『日本語のレトリック―文章表現の技法』を読んで
あの糸井重里さんに影響を与えたコピーライター、土屋耕一さんには思わずクリップしたくなる文章があります。魔法のようにポンポン繰り出されるレトリック。しかもそれが極めて自然体。
〜という自信が歯と歯の間からあふれ出てくるのである
なにか、自分の都合のよい計り方で時計を眺めて、それをそのまま書いて出している、という感じでしょう
と、いったかんじです。華麗なるレトリック。
で、不思議に思っていたのが西洋のリベラルアーツの中に修辞学(レトリック)が入っていること。自由七科の三科(文法・修辞学・論理学)のうちの一つ。え、自由に生きるためにはレトリックが必修?
歴史は古代ギリシャ時代まで遡る。当時、弁護士という職業がなかった。生きるためには弁論が必須であり、人を言葉を操って説得しなければならない。そこで、「伝える」ために論理学や修辞学という分野が生まれ、それらをアリストテレスが学問として整理した。ざっくり。
で、自由に生きていくための修辞学(以下レトリック)ですが、深掘りするとさまざまな種類に分かれています。日本語の漢字表記ですと隠喩・直喩など正直、わかりにくいなあと。それで手に取ったのが本書。
数多いレトリックのなかから30表現方法を選び、それぞれを解説。事例として紹介している文章が夏目漱石、芥川龍之介、谷崎潤一郎、宮部みゆきなどバリエーション豊かでそこもいい。巻末には早見表まであります。これを眺めているだけでも頭が整理できますし、おもしろいです。
表現方法のなかでも同語反復法(以下トートロジー)はその奥深さを本書で初めて知りまして、そのあたりをクリップします。
そもそもトートロジーとは、同じことばを繰り返して、しかも無意味に陥らないという変わり種。
たとえばで抜粋すると、
①殺人は殺人だ(あくまで許し難い犯罪だ)
②男の子は男の子だ(多少の乱暴は仕方ない)
③(さすがに)ベンツはベンツだ
※カッコ内は意味となる語を補足しています。
①は「殺人」ということばの重い意味を風化させるわけにはいかないという気持ちがこもります。②は諦めないし寛容が示されます。③は称賛の気持ちの表れ。
なぜトートロジーが必要になるのか。著者は「ことばがときとともに変化するため、基本としては意味の同一性の確認として用いられる」と言います。
となると関係としては論理学のなかでいえばA=Aを確認しているだけともとれます。
なぜお金は大切なの?
それはお金だからさ
こういうやりとりがあるとすると、実は議論が前に進んでいない。政治家の発言といったように、トートロジーはむしろネガティブにとらえられる側面もある。
でも定義や、言葉そのものをつきつめると、最終的にはA=Aになりそうな気もするんです。
というわけで以上です!
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