼過ぎから日没まで
・日没直後
・就寝前
の時間帯に、「アッラーフ・アクバル」から始まる肉声が街のみんなに聞こえるような大音量で流される。

そう、一回目のアザーンが流れるのは「明け方から日の出まで」。

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これのおかげでモロッコにいる間は毎朝6時ごろにアザーンにたたき起こされていた。

はじめは鬱陶しいと思っていたけれど、だんだんとそんなイスラムの生活にも慣れて、アザーンが生活リズムを刻んでくれている気もしてきて、妙に愛着が湧いてしまった。

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最後の日の夕方に、フナ広場のショウガ茶の屋台で遠くのミナレットを眺めながら聞いたアザーンはずっと忘れないだろうなぁ



イスラム教の信仰義務の中に、貧しい人に金銭や現物を施す「ザカート(喜捨)」というものがある。

スークの中にはいたるところにゴミ溜めのような場所があって、無造作に色々なものが捨ててあるのだけれど、なぜか、パンだけは別枠。

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どうしてパンだけ少し特別扱いなのだろうと思って観察していたら、どこからともなく現れた、容姿からしてたぶん路上で生活しているのであろう人たちがそのパンを拾っていった。


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スークの中で、目の不自由な人や身体の不自由な人が杖を叩いてアラビア語で何かを唱えながら歩いているを見かけることが何度もあった。店先に座っている人たちはその人が目の前を通るときに手にコインを握らせたり、売り物を渡したりする。

正直に言うと、障がいのある人がひとりで歩き回って、ぶつぶつ何かを唱えている光景に驚いて、ほんの少しだけゾッとしてしまう自分もいた。


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だけど、そういう人たちに当たり前のように手を差し伸べる人がいる社会ってステキだなぁと思う。同じ状況に遭遇した時にそういう手助けをする人が日本にどれだけいるかなぁ。

宗教って、根本は死後の世界について考えることだけど、それと同じくらい「現世での作用」も大切な要素だと思う。

宗教には人と人を繋ぐ、社会的な機能もあるべき。

日本の宗教にはその部分が足りてないというか、欠けてるというか、正確には失われてしまったのだと思うの。


外の世界を知るたびに、日本に足りないものも見えてくる気がする。


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