まくりまくれ

翌朝目が覚めて、一番初めに思い出したものが、昨日一番印象的だったことだろう。

眠っている間は夢の中を体験する。

眠りから覚めた時、眠る前に現実で体験した夢みたいな事実を思い出す。

その瞬間、眠る間に見た夢がぼやけて、眠る前に見た光景にはっきりとピントが合う。

どちらが今この世界の事実として残っているのかが、見えてくる。

枕元で、事実だけを噛み締められる。



中学の頃、吹奏楽部に所属していて、パーカッションパートの部員だった。

吹部には毎年夏に大きなコンクールがあって、そこに全員が標準を合わせて集団としての意識が高まっていく。

学校として強豪だとか、人数的に弱小だとかそういう大それた設定は無かったけど、それでも三年間それなりにちゃんとした部活をやり通すとそれなりのドラマがある。

その主軸となるのが夏コンだった。



一年生の頃、何も知らない私が見た先輩たちの目標は、県大会進出だった。

夏コンにはまず地区大会があって、そこで選ばれたら県大会、その次は地方大会、その先には全国大会があった(はず。記憶自信ないけど)。

で、私が入った吹部では当時の現状、地区大会を勝ち抜いて県大会に行くことが現実と夢の間、現実的に叶えられる可能性を見込めて、かつ叶えられたら嬉しい目標だった。

何も知らない私はそのまま、めちゃくちゃ尊敬するカッコいい先輩がいて、結局のところ一番目立てるんじゃねぇかという馬鹿っぽい選び方で、パーカッションパートに希望を出してそれがそのまま通った。

基本的には二年と三年で夏コンに挑むようだったが、パーカスだけ人手を増やすために一年生が参加した。

私ともう一人の子、一年の中ではパーカスに入ったその二人だけ、一回目のコンクールにしてステージ上で演奏に参加した。

練習では顧問にしごかれたりしてビクビクだったけど、コンクールに出られること自体は嬉しかったから、本番はわくわくだった。

バスドラムの後ろ抑えたりグロッケンちょろっと叩いたりするだけだったけど。

それが凄く楽しかった。

そして、演奏を終えて、その日の大会日程の最後。

結果が伝えられる。

金賞、銀賞、銅賞の三つがあって、どの学校もどれかを貰えて、そのうち金賞を貰ったところは確実に県大会に行けて、銀賞を貰ったところはその中から選ばれた何校かが県大会に行ける。

私たちは銀賞だった。

県大会に行けるか、行けないか。

行ける学校の名前が出順に呼ばれていく。

ドキドキしていると、私たちが出た順番の番号が呼ばれた。

皆で一斉に舞い上がる。

確かに、私たちの学校の名前が呼ばれて、同時に県大会進出という目標が達成された。

その日は枕に就くまで喜びまくった。

その後の県大会では地区大会よりも楽しむ空気でやりきって、銅賞を貰ってその年の夏コンは終わった。



翌年。

二年生になって迎える夏コンでは、一年の時とは違って一人前のパートが用意された。

昨年と変わらず二年と三年で演奏に向けて練習し、パーカッションだけ一年生も参加した。

でも吹部の新入部員の数は毎年減ってきていて、その年パーカッションに入ってきた子は一人だけだった。

だから人数の埋め合わせどころか、その子にもがっつり一人前のパートが割り振られていた。

まぁ、それをこなせるほど実力の高い子だったけどね!(イメージでいうと上村ひなのみたいな感じ)

部員の減少とか色々問題はあったけど、それでも目標は県大会進出だった。

だけど今思うと、この辺は結構きつかった。

単純に曲の難易度が自分にとっては高く感じていたし、苦手な譜読みをしまくらなきゃいけなかったしそれを暗記しまくらなきゃいけなかった。

やればやるほど感覚が掴めなくなっていって、あーこれがスランプかーといっちょ前に思ってたりした。

それでもどうにかできるようになって迎えた二回目の夏コンは、銀賞だった。

でも、県大会には行けなかった。

結果発表が終わった後暗い雰囲気で、一年前とは違う、流したくない涙が勝手に溢れてくる。

悔しくてたまらなかった。

どうしようもできないやるせない苦い気持ちが枕を浮かせる。

朝が来ても晴れなかった。

しばらく引きずった。



三回目の夏コンに向けた準備が始まる前に、顧問から言われた。

「今年はB編成で出ます」。

それは、正直喜ばしくないお知らせだった。

夏コンにはA編成部門とB編成部門があって、大会出場人数の規模によって分けられている。

いわば大人数部門と少人数部門だ。

私たちの場合、一回目、二回目とA編成で出ていた。

しかし、新入部員の人数を考えても今年はA編成では出られないと判断して、自分にとっての最後の夏コンは、初めてのB編成で出場することになった。

A編成は課題曲と自由曲の二曲をやるんだけど、B編成は自由曲だけ。

それでも決まってしまったからにはやるしかない、と、やりごたえ抜群の曲を皆で選んだ。

パーカスはというと、三年は私と一緒に入った子が辞めて私一人、二年は去年も夏コンに参加した一人、一年は何とか入ってくれた二人の計四人だった。

しかしやりごたえ抜群の曲だけあってパーカッションの人手が四人では足りず、顧問が他のパートの一年をかき集めて夏コン限定でパーカスの手伝いをさせていた。

うん、なんか、ありがとうございます。

自分のパートじゃない楽器やらされてミスったら怒られるってとこに理不尽さを感じそうにはなったけど、全然文句言わずにしっかりやってくれたから良かった。

あと同学年のチューバの子がチャイナシンバル叩かされてて手伝ってもらってる側なのにそれがなんかすごい面白かった。

一年生ならまだしも、二年間チューバ練習してた奴が三年目にいきなりチャイナシンバル持たされたら困惑するだろ。(良い音で叩いてくれました)

で、一年生も演奏メンバーに交えての、最初で最後のB編成夏コンを迎える。

演奏し終わった後、ステージから大急ぎではけて舞台裏を回って外で撮られる集合写真に向かうまでの道、皆高揚と解放感と手応えでにっこにこになりながら走った。

目標は、去年叶えられなかった県大会出場をもう一度。

結果発表の時間が来る。

出順番号と、学校名が呼ばれる。

夢、かと思った。

金賞と言われた。

A編成とB編成の違いとか色んな事情があるにしても、いやそんなことはとりあえず置いといて、とにかく初めて金賞をもらった。

まだ脳ではびっくりしてる段階なのに、金賞って響きを聞いた瞬間反射神経のように涙が出てきた。

同期と後輩と顔を見合わせて、そしたら皆泣いてて、純粋に喜びあった。

金賞だからそのまま県大会にも進出できて。

帰りのバスのお祭りテンション、にやにやしながら聞いた顧問の話、客席で演奏を聞いてから学校まで迎えに来た部員の親たちの良かったね!っていう笑顔。

全部が嬉しかったけど興奮しっぱなしで、テンションは高いけど体は疲れてるから眠って、翌朝。

目が覚めて、空っぽの状態から、すごい勢いで一番に思い出したこと。

…昨日、金賞とったんだ。

…え~~!!金賞とったんだ!!すご!!やば!!夢じゃないじゃん!!

冷静な状態でもう一度考えても、日付を跨いでも眠りを超えても変わらない事実に嬉しさが増し増しで、その日の枕元から見た窓の明るさを今でも鮮明に思い出す。

外から部屋の中へと入ってくる光がやけに眩しくて爽快だった。



その日、夏コンの翌日にも関わらず友達と遊ぶ約束をしていた。

まぁチャイナシンバルやってくれたチューバの子なんだけど。

駅で待ち合わせをして、朝真っ先に金賞のことを思い出したって言ったら、うちも!と返された。

金賞だよ?やばいね!とはしゃぎまくって遊びに出かけたのは言うまでもない。



今日はキングオブコントだから、明日起きて真っ先に思い出すことになるのはきっと誰が優勝したかということだろう。

大なり小なり、何か賞を貰うということは、客観的に分かりやすい価値基準になる。

勝ち負けも、何かの証明の為には、自分が自分を認める為には、必要な時がある。

と思う。

ちなみにこんな部活に熱い青春を感じていた時にも既にお笑いにはお熱だったので、キングオブコントは入念にチェックしていた。

いくらキングオブコントの翌日だからと言って、体調不良を偽り部活も授業もサボって見返すのはダメだよ、人として、と当時の自分に教えてあげたい。

え?

あ、うん、そうなんです。

この夏コンの話全部キングオブコントの話をするための枕でした。

ファイナリストがまくりまくる姿を見るのが楽しみです。

幕が上がるまで待ちます。

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