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蝙蝠夫人

 陽が高い昼の世界は薄暗く陰気臭い洞窟で眠り、夜になればチョコレイト色の瞳を爛々と輝かせて蛾や小虫を喰らう、その蝙蝠も仲間たちと同じく小さくも居心地の良い洞窟で日々を過ごし、壁に滴る夜露に醜い姿が映るのを眺めてはごわごわとした毛を一層見窄らしくさせて、凝然としながら月に照らされた夜を悽愴と眺めているのでした。鶯や四十雀のように美しい旋律を奏でることはできず、リスや小鹿のように軽やかに跳ね回ることも叶わぬ、温かな平穏に満ちた世界から断絶されたこの場所で息をひそめることのみが蝙蝠の宿命なのです。この女蝙蝠は飛び抜けて不恰好、天井からぶら下がろうものならよたよたと落っこちそうになり、壁をぼろぼろと毟りながらあたふたする様は滑稽の極み、仲間たちもその姿には隠すこともせず嘲笑するばかりでした。蝙蝠は哀れな身の上を嘆く方法も知らず、ただ毎日外の世界を見つめては見ぬことのない大海原を、青々と生い茂る初夏の草原を、悠々と歩き回るしなやかな皮膚を携えた動物たちを、蜜を運ぶ虫たちの姿に想いを馳せるのでした。そんな蝙蝠の小さな胸を捉えて離さないものは、小さな白い蝶々でした。大きく咲き誇る花を目指しては舞うたび羽に光を集め、美しい花から花へ軽やかに身を移す。皺だらけの汚れた爪を持つ足、硬くまばらな毛、影と一緒に生きる他ない己と対極の存在と知りつつも、その無邪気な幻想の使者はすっかり哀れな女蝙蝠を虜にし、彼女は蝶々にいつしか畏怖と、それから深い愛情というに相応しい気持を、脆弱で縮れた皮膚の下に押し込められた心臓いっぱいに使って抱くようになったのでございます。
 だんまりを決めて暗を待つ日々を幾晩も過ごしたある日、蝙蝠にとって天使が、その蝶々が洞窟に紛れ込んでしまいました。蝙蝠はその高潔で可憐な姿に息をのみましたーー光を知らない暗闇にあっても何と美しく眩いことでしょう。しかし同種たちは威嚇と呻き声を酷たらしく漏らし、可哀想な小さな蝶々は恐ろしい目玉に取り囲まれて力つき冷たい岩壁に羽を閉じました。蝶が求めるのは幸福をたっぷり吸った大輪の花、その匂いもこの暗く湿った洞窟には届きやしないのです。女蝙蝠は見かねて蝶々に近寄り、黒ずんだ手で包み込んでやろうとしましたが、蝶々は恐れて彼女の手から逃れようと抵抗してみせます。怖がらせまいと優しく触れようと試みても硬い毛で覆われたおぼつかない羽はしなやかな蝶々に傷をつけ、何と虚しいことか、待ち望んだ天使は自らの手の中で息絶えていたのです!呆気にとられた蝙蝠は朽ちてしまった蝶々を見やる内に何処からか、凶暴な邪心が鎌首をもたげてーー小さな蝶々をペリ、ペリペリ、丸ごと食べてしまいました。アッと声をあげた時にはもう蝶々は牙の餌食となり粉々に、彼女はしでかした罪が恐ろしくなり、濁った瞳からおいおいと涙を流し慌てふためくばかり。同種が睨みつける中乱心した女蝙蝠は東雲の世界によろよろと這い出て飛立ちました。せめてもの罪滅ぼし、天使を殺した償いと、蝶々が求めた美しい花を見つけよう。陽光は容赦なく彼女の瞳を突き刺し、目覚めたばかりの動物たちはそんな蝙蝠の姿に嫌悪感を露わにします。光に眩む彼女の瞼にはあちらこちらに咲き乱れる花々がふわふわと浮かび、鮮明な色彩が迫り来る中で、瞳の痛みに耐え切れず彼女はついに落下してしまいました。 傍に蹲る小さな獣を見つけた向日葵はそっと腕に抱き抱えてやりました。朝露纏う妖精の腕で眠る真っ黒な蝶々は、たいそう幸せな笑みを浮かべておりました。