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日の出

 人間が大好きです。大嫌いでもあります。


 かつて、X(以降Twitter)にてこんな呟きをした記憶がある。
〝人間という存在がうっすら好き〟
 こうやって文字に起こしてみると、無責任で許しがたい発言だなぁ、と他人事のように思う。
 私は人間全員と話したことがあるだろうか。好きなものは? 苦手なものは? 全体の中の1%にも満たない人々としか話したことがないのに、何故そのような無知で生意気な発言ができるのだろうか。
 しかし、自分でもその理由はよくわからないが、それでも好きなものは好きだ。零さず漏らさず、みんなが好きだ。好きなものは好きだ、それで何が悪い!
 開き直って布団にダイブする。そして腰を痛める。いてて。

〝全部が好きであるということ、裏を返せば、全部が嫌いであるということ〟
 その文章を目にして、私は怖くなった。私の『好き』という気持ちには、裏がない。そう思っていたのは自分だけ。他の方々は、私の言葉に何か裏を感じているのかもしれない。
 それでもどうか、信じてほしい。私自身を信じられなくても、私があなたに向ける感情は、どうか真実であってほしい。感情の持ち主がこんなことを言うと、更に信用を失いそうだが、まあ置いておこう。

 好きは積極的に伝えるようにしている。遅かれ早かれ、いつお別れの時が来るかわからないから。私の言葉はすべて私の脳から出るもの。そこに一つの濁りもない。悪いことでも、良いことでも。
 当たり前のことのように思うかもしれないが、液晶を通じた相手を容易く信用するのは、あまり褒められるべきことではない。気をつけよう、インターネット!

 美しく、優しい、全身に纏わりつく毒のような言葉を紡ぎたいと日々感じる。私が人に向ける感情は大きく、重い。そう自覚はあるが、別に悪いことだとは思わない。
 八方塞がりより、八方美人の方が良い。世間に敵意を向けるなら、愛想を振りまきたい。もちろん、その愛情は本心から来るものである。
 恐ろしい感情は隠して、触り心地の良い言葉を選んでかけるようにはしているのだが、もしかしたら、黒くて弱いところの片鱗が見え隠れしてしまっているかもしれない。そういうときはその、素直にごめんなさい。受け入れなくていいから、理解はしてほしい。そんな我儘を言いたい。
 こんな人間がいるから、やはり顔が見えないインターネットというものは慎重に丁寧に扱うべきである。あら、伏線回収?

 そうそう。そういえば、はじめましてのご挨拶をしていませんでしたね。
 かしこと申します。賢い人間になりたいです。人間のことが大好きです。大嫌いでもあります。
 拙い文章をここまで読んでくださったあなた。本当にありがとうございます。あなたの日々が穏やかで、たくさんの幸福と笑顔に満ち溢れていますように。



 ところで、これは余談なのだが、先日Twitterの相互さんからとある曲をご教授いただいた。それがずっと探していた曲だったので、布教しておこうと思う。まさに奇跡。嬉しい!

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