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運動が苦手な男子が優勝した走り幅跳び

小学6年生の担任、体育の走り幅跳びの授業が忘れられない。

初日に各々の記録を測った。誰が遠く跳んだか否か。
運動神経の良い生徒は、たいてい遠く跳ぶことができた。
その後、いくつかのチームに振り分けられる。

各チームの記録合計数が同じになるイメージなので、チームの中には自ずと「跳ぶのが得意な子」と「跳ぶのが苦手な子」が混在する。

走り幅跳びの授業は1ヶ月ほど続くらしく、最終日にもう1度記録を測り、当初の記録との伸び幅が1番大きい子がいるチームが勝ちになる、というルールが発表された。

より遠くに跳んだ子が勝ちではない。
記録の伸び幅が1番大きい子が勝ちなのだ。


まずは各チーム、記録が良い子のフォームのコツを分析するようになった。
記録の良い子も始めから走り幅跳びのコツなんて知らないから、チームからフィードバックを受けることで、自分がなぜ遠くに跳べているのか認識し始める。

次に、記録が良くない子のフォームを分析するようになった。
記録が良い子のフォームと比較して、こうすればより高く跳べるのではないか?助走はどうか?などいろいろチームで試すようになる。体育の授業中だけではなく、放課後も砂場で研究が繰り広げられる。

するとどうだろう、記録が良くない子は、ほんの少し助走やフォームを直しただけで、ビックリするぐらい記録が伸びる。
もちろん記録自体は大したことないのだが、伸び幅がハンパないのだ。
チームメンバーはその伸び幅に大喜びした。


授業の最終日、各自記録を測った。
今でも覚えている。
1位は運動が苦手なぽっちゃり男子で、その伸び幅は1メートルもあった。
その子はガッツポーズをした。
彼を支えたチームメンバーも誇らしそうにしている。


驚いたことに、クラス全員が記録を伸ばした。
まぁ当たり前かもしれないが、全員が記録を更新するということは当時のわたしには奇跡的なことに感じて、全員で拍手バンザイをした時の喜びは最高潮だった。



よく、苦手を伸ばすよりも得意を伸ばす方が効率良く伸びると言われる。

確かにそうだとは思うが、全部が全部そうではない。

小学6年生の幅跳びでは、得意を伸ばそうとしても数字上の限界はある。

走り幅跳びが苦手な子は、ほんの少しコツを知るだけで、ほんの少しみんなで協力するだけで、とてつもない力を発揮して体育の喜びを知った。


あの先生に出逢うまで、体育はいつも運動神経の良い子が活躍しているように見えた。運動会も今と違って、ハッキリと活躍できる子そうでない子が浮き彫りになっている時代だった。


あの先生の体育の授業はいつも違った。


ハードル走、逆上がり、跳び箱、サッカー、バスケットボール……どの授業も全員に公平で、全員がチームとなって1つの目的に向かって必死になる仕掛けがあった。


そして楽しかった。そして忘れられない。



今でも時々会社で理不尽なことが起きたとき、なぜか決まってあの先生の体育の授業を思い出す。

なにか解決のヒントがありそうで。


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