見出し画像

骨と心が折れたあの夏。

「申し訳ないんですけど、ペットボトルのキャップ、開けてもらえませんか…?」

私の申し出に少し目を見開くコンビニの店員さん。ただそれは一瞬だけで、私の左手を見るとすぐに納得した表情でペットボトルを開けてくれた.

***

大したことない、と思っていたんだけどな

去年の夏、左手親指の付け根を骨折した。所属していた演劇サークルの活動中、大道具の建て込み練習をしていた時のことだ。

大道具を運んでいるタイミングで、バランスを崩し尻もちをついた。左手をついた瞬間はそりゃあめちゃくちゃ痛かったけど、ちょっとひねっちゃったかな、なんて大したことないことだと思っていた。

ところが…だ。練習後、作業用のグローブを外そうとしても、手が腫れているせいでなかなか抜けない。力任せに何とか抜いたけど、「痛っ…」と思わずいってしまうぐらいには痛かった。

明日も活動はある。とりあえず捻挫なのか骨折なのか見てもらわないと。腕時計を見ると時刻は16時。スマホを取り出し、この時間でもまだ開いていて、なおかつ初診でも見てもらえそうな病院を必死に探した。

***

たくさんの『できない』と罪悪感

「あー、折れてるね。」

病院で、優しそうな先生にそう言われ、目の前が真っ暗になった。それでも説明は続いていく、舟状骨という骨が折れていること、サッカーのゴールキーパーが良く折る骨だということ。そして…完治までに時間を要する骨だということ。

「どうしよう、みんなに迷惑をかけてしまう…。」

診察後、待合室で途方に暮れた。タイミング良く、窓から夕陽が差し込む。なんなんだよ。そんなドラマみたいな演出、いらないんだよ。

全治3ヶ月。先輩たちが逃してきた舞台効果賞を今年こそ、獲ってやるんだと意気込んでいた大会。3年間打ち込んだ演劇の集大成の場所。そんな大会が行われるのも、ちょうどあと3か月。

そう、私には時間がないんだ。落ち込んでばかりもいられない。「左手が折れていようが折れていまいが関係ない。私は私のやるべきことをやる」と気合を無理やり入れ直した。

とは言え、気合で左手が動くのなら苦労はしない。

大道具の製作に支障が出るだけじゃない。家事もまともにできない。ボタンのついた服が着れない。活動中にのどが渇いて、自販機で飲み物を買っても、後輩に開けてもらわなければいけない。

「ごめんね」とちょっとしたことを頼むときに何度も謝っていた。自分ができないということを認めたくなくて、人一倍時間をかけて資材を運び、釘を打った。

たくさんのできないが私を後ろ向きにした。どう頑張っても足手まといになってしまう現実が、どんどん嫌になった。

***

私のできることって何だろう

「謝る必要ないです。悪いのはみのりさんじゃなくて怪我だから。もっと頼ってほしい、ごめんねより、ありがとうって言ってほしいです。」

ある時、後輩に言われハッとした。今までの私はただ罪悪感とか、自分を情けなく思う気持ちに押し潰されていただけじゃないか。自分ができること=無理をすることだと思い込んでいたことに気づいた。

「私のできることって何だろう」後輩の言葉が改めて考えるきっかけをくれた。そうして行き着いた答えは舞台美術のクオリティを限界まで上げること。その日から無理を押してしていた作業は人に頼り、その時間を舞台美術の勉強や研究にあてるようになった。

なんとか迎えた現役最後の大会。舞台効果賞は逃してしまったが別の賞を受賞することはできた。サークルのOBOG、お客さん、大会の審査員、たくさんの人が私たちの大道具を褒めてくれた。

後輩達の「みのりさんが作ったこの舞台美術が大好きです。」という言葉や「みのりさんのおかげでこの大道具ができました」という言葉は何よりも嬉しかった。挫けずやってきて良かった。そう思えた。

***

あの夏を思い出すと。

後輩たちは「みのりさんのおかげで~」と口々に言ってくれたけれど、私が舞台美術に打ち込めたのは間違いなく大道具の後輩たちのおかげだ。「みのりができることってそんなもんなの?」と厳しく指摘してくれた同期にもたくさん助けられた。

去年の夏を思い出す度、「あの夏で、ちょっとは私も成長できたのかな」と思う。でもそれ以上に「私は本当に仲間に恵まれたなあ」と思うんだ。


***

illyさんの私設コンテストに参加しました。

画像1


サポートいただけるととっても嬉しいです!たくさん本を読みたいので本代に充てたいと思います。