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偏見とどう付き合っていく? | 「偏見や差別はなぜ起こるのか」について考える #3

「偏見や差別はなぜ起こる?」シリーズ、3回目。
明日で最終回のつもり。


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平等主義的な規範が広く浸透した現代社会では、偏見や差別は克服すべき問題として捉えられている。
半世紀前と比べると、人々の権利の保証に関わる社会制度や法律の整備、啓発活動の実施といった具体的な取り組みが進み、あからさまな侮蔑的偏見は減少した。
しかし、偏見がなくなったかというとそういう訳でもなく、一見偏見とは気づかぬような「隠微な偏見」は広がりをみせている。

また、国際的な市場開放や移動の容易化に伴って、人種、民族、宗教といった社会的文化的背景の異なる人々の接触機会が増加したが、その中では新たな偏見や差別が生み出されてすらいる。

こうした性質を乗り越えて、偏見という社会問題を解決に導くにはどうすればいいだろう?
今の所、人の心から偏見を消し去る、即効性と持続性のある特効薬は見つかっていない。
偏見の解消が簡単には実現しないという前提に立つと、以下二つの意味での偏見の低減と解消の試みを実施することが重要だと考えられる。

①:個人の認知過程において、偏見やステレオタイプが判断や行動に反映されるのを抑制するという観点
 → 偏見をどのようにコントロールするか?

②:長期的かつ段階的に偏見を是正するという観点
 → 偏見そのもののをどうなくすか?

今日は①のみ取り上げていこうと思う。

①:偏見をどのようにコントロールするか?

ある実験にて、白人の参加者に黒人を表すラベル語(例:ブラック、ニグロ)と黒人ステレオタイプと関連する語(例:バスケットボール、音楽、貧しい)を意識できないほど短時間で提示した上で、人種のわからない人物の情報を読ませ、印象を判断するように求めた。
すると、黒人への偏見が弱い人であっても、偏見が強い人と同様に対象人物をステレオタイプ的なものの見方で見てしまったとのこと。

つまり、偏見の強さにかかわらず、カテゴリー情報やステレオタイプの一部に接すると、無意識のうちに思考に影響を受けることがこの実験によって示されている。

その一方で、黒人を示すラベル語を挙げさせられるという、自覚できる形式でステレオタイプを活性化させると、たとえ匿名状況であっても、偏見が弱い人は強い人よりも、黒人に肯定的な考えを示し、ステレオタイプ的な特製語で表すことを避けるようになった
つまり、偏見が弱い人はステレオタイプの活性化に気づくことで、それを対象に適用しないように意識的に思考をコントロールしたと考えられる。

これらの結果を踏まえると、ステレオタイプの適用を意識的に制御できれば、他者に偏見の目を向けたり、差別をしたりすることはなくなるはずである、と筆者はいう。


ただ、「ステレオタイプ的な思考をしないように」と意識するほど、かえってそちらに思考が寄ってしまうリバウンド効果が生じてしまうこともわかっている。

「シロクマのことは考えないでください」

シロクマ

こう言われると、少なくとも今日はいつもよりシロクマを思い浮かべることが多くなるだろう。
「シロクマ」を思い浮かべないようにするためには、思考を監視し、それを思い浮かべた際に思考から追い出す必要がある。

そのためには、避けるべき思考が何であるかを常に活性化させておかなければならない

他に、偏見を制御させる方法として、自分の中に「手がかり」を作っていくという方法がある。
例えば、偏見がないと自負する人が、仕事の打ち合わせで他社の男性と女性に出会った時に、男性を上司だと思い込んで対応し、その後女性が上司であったことがわかった、という体験をしたとする。
「女性の方が地位が低いだろう」という偏見で相手を判断してしまった、と自分の中で良心の呵責が起こると、罪悪感などの負の感情が経験され、その経験が「仕事」の文脈で「女性」と接した時に起きたことが学習されるのである。

そうすると「仕事」と「女性」は偏見的反応の意識的制御を促す「手がかり」として機能するようになり、その後は自己制御が起きやすくなる。

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今回は偏見をどうコントロールしていくかを取り上げた。
次回は、そもそもの偏見をなくすにはどうしたらいいのか(そもそも無くせるんだっけ)というところに触れていきたい。


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