SF小説の金字塔は、人間を問う『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(フィリップ・K・ディック)
映画『ブレードランナー』の原作であり、SF小説の金字塔。名前は知っているけれど、まだ読めていない一冊をようやく味わった次第です。
人間そっくりのアンドロイドとの相対化から浮き上がる「感情移入」がキーワード。そこに作者の色付けによって揺さぶりがかけられ「人間とは何か」を問われる一作でした。
あらすじ
第三次大戦後、放射能灰に汚された地球では、生きている動物を所有することが地位の象徴となっていた。人工の電子羊しかもっていないリックは、本物の動物を手に入れるため、火星から逃亡してきた(奴隷)アンドロイド8人の首にかけられた莫大な懸賞金を狙って、決死の狩りをはじめた!
動物が富や地位の象徴となっているのが妙にリアルですよね。
人間とアンドロイド
まずポイントとして主人公のリックの動機はじつはハンターの賞金以上それ以下でもない。
『鬼滅の刃』でいう鬼に家族をやられてしまった炭治郎の志とはわけが違います。「感情移入」できる人間こそ素晴らしいだとか、ライムスター宇多丸さんでいう「人間なめんな」的でもない。
アンドロイドは精巧につくられているけれど、寿命はむしろ人間よりも短いし、本物の動物の方がよっぽど扱いがいい。そして人間生活に完全に溶け込んで害を及ばさないどころか、自分がアンドロイドであることに無自覚のアンドロイドまで存在する。
見分け方
人間、アンドロイドをどうやって見分けるか。作中ではフォークト=カンプフ検査法という(ある種)心理テストがもっとも効果的とされる。指を切って赤い血が出るかではなく、質問の反応(感情)をみるという知的かつアナログ加減が印象的。
審査は訓練を受けた人間(おもにリック)が担当しますが、ウソ発見器の精度がなんとなく不完全であるように作者ディックは「ゆらぎ」を設けています。
つまり人間をアンドロイド判定、アンドロイドを人間と判定してしまうおそれもある?ような状態で物語は始まります。
読者は精度への信頼度が完ぺきではないからこそ、質問と回答の心理戦は読ませます。
合成された記憶
無自覚のアンドロイドは、どこかのタイミングで記憶を合成されています。疑似記憶とでもいいましょうか。
しかもそのアンドロイドは自分を人間だと思って、アンドロイドをハンティングしている立場だったら?
「あなたは人間ではないわ。わたしとおなじように、あなたもアンドロイドなのよ」
しばらく沈黙がおりたのち、フィル・レッシュは低い、抑制のきいた声でいった。「まあその件は、いずれ折を見て決着をつけるさ」
その後の展開でリックはいよいよ人間とアンドロイドのちがいがわからなくなる。
リック自身はかつてフォークト=カンプフ検査法を受けさせられたけれど、その記憶さえも植え付けられたものだったら?
現実世界のぼくたちにもいえるわけで、人間として生まれているこの自覚自体が合成されたもの、または夢だったら?
胡蝶の夢、水槽の脳といったシミュレーション仮説にも通ずる話。
ここでは触れていないですが実質もうひとりの主人公イジドアや、共感ボックス、マーサー教といった宗教的なアイテムも登場します。
やろうと思えば物語の筋自体を記憶の改変・書き換えによってもっとぐにゃぐにゃにもできそうですが、一定の合成性があってまとまりのある傑作小説でした!
というわけで以上です!
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