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【失敗談】初めての英会話、恥ずかしすぎて顔は泣き面。心は蜂の巣。

こんにちは、ゆうです。

初体験はいつも特別。初めて英語を実践した日のこと、皆様覚えていらっしゃいますか?

きっと誇れるような完璧な会話だったという人は少数派だと思いますし、私の場合は顔が真っ赤になるくらい恥ずかしいものです。

それでも今は英語を教えるのが仕事として成立していますし、スタート地点が惨惨としていても、継続さえしていれば英語力は成長するものだという、読者さんの自信につながったら良いなと考えこの記事を書いてみました。

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・「英語なんて嫌い」

中学2年生のころ、家族でタイ旅行に行った時のことでした。

英語の勉強は中学1年生になってから始め、クラスの中で一番アルファベットの習得が遅かった私。中2になっても英語は得意科目どころか苦手科目ですらありました。

親は何を勘違いしたのでしょう?

「息子が英語を学びはじめて2年経つから、海外旅行に行っても英語でのコミュニケーションは安心だね。」

英語が全く話せない両親は、そんな無理矢理感を「安心」と読み替えたものを担保に、僕が中2の夏のころ、家族で初めての海外旅行でタイに2週間行くことにしました。

お父さん、お母さん。プレッシャーで僕は潰れそうですが、それ以前に僕の英語力は壊滅的です。

が、空港に着いて英語のアナウンスが流れた瞬間にプレッシャーから解放されることになります。親が「今なんて言ってたの?」と聞いてきたのですが、当然何も答えられません。Isが動詞であることすら理解していない僕にとっては、英語のアナウンスなんて何年かけても解けない方程式のようなものでした。

「え?学校で英語勉強しているんじゃないの?このくらい分からないの?。」


低すぎる英語力にかけられた高すぎる期待値はこうして、一気にゼロになりました。親からのプレッシャーはゼロになりましたが、「あ、僕期待されていないんだな」という感覚から、自己嫌悪という呪いがかかりました。


泣き面を見かけた蜂は黙っていない、という法則によりここで追い打ち発生。


父が言います。「お父さんdepartureって単語聞こえたぞ!」それに対して母は、「オヤジの方が英語できるじゃん。君は学校で何を習っているの?」と責められる。

無力感に加えて刺々しい言葉に襲われ、泣き面に蜂の群れ状態。「英語なんて嫌い」と感じるのには数秒で十分でした。


そんなメンタルで、初の英会話を迎えるのですから、当然うまくいくはずがありません。この時点で濃厚な死亡フラグが立っているんですよね...


・「ねえ、写真撮ってよ」

タイ旅行4日目くらいのことです。

アユタヤ遺跡という世界遺産に行きました。

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今では登ることができるかどうか分かりませんが、当時ピラミッドの上に登ることができました。中学生ですからね。ピラミッドを見た瞬間、登りたくなるのでしょう。家族を後ろに、自分ひとりでイソイソと頂上に駆けていきます。

曇り空だったその日、アユタヤ遺跡はどのくらい大きいのだろうと目を凝らしながら周りをボンヤリ眺めていたら、何やら中学生らしき3人組が登ってくるではありませんか。

元から人と関わるのが嫌いな僕は、会話という面倒事を避けるために、彼らの視界からそっと外れる回避行動を取り、写真を撮っているフリをして安心していたところ...

英語で話かけられてしまいます。

「&%$#”#$%&’O*+?」

分からない。

同年代に見える地元の女子中学生3人組が、カメラを差し出してきます。

普通ならこの時点で、たとえ言葉が分からなくても「ああ、写真をとってほしいのだな」と推察できるはずです。落ち着いた精神状態なら。

しかしその時の私は、
・人型のクッキーにすら嫌悪感を示すくらい極度の対人恐怖症
・目を合わせるのが論外なほど女性が苦手
・日本に帰国したいほど英語が嫌い

という3条件が揃っていたので、心の中は地球滅亡を予感するようなパニックになっていました。

「何か言わなきゃ!!!!!!!!」

でも頭は真っ白。視界は真っ白。でも顔は真っ赤。


今度は、そのうちの一人が私の目の前にカメラを突きつけてきます。

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大パニックに陥りながらも、脳がフル回転で、そしてボロ雑巾並の英語力を絞りに絞って出した答えが、、、

「Sorry, I don't have my camera.」
(僕、カメラ持っていないんだよね。)


これが、生身の人間に向かって発した、私の人生史上最初の英語でした。


両手にちゃんと自分のカメラを持ったまま彼らを見つめます。


クスクスと笑い出す3人組。


彼女らがもう1段階カメラを私の目の前に突き出し、先ほどと同じ英語のコトバを繰り返します。

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近すぎるカメラで私の両目が寄った時、やっと分かった。彼女らは、彼女らのカメラで写真を撮って欲しいんだ。


人生2言目の英語は顔が真っ赤にただれた状態で発した「Yes.」でした。


写真を撮るには撮ったけど、その後は何があったか覚えていません。呆然と立ち尽くしていたのでしょう。我に返ったのは、ピラミッドの下から来た親が僕に追いついた時でした。

彼女らは後ろ姿を見せて去っていきます。

父が言います。

「下で微笑ましく様子を見ていたよ!」「でも、どうして相手がthank youって言ってくれたのに、何も返せなかったの?」


口ごもる。心のなかではこう言うけど。「言ってた?時間が止まっていて分からなかった。」

その時、何よりも強く感じたのは。「うわ、全部見られていた。」ということ。

顔は泣き面。心は蜂の巣でした。

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というのが、初めての英会話の思い出でした。

私の英語力のスタートはこんな状態でした。あの出来事から十数年、真摯に英語の勉強を続けてきた結果、今では逆に英語を教える立場になれました。

こんな赤っ恥で、赤点スタートの英語でも継続すれば強みに変わってしまうのが人間の凄さなんだなと、今だからこそ振り返り際に考えます。むしろ、赤点スタートのもののほうが、より強い武器になるのかもしれない。

英語学習で心折れそうな方がいましたら....英会話で心が蜂の巣になった私が言います。続ければ長所になります。

それではまた次の記事でお会いいたしましょう。


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