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わたしのフェミニズムの終わりの始まり

声をあげた言葉達は  誰かの好き勝手歩ける『道』となる。

だからどんな微々たるストーリーや感情、表現したいことを言葉にして伝える価値があるんだと思います。

普段私の話をあまりしてこなかったのですが、
なぜ私が強い女性や、フェミニズム的なことに興味があり、

それを発信しているかを、怖いですが切実に話してみたいと思います。

私は5年間海外の大学に行ってたのですが、
実は大学を一年こっそり留年していた程、
好きではない教科に能力を使うのが意味わからなくいたからです。

その中で私が唯一Aを取った教科があります。
それが<社会性別学>でした。

俗に言うフェミニズムをいったものです。
そこの教授は小柄で優しそうな60代ぐらいの可愛いおばあちゃん的な
人でした。

不思議とそのおばあちゃんが話す授業の内容が面白しぎて
毎回ワクワク聞いていたのだけ覚えてます。

私に別に強烈なフェミニストではないと思います。
ただ、その題材に自然と身体が喜んでくるといった感じでしょうか。

親にも言えなかった私の奥底に鍵かけられたトラウマがあります。

小さい頃に6歳ごろ友達と公園で二人で遊んでいたら、
カメラを持った怪しげなおじさんがきて、
写真を撮りたいと言って、私ともう一人の子のスカートをあげて
パンツ丸見えの姿で写真を撮り始めました。

最初はよくわからなく笑っていたのですが、
あとからどんどん怖くなり、
その男の人が自分で帰るというまで何も言えず、
その人が去ったあと、もう一人の子とバイバイして
走って家に帰ったのを覚えています。
親に会っても平然を装い普通でいようと必死でした。

その他に児童館の男の教員が私を家に送ると言って、
途中公園に行こうと言われ、
そこでキスされた恐怖を覚えています。
その頃私はまだ7歳ぐらいでした。

中学校の時は、
大晦日の日バスに乗っていて、人が多すぎて身体が空中に浮きそうなくらい
人に挟まれていたのですが、
その時なんかふにゃふにゃのものに下半身をずっと擦られてを覚えています。
後ろをみたらニヤニヤしているおじさんをみて、
一言 怒りを通り抜けて、恐怖しかありませんでした。

それらの恐怖が見えない傷となって、
私の中でずっと音色を変えて私に気づいて欲しかったのかな?
と今では思います。
誰でも言えないから、どうしたらいいかわからないから
その処理されない感情はずっと私の中で生き続けていました。

だからフェミニズム的な考えに自然と惹かれるようになったのかもしれません。

大人になって、
男は 30歳すぎてからで、女は 30歳から賞味期限
と 世間はよく言ってきます。
30歳すぎて結婚できない女性を中国では
剩女(残された女性)と言われます。

その様な男女差別的な発言は、他人だけでなく、
私の母 でさえ普段の会話で 言ったりします。

もちろん歳に関して結婚に関して言われるのは
歴史的社会的根拠があります。

女性の本能的な役目として子供を産むことがあります。
そして子供を産むのが有利なのだ、
美貌若さだからこそ、
今でもその枠組みが王道のモテにもなっています。

しかし、今となっても、
女(人間)の価値を一面でしか判断しないのはおかしいと思います。

常識が常に正しいとは私は思いません。
常識は何かの規則を守るため、何かをまとめるためだとしたら、
一人一人がそう言う事に対して、考えなおさなければいけないのではないでしょうか?

私は子供の頃の恐怖や封印されていた感情をバネに、
何かを支配したり、何かを罵倒して自分の気分を晴らそうとは思いません。

私はただ、女の価値は、内面にもあるということ、
内面に確実に育ってきたその人のストーリーと世界こそに
本当の価値があることを伝えたいのです。

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強い女性に憧れる女性も少なくありません。
私がそうです。
私はよく女性やアートチックな写真を見つけたら保存しているのですが、
見返すと女性は強そうな感じな方が多かったりします。

強い女性と言うのは、
外部の声に妥協したり屈しなく、本当の自分のことを大胆に表現する勇気があるからではないでしょうか?言いたいことをはっきり言える強さを持っているからではないでしょうか?

このたくさんの枠組みがある様にみえる中、
本当のことのいうのは怖いです。嫌だと言うのは怖いです。たくさんの人の言葉を逆らって自分の選択するのは怖いです。

でも、どんな人になるかは常に自分が決めれるのです。

何かを認めたり、何か他人と違ったこと言うのは
勇気が要ります。

しかし勇気さえあれば、
常識や誰かに屈して生き方ではなく、
本当の自分の尺で自分の考えで生きた人生を送れます。


私の望みは、そんな人生を送る女性 が  たくさんいる地球に生きたいです。
フェミニズムが最終的に向かう場所は、全ての人が縛りや恐怖から解放され、性別ゲームから脱出して、概念を超えて生きていくことだと私は思う。



最後までみていただきありがとうございます∞
あなたに3分間違った感情が沸き起こったことを信じて!








自分の喜びを追求した時にその光が周りも照らす事が出来ると信じてます!!