違和感と転機

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昔から変わっていると言われていた。
小さい頃は気にしていなかったけれど、
小学校に通って、学年が進むにつれて、次第に苦しくなっていった。

今は当たり前のピンクのランドセル。
今やピンクに紫に、茶色に灰色と多種多様だ。

当時、小学校入学前にピンクを選んだ自分は時代を先取りしていた。
最初は周りが持っていないピンクのランドセルに誇りを持っていたが、段々ピンクのランドセルが悪目立ちするようになり、いじめの的になった。
今考えてみると、すでに小学校の頃には自分が自分でなくなる違和感を感じていたのだろう。

私は間違っていないのに、自分は正しいのに。

大好きなランドセルに、同級生の男の子から歯磨き粉を擦り付けられ。
発言や行動から「変」というレッテルを貼られ。
両親にはいじめに遭っていることを言えず。
ひたすら耐えた。学校に行きたくない自分がいた。
それでも、負けたくない思いがあったから行ったけど(笑)

中学校に上がっていじめは無くなったが、
今度は先輩・後輩、先生・生徒の上下関係、校則に耐えられなくなった。

私は黒髪にスカートの丈も標準。
校則違反はなかったが、先生に捕まっている人々を見て、モヤモヤした。

先輩や先生だから偉いの?
スカートの丈が短いから不良?
髪の毛の色が明るいからおかしい?
それって違くない?

そんな中、一つ目の大きな転機。
父方の祖父が亡くなったことをきっかけに
父の実家である横浜へ引っ越してきた。

横浜は校風もあってか、自由だった。
スカートの丈、自由。髪の毛の色、自由。ルーズソックスOK。
私にとっては目から鱗の日々。
友達にも恵まれ、楽しかった。

高校は地元の高校へ行った。
しかし、そこでも違和感を感じた。

時折感じる疎外感。
友人といるのに楽しくない。
自分が何をしたいのかも分からず、過ごす日々。

そこへ二つ目の大きな転機。
高校の教室に貼ってあったロータリークラブ交換留学生プログラムのチラシ。

自分の家に金銭的余裕がないのは分かっていたので、
留学なんて夢のまた夢、の筈だった。
でも、このプログラム内容なら両親に負担を掛けずに行けるのでは?
思い立ったら吉日。速攻で両親に伝え、申し込みをし、面接トップで合格。

とんとん拍子で決まり、初めての海外がアメリカへの留学。

留学の一年間は驚きと楽しさの連続で。
何より色んな人国の人々が暮らしている。
途中で言葉の壁による挫折はあったけれど、
ホームシックに一度もならず、あっという間に過ぎ去った。

そして、落差が激しかったのは、帰国してから。
逆カルチャーショックで苦しくなった。

今思うと、幼少期からの違和感は私にとってのサインであり、
自分が自分らしくあることを否定される度に起きていた。

辛い。
苦しい。
寂しい。
悲しい。
妬ましい。
羨ましい。

ネガティブに支配される度に本来の自分が埋もれていく。

人は変わろうと思えば変われる。
しかし、変わることは怖くもある。
何故なら、まだ見ぬ自分が顔を出すから。
だけれど変わることができたら新しい未来が待っている。

幼少期から感じていた違和感は間違いじゃなかった。
だから、あなたが感じている違和感も、転機のサイン。

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