見出し画像

なりきって、学ぶ。

「なりきる、なったつもりで。」
この言葉にぴんとくる人は、いるだろうか。

細田守監督の映画「バケモノの子」の中で、主人公の母がそっと語りかける台詞として、この言葉は出てきた。

「なりきる、なったつもりで。」
そうすると、見えてくる世界がある。

—-

最近iPadを購入して、しかも外出自粛期間も重なって
土日になるとAdobeflescoやprocreateを使用してお絵描きをしている。

本当はグラレコも本腰を入れて取り組んでみたいのだが、お絵かきの方が楽しくて、しかも集中すると時間を忘れて取り組んでしまう、かつ没頭している間は頭の中を空っぽにできるのでついついこちら側に走ってしまう。

といっても、わたしにはゼロから何かを生み出すクリエイティビティはないので、もっぱら好きなものの模写である。

今日は、大好きな漫画である宮崎駿原作の「風の谷のナウシカ」を模写していた。

画像1

自分を空っぽにして、対象を観察して、ただただ無心で書いていると気付くことが色々ある。

なぜここはこの色を選んだのだろう、とか。
複雑な思いを抱えながらも強い思いを持って立ち向かう凛々しさが、ナウシカの眉毛の形に表れているんだろうな、とか。
ナウシカは強さも持っているけれども、まだあどけない少女である名残も頬の膨らみから感じられるな、とか。
テトはナウシカの肩の上に乗りつつ、ナウシカとは反対の方向を向いていて、まるで背中合わせで戦っているみたいだな、とか。
幼さの残るナウシカと、不似合いな銃の対比とか。
硬く冷たいはずの銃の、線の柔らかさとか。

一瞥しただけではわからないような情報が、線のひとつひとつを辿っていると流れ込んでくる。

その時間は、わたしはおこがましくも作者に「なりきろうと」しているのではないかと思う。

有名な話ではあるが「学ぶ」という言葉は「真似る」からきている。
人類はそこそこ知恵があり、これまで色々なものを発明してきたため
「全く新しいやり方」というのはほぼ存在しない。なにかとなにかの掛け合わせであることがほとんどだ。

最初はなにかになりきって、ひたすら真似をすること。
完璧に真似をしようとしても、どこかに自分らしさは出てしまう。
そうして出てしまった自分らしさを大事にしたらいい。
まずは守破離の守。先人の知恵を存分に吸収する。

絵に限らず、徹底的に観察して自分に取り入れていくことはやり方としてわたしに合っていそうだし、学びのスピードも早そう。
良いなと思ったことは積極的に取り入れていこう。

ちなみに今日描いたナウシカはこんな感じ。
Adobeflescoの水彩機能が優秀すぎる。

画像2


この記事が参加している募集

おうち時間を工夫で楽しく

366日note更新チャレンジ中。よろしければサポートお願いします!いただいたサポートはモノではない特別な体験に使いたいです。