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ラジオパーソナリティーの失敗談を“メソッド”にしない

深夜ラジオの閉塞感は、パーソナリティーから「失敗談」を引き出す。それはリスナーにだけ見せてくれる”結び目をほどく”姿。例えばテレビのような華やかな世界で、例えば結婚式のようなオフィシャルな大人の世界で、どうしても気を張ってしまう”失敗してはいけない場所”での失敗。それを聴かせてもらえるのが、深夜ラジオの好きなところです。大通りで転んで擦りむいた膝の血を、路地の裏の石の影の下で鳴く我々雛にこっそりと分け与えてくれるような。リスナーは前歯と歯茎を真っ赤にして、それをすすっているのです。なんか例えが最悪な画ヅラになってしまいました。就職したOBが部室で「会社で怒られた話」をしてくれるような感じ、ですかね。最初からこう書けばよかった。

深夜ラジオの主な聴取者層として想定されることが多いのは「10代後半の若者」です。まさに僕は、その頃に深夜ラジオに出会いました。

普段あれだけ明るい照明を浴びている人たちが、ここではコンビニの買い物で失敗した話とか、先輩に怒られた話とかをしてくれる。それだけで、ここは特別な場所なんだと、すぐに分かりました。

ただ今回は「ここでしか聴けない弱さをパーソナリティーが吐露してくれるラジオって、最高の場所だよね」ということが言いたい訳ではなく。

最近僕は、むしろそうしたパーソナリティーの失敗談をリスナーが”メソッド”として参考にしてしまうことにもったいなさを感じる、という話。


▼オードリーANNのピザ事件

例えば、『オードリーのオールナイトニッポン』の中で、僕の好きなトークの一つに「ピザ事件」というのものがあります。

オードリーのハワイロケに際し、現地からラジオを生放送するためにスタッフ陣もハワイへ宿泊。「美味しいピザ屋を知っている」と言う宗岡ディレクターと共に長時間かけてオープンカーで店へ向かうと移動式の店だったためピザ屋はそこに無く、ただただ雑木林が広がっていた…という話です。その後別の店で食べたピザも不味いし、サーフィンしに行ったら波が低くて断念する…など踏んだり蹴ったりの珍道中。番組で何度も話題に挙がる、代表的なエピソードです。

お腹ペコペコのまま、オープンカーで乗り入れた高速道路で暴風に前髪を吹かれながら、やっとの思いでたどり着いた場所に店がない。ハワイまで来てこんな目に合うダメージは想像もつきませんが、こうした”失敗”は、やはり最高のトークの種になっています。咲いた花は大輪も大輪。

でもですね、こうした話をラジオで聴いて「自分が海外に行くときは、思い付きでお店に行くのはやめとこう(笑)」「旅行の時は下調べを徹底しなきゃな~www」となってしまうのは、勿体ないとも思う。特に若者にとっては。

先輩の失敗経験から学ぶメソッドは、僕らの今後の失敗を避けるための手助けになってくれます。でも、そんな失敗こそ、人生を育てるための大切な肥料のひとつのような気もしているのです。


深夜ラジオを聴いていると、様々な失敗談を、笑いと一緒に楽しく摂取できます。でもやっぱり、「じゃあ同じミスをしないようにしよう」と、そのトークを”メソッド”として自分に取り込んでしまうと、起伏の無い生活が続いてしまうような気がする。これはまさに、自分の体感として。



▼「自意識との格闘」のマネ

・伊集院光さん
・アルコ&ピース平子さん
・オードリー若林さん
・パンサー向井さん

僕の好きなラジオパーソナリティーの共通点の一つが、「止まない自意識との格闘」を続けているということ。僕は僭越ながら、強烈にシンパシーを感じてしまいます。「店員にこう思われるんじゃないか?と気にしてしまってレジに並べない」だとか、そういう小さなノイズと日々戦っている。時に大敗しつつも、上手くその自意識と付き合って、距離を保って、飼いならす。その葛藤は、一回り以上年齢の違う僕にも共感できる部分が多いです。

そして、皆さんがその「自意識に勝った話」をする時、勝因は一様に「年を重ねたから」だったりします。「若い頃は考え過ぎていた」という文脈で、おじさんになった今は考えすぎず、奇をてらわずに、ストレートにやっちゃえばいい。意外とそれで良かったんだ、と。

でも、そんなパーソナリティーの人生訓を今の僕が前借りして「じゃあ考えすぎないでいってみよう」となると、それはなんだかおかしいのです。

彼らの言う“若い頃”にまだ該当している自分、現役で「考えすぎる」フェーズにいる僕が、パーソナリティーの皆さんが”おじさん”になってようやくたどり着いた境地のノウハウをいま実践してしまっていいのか?というか、そもそも実践できるのか?

彼らが“おじさん”になってようやく、初めて板についてきたメソッドを、青二才の僕が見よう見まねで背伸びしてマネしても、それは張りぼてでしかないというか。筋肉がないのに、技の型だけ覚えているような状態です。

僕は「自意識との格闘」に勝つ方法を何人ものパーソナリティーから教えてもらいました。だから見よう見まねで、実践してしまっています。その結果、僕の周囲からの評価は「可愛くない」。どこか不完全で、不自然で、年齢に見合っていないんです。「おじさんパーソナリティーに教わった自意識との戦い方」。でも、どうしてもそれを上手く成し遂げる”筋肉”がまだない。ただの大人のマネでしかありません。

そして、それは新しい、より歪な自意識の膨らみを生んでいるだけなんじゃないか、と思ってしまいます。「若いうちから自意識との戦いに勝った、と思い込んでいるだけの自分という自意識」と戦わなくてはならない。敵がより、複雑になってしまっている。お手上げだ。助けてください。

だからいま僕は、おじさんたちの“おじさんなりの自意識との格闘”を耳で楽しませてもらいながら、それはそれとして、“26歳の自分なりの自意識”と、がっぷり四つで正面から組み合ってみようかな、と思っています。それで失敗していいじゃないか。それで筋肉がつくのだから。



▼ラジオの失敗談は「人生の予告」

僕はTwitterでラジオリスナーを多くフォローしていますが「大人じみた、可愛くない若者が多いなぁ~!!」と感じることが多いです。笑
※自分のことは棚に上げつつ 

パーソナリティーの失敗談を反面教師にし、メソッドとして取り入れる。いわば”人生の前借り”です。

でも、知識やノウハウだけ頭に入れたって、自分の生活に見合ってないと意味がない。小手先の失敗を回避しても、面白くないでしょう。「失敗」で、人生の「筋肉」がつくと思う。「失敗」を知る人の言葉には、強い魅力と色気があります。だからこそ、長い下積みを経た芸人さんのラジオは特に面白い。(※個人の感想です)

僕らの好きなパーソナリティーたちには、可愛げがあります。でもそれは泥臭い失敗の積み重ねの上に、処世術にたどり着いたから。上澄みだけをすすっていては、人生にそうした厚みが出ない。

パーソナリティーの失敗談で笑った後は、「同じミスをしないようにしよう」じゃなくて、「いつか自分にも同じようなことが起こるのかもな」と少し先の人生に思いをはせる。そういう楽しみ方の方が、気楽でいいかもしれません。「メソッド」にしちゃうより、「人生の予告」ぐらいに思っておく方がいい。もちろん、僕のこのラジオとの向き合い方も、年を重ねると、また変わってくるのでしょうが…。


※補足
最近聴いている番組の中でも「#むかいの喋り方」での向井さんが特に「自意識との戦い」の葛藤を精彩に語ってくれていて、「めちゃくちゃ面白いし共感できるけど、これ簡単に真似しちゃダメだぞ、俺!」と毎週のように感じていたので、今回文章にしてみました。ラジオ聴いて自分の葛藤のことも分かったふりして、同じように決着つけられたと思い込んではダメだな、と。背伸びしたくないですね。

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