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元ラオスの僧侶ジーコがそれらしいことを書くノート①『俺はお前でお前は俺』

どうも、元ラオスの青年海外協力隊かつラオスで出家してお坊さんをやっていたジーコです。

今回、突然の思い付きで『元ラオスの仏教僧らしいことを書くノート』を書き始めることにしてみました。
『らしいこと』を書くだけで、ぼくがその時思いついたことを書くので、仏教とはあんまり関係ない場合も多いと思います〜。 

そんな考えもあるのか〜程度で読んでみて下さい。そして面白かったいいね&シェアよろしくお願いします〜。

ではでは、始めます。
記念すべき1回目は

『俺はお前でお前は俺』

というテーマです。

要するに自分とあなたは同じってことです。
そして、自分は自分じゃないし、あなたはあなたじゃないってことです。

ポカーン(・o・)ですよね。

何そのスピリチュアルは?って感じですよね(笑)

これを仏教の言葉でいうと『諸法無我』です。

諸法無我を簡単に言うと「全てのモノは絶えず関係しあい変化しあっているから自分(それ)と言うものは存在しない」ということです。

例えば、大ヒット作養老孟司の『バカの壁』の一節に、
「目の前にある田んぼは将来の自分だ」と(うろ覚えですが…)あります。

これはまさに諸法無我のことを言っていて、田んぼは稲を作り米となり、それを人間が食べることで米は人間の一部となる。
また、昔だったら米を食べた人間の糞が今度は肥料となり土となり植物を育てる。そしてまたその植物は人間の一部となる。

つまり、全ては繋がっており、絶えず変化し続けている。
そして、今ある自分すらも今の一瞬だけ形であり、自分を常に変化している。

ちなみに人間の細胞は数年周期で全てが入れ替わるらしいので、数年前の自分は細胞レベルで全くの別者なのです。
新しい細胞はどんなモノを食べるか、どんな生活をするかで変化しますよね。

つまり、全てのモノ(ヒト)が自分というモノを作っているのです。

ぼくらはちっぽけのようだけど、この世の全てと繋がっていて、誰一人として自分と全くの無関係のヒトはいない。

似たような言葉として鋼の錬金術師で出てくる言葉ですが『一は全、全は一』なんてものもありますね。

エドワードエルリックはこんなふうに言ってます⇩

そんなわけで「オレのモノはオレのモノ。お前のモノもオレのモノ」と言うジャイアンはもしかしたら悟っているのかもしれませんね(笑)

以上

こんな感じでらしいことを適当に書いていくノートです!

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